(C)Two-Way/小学校/6年生/教科社会/単元名ペリー来航と開国/日本人の気概/向山型社会


「ペリー来航」で日本人の気概を教える(向山実践追試)


松本 俊樹(TOSS兵庫播磨むしあなごの会)

1998年4月京都での向山洋一氏による模擬授業。その年の11月に6年生で追試した。原実践は「学校は甦る」(扶桑社)に詳しい。


発問1 黒船が来た時、日本の政治をしていた人々(幕府)の気持ち(反応)は?               次のうちどれに近いと予想しますか? ( )内が予想人

 A 黒船の意味そのものが分からない ( 0人)
 B びっくりしておろおろするばかり (29人)
 C すごいなあ。でも、まねして日本でも作ってしまえ ( 5人)

 予想したわけをたずねる。
<Bのわけ>
「いくら日本の武士や政治家が勇気があっても大砲がずらっと並んでいる戦艦が来たのだからどうしていいかおろおろしただろう」
「いくら何でもいきなりこんな大きいのがやってきたらびっくりするに決まっている」
「日本の船の何倍も大きい黒船が4せきもきたらびっくりしておろおろするだろう」(黒船来航の絵を見ると日本の船と黒船の大きさの違いがよく分かる。)
「こんなでっかいふねがいきなり来たらだれでもびっくりする。私でもびっくりする」
「黒船は恐いしえらい政治家でも、もちろん私でもびっくりするから」
<Cのわけ>
「新しいめずらしい物はぜひとも手に入れたいだろうから。こういうすごい物は私でもまねしたいから」
「黒船にびっくりして、すごい!!と思って、これではこりゃぁ負けられへんと 思って、よーーーーし作ってしまえとなったと思う」
「まねして作ればこっちにも黒船があるぞーーと言えるようになるから」
 それぞれ自分の考えを色濃く出して理由づけているのがおもしろい。
 みんなも「なるほど」と聞いている。

発問2 では、実際に黒船に乗り込んで交渉に当たった幕府の役人はどうだったでしょうか。

 1の問題と同じように予想させる。
 A:1人  B:29人  C:4人
 Cには2名が加わる。理由を聞いて考えが変わったのかも知れない。

発問3 ペリーが幕府に持ってきたみやげは何だったでしょうか。 

すでに調べているので知っている。

 ・動く蒸気機関車(1/4の大きさだけれど人を乗せて動く)
 ・モールス信号機(1〜2Km離れて実際にやってみせたらしい)
 ・地球儀(6の1にもあるが・・・・)
 ・顕微鏡
 ・図鑑
 ○○君によると全部で60種類ものみやげを持ち込んだらしい!!

発問4 これらのみやげは何のために持ってきたのでしょう。

 ノートに書いていくつか黒板に書いて発表してもらう。

 ( )内は支持人数。

 時間の関係で「気になる意見」に対して反論や質問の時間はとれなかった。

 これは聞いてみたかった。


(1)アメリカの技術がすごいだろうと見せびらかせたい(16人)
(2)自分の(ペリーの)国のすごさを見せるため(18人)
(3)力のすごさを自慢するため(21人)
(4)日本が遅れていることを分からせて開国させるため(35人)
(5)みやげで喜ばせて開国の話をうまく進めるため(15人) 
(6)日本をうまくおとしいれ条約を結ぶため(29人)
(7)日本との文明の差を見せつけて開国させるため(35人)
(8)外国の文化を尊敬させるため(26人)
(9)日本を遅れているぞと馬鹿にするため(9人)
(10)日本の機嫌をとるため(24人)
(11)おみやげのお返しがほしかったから(16人)

発問5 ペリーは江戸湾の奥深くに黒船を動かし江戸の町並みをながめたとい
     います。ペリーの見た江戸の町並みはどんな様子だったでしょう。
    150年前の町並みを予想してみて下さい。

 資料集や教科書の絵などから予想させる。。絵にもかかせた。

「江戸城が見えただろう」
「民家が見えた」
「1階建てだったのではないか」
「店がいっぱい」
「人もいっぱい」
「かわら屋根の家がある」
「いや、かわら屋根の家は余りなかったのではないか」
「板やわかぶきの家が並んでいたと思う」
<かわら屋根の家々と予想:3人 かわら屋根の家々ではないと予想:32人>

 「幕末の日本」という本にある当時の江戸市中の写真を見せた。
 食い入るように見入る子どもたち。
 コピーも何枚か配りました。
「先生、瓦版屋さんみたい」との声。
『そりゃあ瓦がいっぱい写っているもん』と返事。

発問6 予想と比べていかがでしたか。

「もっと人がうじゃうじゃいて多いかなと思っていたけど意外にすっきり」
「瓦屋根の家が並んでいてびっくり」
「もっと家は少ないと思っていたけれど家がいっぱいでびっくり」

予想外に立派だと思った人:34人
予想通り        : 0人
予想レベル以下     : 1人


発問7 黒船に乗った幕府の役人の気持ちや考えたことを予想して下さい。

「黒船は広いなぁ」
「船にはめずらしい物がいっぱい。ほしいなぁ」
「とにかく立派だ」
「外は黒いけれど中は黒くないなぁ」
「ぜひこの船を手に入れたいものだ」
「このままアメリカに連れて行かれるかも。行ってみたい」
「このまま連れて行かれてしまったらどうしよう」
「とにかく大きい!!」
「日本でも作ってみたいなぁ」

発問 7 黒船に乗った幕府の役人の気持ち・考えは?

「黒船は広くて大きいな」
「でっかいな!!」
「でっかくて立派だ」
「黒船って日本の船より大きくて豪華だ。アメリカへ連れて行ってほしいなぁ」
「このまま連れて行かれたらどうしよう」
「かっこいい!!」
「すごい。これはまねてやる!!」
「もっと中をよく見ておこう。作るときの参考だ」
「これは広い。もっと中をよくみておこう」
「こんな大きい船に初めて乗った」
「部屋はどのくらいあるのだろう」

発問8 黒船に乗った役人は何かを残しています。何を残しているでしょう。

「文章」「日記」「図面」
『黒船をくわしく調べて設計図に書いているのです。なぜ設計図など書いたのでしょうか』
「作るときにその設計図を使うため」

発問9 もう一度聞きます。気持ちや考えは?                                  A 黒船の意味そのものが分からなかったのか
     B びっくりしておろおろするばかりなのか
     C まねして作ってしまえなのか

今度は全員がCとした。やはり事実は強い。

発問10 堂々と交渉して作ってやろうと思ったわけです。
      みやげにもらった蒸気機関車を何年後に作ることができたでしょうか。
      鉄を使って、蒸気を出して、レールを敷いて、人を乗せて動かすのです。

○○さんが資料集をもとに意見を言う。

資料集を使いこなせている。

その上自分が考えるときの手がかりにできている。

自分の手足の一部、頭の一部にできつつあるのだ。
「資料集のP62に蒸気機関車が開通した絵が出ている。それは1872年とある。 だからそのころに作ることができた」
1872年−1853年=19年
 「約20年後」という意見。賛成者は27人。
 20年後より後という人はなし。
 もっと前だと言う子もある。
「開通させてお客さんを乗せる前に試運転をしているだろう」と言う。
 史実を知らせる。

『佐賀藩は鉄づくりが盛んで鉄づくりの技術がありました。何と1年後、翌年には お殿様の前で完成させた蒸気機関車に人を乗せて動かしてみせているのです。』

発問11 黒船その物を作ったのは何年後でしょうか。

 手がかりを探してますがこんどはなかなか見つからない。

 予想でいいから答えてもらう。
 ・1年後(5人)「ぼくは作る自信はないけれど・・・・」
 ・2年後( 4人)
 ・3年後(12人)「設計図だけでは蒸気機関車みたいにすぐに作るのは難しい」
 ・5年後(2人)「蒸気機関車よりも手間がかかるだろう。大きいし原料の鉄もたくさんいるから」
 ・10年後(12人)

 これも史実を知らせる。

発問12 最初の軍艦を作ったのは次の年。何と1年後なのです。                       幕府の他に4つの藩で作っているのです。                                ペリー来航後翌年には蒸気機関車と黒船を作った。                          私達先輩に対する感想を書いてみて下さい。

 2人に前にも書いてもらう。

 見た後にどちらも作ってしまうなんて頭もいいし器用だし観察力も鋭いからすごい人たちだと思った。

 人間やれば何でもできるということを学んだ。日本は文字とかをまねるのがとても上手だと思った。

 日本の歴史にはこのように新しい技術をすぐに取り入れて自分の国で生産を初めてしまった史実が他にもあることを伝えた。(古墳、大仏、鉄砲・・・)
 「日本人の気概(きがい)」が伝わた授業であった。



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