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範読の技術と主張4つ


兵庫県加古川市立志方小学校/松本俊樹


野口芳宏氏・向山洋一氏・大森修氏による範読の技術と主張を示す。



 (ア)教室では教師こそが最高の読み手である(野口芳宏氏)

 これは範読でも最高の読みをしなさいと言う意味であろう。
 私も年に何回か「最高」の読みを示すことがある。
 学年スタートの物語教材の範読。
 「木竜うるし」(戯曲)「附子」(狂言)の範読。
 高学年児童でも範読後拍手喝采であった。

 (イ)範読をむやみにしない(向山洋一氏)

 範読することに下手な解釈が入り込む。
 それよりも子どもの読みを保障せよ。
 子どもの読みからスタートせよということであろう。
 (ア)の野口氏にも重なるところがある。
 「おおきなかぶ」の音読では「あまいあまいかぶになれ」の範読はされない。
 子どもに読ませる。そして検討させる。
 どう、何を検討させるかに付いては5の「音読と読み」で示す。
 また、「きつねのおきゃくさま」(あまんきみこ)の範読でも重要な箇所の「」は
子どもに音読させている。
 (98年3月言語教育技術学会での模擬授業、「授業づくりネットワーク」○○年
○月号)
 向山氏の場合「分からない言葉は○○でいいですから読んでご覧なさい」という指
示がある。
 「春」(安西冬衛)や「冬景色」の授業での指示である。
 大森修氏も「ガラパゴスの自然と生物」という題名でさえ範読されなかった。
 子どもに読ませる。「生物」を「せいぶつ」と読む。
 「『いきもの』と読まないのですか。」「それはなぜですか。」と追求する。
 これも5の「音読と読み」に関わる。
 
 (ウ)範読も指導である。(大森修氏)

 (その1)繰り返しふりがな読みの技術と思想

 次のような指示で範読をされる。
 「先生が読みますからふりがなを付けながら聞きなさい。」
 (98年12月鳥取での講座、99年2月京都での講座など)
 どの言葉に子どもはふりがなを付けるか。
 あらかじめ教師は予測できなければならないと大森氏は主張する。 
 その力量こそが子どもを見る目であるとも言い換えておられる。
 さらに重要な技術がある。
 「子どもが読めない、読み間違うだろうという言葉を2回読んで範読する。」
 「一つの花」の冒頭場面だと次のように読むことになる。

 「一つだけちょうだい。」
 これが、ゆみ子のはっきり覚えた最初の言葉でした。

 ひとつだけちょうだい。
 これが、ゆみこのはっきりおぼえた おぼえた さいしょの さいしょの ことば
でした。
 
 単に新出漢字や読みかえ漢字だけを繰り返し読むのではない。
 「一つの花」では「配給」など子どもたちが初めて出あっただろうという言葉も繰
り返し読む。
 
 このように繰り返し読むことによって子どもたちにふりがなを書く時間を保障する
ことになる。
 このような指導を繰り返せばどのような変化が教室に起きるか。
 何も言わなくとも教師の範読時に繰り返す言葉が出ればすばやく鉛筆を走らせる学
級になる。
 学び方が身に付いた例である。

 一つ付加事項がある。ふりがなは欄外に書かせるということだ。御注という形に書
かせる。
 本文中の漢字の横に書かせた場合いつまでもふりがなに頼って読むことになってし
まう。
 この指摘は野口芳宏氏による。

 (その2)つづけ読みの技術と思想

 「先生が読みますから先生の後に続けて読みなさい。」
 いわゆる続け読みである。
 このときのポイントは3つある。

 (a)範読後子どもたちが読み終わらないうちに次を読む。

 例を示す。
 教師「一つだけちょうだい。」
 児童「一つだけちょうだい。」
 このとき「一つだけ」と児童が読みかけたときに次の「これが、ゆみ子の・・・」
の部分を読み始めるのである。
 教室に集中と緊張感が走る。妙な間が空くことがない。
 この方法は「重ね読み」として野口氏も主張しておられる。

 (b)児童の読みのレベルにあわせて範読部分の長さを調節する。
 
 読みのレベルが低い場合は初めて出会う作品の時には当然のことながら
 教師の範読部分が短くなる。
 一文節となったり繰り返し範読することになる。
 次のような場合であろう。 
 ・読み間違い
 ・新出漢字
 ・こだわりたい言葉
 ・読みがそろわないとき


 (c)音読練習を重ねて子どもたちの読みのレベルが上がれば範読部分が長くなる。

 当然教師の範読と児童の範読部分の重なりが大きくなるのでひととおり読む時間も
多いに短縮される。
 読みのレベルの変容を自覚させることができる。




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