コロナウイルスが世界に蔓延し、日本でも感染が拡がる一途、オリンピックは延期となり社会には暗雲が立ち込めている。連日暗いニュースで気持ちが沈む中、妻と気分転換に静岡県と長野県の県
境にある熊伏山に登ることにした。実は今週末(4月11日〜12日)、P社の男鹿岳(栃木県と福島県の県境)ツアーにエントリーしていたが、コロナ騒ぎによる自粛でキャンセルした。その代わりとして、と
いう意味も有った。
この山は、江戸時代の遠州と信濃をつなぐ「塩の道」と呼ばれた秋葉街道の遠信国境の青崩れ峠の近くにあり、中央構造線上の崩壊地層の影響を受けている。先日登った三重県の三峰山でも中央構
造線の凄まじい断層が見えたが、今回もその1億年前の痕跡を見ることとなった。
[行程]
2020年4月3日(金)
自宅5:37→川崎IC→新東名高速→浜北IC→9:30「塩の道」登山口9:50→青崩れ峠10:13→青崩れ頭11:04→前熊伏山11:40→12:00山頂12:30→前熊伏山12:45→青崩れ頭13:32→青崩れ峠14:20→
14:43登山口14:50→浜北IC→新東名高速→川崎IC→20:10自宅
[山行日誌]
熊伏山近くのJR飯田線の水窪(みさくぼ)駅までの距離をナビで調べたところ片道274km、登山口までは約300km有り、早出が必須ということで、5時
半過ぎに出発、東名川崎ICからひた走り、御殿場から新東名に入り、登山口の「塩の道」公園には4時間で到着、嬉しい誤算となった。駐車場には浜
松ナンバーの車が1台有るだけ、平日だからか。手早く準備を整え、登山届を出して出発した。苔むした石畳の道を滑らないように歩き始める。すぐに
「信玄公の腰掛岩」にやってくる。戦国時代、武田信玄が上洛を目指して信州から三河を通った際に通過した、と説明されている。なおも石畳を登って
いくと青崩れ峠に着く。信州と遠州の国境の地であり、「女工哀史」で有名な野麦峠と同じく、貧しい農家の娘たちが泣く泣く出稼ぎに通った峠である。
ここからは「青崩れ」と呼ばれる凄まじい崩壊が見られる。中央構造線の崩壊地層が通っていて、青っぽい岩石がガラガラと音を立てて落ちていく。こ
こは見学場所となって階段が整備され歩きやすい。青崩れ峠から青崩れ峠の頭までが核心部で登山路が細くなり、両側にロープが張ってある場所も
ある。スリップは命とりなので慎重に歩を運ぶ。青崩れ峠の頭には役目を終えた電波塔の跡が有り、コンクリートの土がむき出しになっている。樹相
はブナ、カエデ、ナラなどの広葉樹主体である。山はまだ冬、季節が早いので皆葉を付けていない。1時間弱の頑張りで青崩れ峠の頭に到着。一息入
れる。コンクリートの土台がむき出しになっているが、もとはここに電波塔が有ったようだ。ここで一息入れる。傾斜が少し緩んできたが、油断は禁物、
時々現れる急登はロープや木の幹を掴んでクリアーする。振り返れば黒法師、不動、中の尾根などの南アルプス深南部の稜線が広がっている。思っ
たより冷たい風が吹いている。やがて観音山との分岐点、前熊伏山に到着。ここから稜線は北へ向かう。
木々の間から南アルプス南部の山が見える。いずれも真っ白で、聖岳、兎岳、赤石岳、その後ろに悪沢岳、横には鉄兜の形の塩見岳、さらに北に仙丈ヶ岳だろうか。
山頂での眺望が楽しみである。小さなこぶをいくつか越えて熊伏山の山頂にちょうど12時に到着早速東面の景色を眺めたところ、分厚い雲に遮られ何も見えな
い。がっかりである。南の方角は遠望が利いて、端正な姿の黒法師岳がよく見える。昨年の11月に登ったばかりなので親近感が湧く。新東名のPAで購入したパン
を食べながらくつろぐ。相変わらず風が冷たい。熊伏山の山名表示板の前で記念写真を撮って下山にかかる。山頂直下で夫婦の登山者と出会い、おしゃべり。今
日2組目だ。あっという間に前熊伏山、ここからは要注意でゆっくりゆっくり下りていく。足元の岩や小石が滑る。ダブルストックで身体の安定を保ち、ロープや木の枝
も利用して下るので、時間がかかるのも止む得ない。最近は登りも下りもあまり時間が変わらなくなっている。ようやく青崩れ峠の頭で一息。ここから一段と注意が
必要で、さらにスローダウン。結局行きと同じぐらいの時間で青崩れ峠に到着。一休み後、石畳を下り、車に戻ってきた。
今回の登山は往復4時間程度の行程であったが、信玄公の座った岩、塩商人が行き交った秋葉街道、女工哀史の物語と同じ舞台、中央構造線の大断層、と見るべき、そして感ずるべきものが多数有
る山行だった。