1歳でも若いうちに大変な山に登っておこうと思い、3月、五箇山近くの猿ケ馬場山、野伏ケ岳、5月、景鶴山、7月、神威岳、8月、大笠山と「日本三百名山」の中で難関と言われる山を登ってきた。残り
はこの焼山と11月に予定している南アルプス深南部の黒法師岳である。
焼山は、妙高、火打とともに「頚城三山」と称され、1974年には大規模な水蒸気爆発を起こし、登山者3名が噴石により死亡している。さらに2016年から2018年まで火山活動の活発化により入山禁
止となっていた。現在も火打山からの縦走路は安全確保ができないという理由で登山禁止となっており、また、杉野澤橋から直接山頂を目指すコースも長い入山規制で登山路が荒れていてはっきりせず
自力では難しい。そこでいつもお世話になっているP社のツアーに参加することにした。参加者は8名、ガイド2名、合計10名の賑やかなパーティーとなった。
[行程]
2019年10月5日(土)
自宅10:30→東京駅12:24→長野14:22→15:06妙高高原→15:45明星荘泊
6日(日)
明星荘4:00→4:20登山口4:35→金山谷6:05→焼沢7:30→富士見峠9:05→10:25山頂10:35→2400bピーク10:50→富士見峠11:30→焼沢13:10→金山谷14:30→15:30登山口16:00→妙高高原
17:29→長野18:22→20:00東京→20:50自宅
[山行日誌]
長野駅でしなの鉄道に乗り換え、終点の妙高高原駅でガイドの方と待ち合わせ、宿舎の明星荘に16時前に到着、斑尾山に登ってきたグループと合流した。
参加者8名、ガイド2名の計10名のパーティーだった。夕食時山談議に花を咲かせて時間をつぶし、翌朝4時に宿舎を出発、杉野澤橋を渡って大岩が二つ置
かれた登山口には4時20分に到着した。残念ながら予報通り雨が降り出した。この雨は山頂付近での1時間ほどを除き、ほぼ1日中ずっと降っていた。早速
準備を整え、真っ暗闇の中ヘッドランプを点けて真川沿いの道に沿って登る。両側から草が覆いかぶさり歩きにくい場所もあるがまずまずの道である。さらに
進むと真川にドスンと降りて(多分真川へツリ?)、ここら辺りから道が狭く滑りやすくなってきた。渡渉が5〜6回あり、水量が多いので容易ではない。特に最
後の渡渉は幅も水量もあり(地獄沢?)、しかも岩が滑りやすいので,止む得ず靴のまま渡った。
靴にたっぷり水が入ってしまい、靴を脱いで靴下を絞った。不精をせず靴を脱ぐべきであった。
実は大事な道具のストックを忘れるという大失敗をしてしまい、止む得ず姿勢を低くして木の枝、草、岩を掴みながら登って行く。行きは何とかなりそうだが帰り
が心配だ。喘ぎながらやっと9時過ぎに縦走路との合流点である富士見峠に到着。さらに進んで10分程で泊岩分岐。ここからは溶岩ドームの見える荒涼とした
火山の山の風景が広がる。雨が一時止んで青空も出てくる。2200メートルを超えると森林限界を越えてザレ場となる。直登して火口縁に至り、そこから回って
2400メートルピークに到着。近くにライチョウが三匹現れる。毛並みがだいぶ白くなっており、寒い季節の訪れが近いことを告げている。ザックを置いて山頂を
往復し、2400bピークで中休止。雨は止んでいるが遠望は利かず、近くの溶岩ドームの奇岩が被写体となる。
全員で記念写真を撮ったのち下山にかかる。気が付くと虹が溶岩ドームを包むように出ている。残念ながら多少ガスが出ていてクリアーな写真が撮れない。登
りの疲れで膝がかなりギシギシ言っており慎重に歩を進める。また雨が降ってきて乾いてきた登山道を濡らす。富士見峠を過ぎ、トラバース道に入っていく。な
かなか高度が下がらないが我慢。すると、掴んだ枝が折れて谷側に転落しかかるが、背の高い草が密集していて、危うく転落を免れる。やはりストックがない
ため膝の疲れが蓄積しているようだ。再度気合を入れ直して下っていく。渡渉地点にやってくる。比較的浅いところを探し、行きほどは濡れないで通過。行きは
暗くて見えなかった景色を確かめながら、最後の難所である真川へツリを越えて15時半に登山口に到着。11時間の山行時間だった。
その後ガイドの方に妙高高原まで送って頂き、しなの鉄道、新幹線を使って21時前に帰宅した。今回はストックを忘れるという大失態を犯してしまったが、無事焼山に登頂でき、また、多くの山仲間に出
会って刺激を受けることができて非常に有意義な山行となった。天候には恵まれなかったが、山頂付近の溶岩ドームの異様な姿、群生していたシラタマノキの白い実、そして紅葉の始まりを告げるオオカ
メノキの赤い実など,、新潟県の山の緑豊かな奥深さを感じることができた。