相変わらずコロナが猛威を振るっており、ワクチンの予防接種もまだ遠い先であるが、年齢との相談もあり、今年最初の山として、福島県と栃木県の県境の難峰、男鹿岳を目指すことにした。
男鹿岳は福島県側では「おがだけ」、栃木県側では「おじかだけ」と呼ばれ、地理的には那須連峰の西方に位置し、北関東と南会津を隔てる深山幽谷の分水嶺をなしている。はっきりとした登山
道は無く、残雪期に林道(県道黒磯・田島線という名称はついているが)を詰めて、藪を漕いで登るしかない山である。
[行程]
2021年4月11日(日)
自宅7:10→浅草9:00→12:19会津田島→17:00「和泉屋旅館」泊
12日(月)
「和泉屋」旅館4:30→車止め5:40→釜澤橋6:35→8:07北西尾根取り付き点8:20→10:50山頂11:23→13:17取り付き点13:25→釜澤橋14:51→15:38車止め16:05→会津田島17:49→
2105浅草→22:07自宅
[山行日誌]
難しい山の際にはいつも同行を依頼している友人に今回も同行をお願いした。感謝、感謝! 残雪期にしか登れない山なので雪の解け具合が気になって、
ヤマレコやヤマップの山行レポートに注目していたが、今年も融雪は早く、今回の日程がギリギリのタイミングのようだ。 始めは12日(月)~13日(火)の
日程であったが、天気予報で13日が雨、強風だったので、予定を1日前倒しにした。
東武東上線(他会津野岩鉄道など3社線乗り入れ))のリバティ号を利用し、春日部で友人と合流、終点の会津田島に昼過ぎに到着、昼食後、レンタカーで
登山口の下見に出かけた。駅から林道入り口までは20分程度で、そこから3,3キロ先の釜澤橋まで歩いた。この林道は本来、栃木県側の那須方面に繋
げて観光の発展を図ったようだが、維持管理に膨大な経費がかかるということで、現在は通行止めとなっている。
バリケードを押しのけて入っている車もあるようだ。本日の登山者は5名で、休日にしては少ないようだ。皆さん元気な足取りで次々と林道を下山して来
た。登山道や雪の状態を尋ねると親切に答えてくれた。和泉屋旅館は古いが木造の味わいのある建物で居心地がよい。女将の話では、昨年、グレートト
ラバースの田中陽希さんがこの旅館の私の部屋に泊ったそうで、年甲斐もなくうれしかった。翌朝、4時半に起床、5時に出発、車止めにやって来たところ
1台の横浜ナンバーの車が停まっていて、既に出発したようだ。早速準備を整え、5時40分に出発した。天気は晴れ。1日前倒しにした甲斐が有った。釜
澤橋を通過、そこから1時間半近くかかって北西尾根登山口に到着した。ここで朝食休憩。宿で作ってもらったおにぎりの朝食は食べやすくとても美味し
かった。ここから山中に分け入る。急傾斜の斜面に雪は全くなく、身長ぐらいの藪が道を塞ぐが、ピンクリボンを頼りにかき分けて進む。気を付けないと深
い森に迷い込むので油断禁物。先行者が我々を待っていて同行させてほしいとのこと、2人より3人の方が安心なので了承し、以後帰りの車止めで別れ
るまで一緒に行動した。日本3百名山を57座登っている方で、山の知識が豊富であり、我々にとってルート発見に大いにプラスとなった。
1275㍍のピークを過ぎると徐々に雪が増えてきた。さらに約1400㍍地点で雪が安定して見られるようになったので、アイゼンを付けることにした。気温が
低く雪が締まっているのでアイゼンがよく利く。30度以上の急斜面をぐいぐいと直登していく。久しぶりに履くアイゼンは重いが、最短距離を歩けるメリットは
大だ。1時間ほど辛抱すると頂上に通じる稜線に出る。そこからすぐに山頂だ。
山頂からは東の方角に山頂部が雲に隠れた那須岳、北にうっすらと飯豊山地、北西に七ケ岳、西に真っ白に雪を被った会津駒ケ岳が見える。ここで大休止。
写真を撮ったり、昼食を取ったりして疲れを癒す。
30分ほど休んで下山開始。アイゼンを頼りに急降下していく。あっという間に行きにアイゼンを装着した地点を過ぎ、さらに少し下ったところでアイゼンを脱ぐ
藪の中ではピンクリボンが分かりづらいので慎重に進む。何度か立ち止まりながら山頂から1時間弱で登山口に下りてきた。小休止後、林道を歩き始める。
まずは釜澤橋まで、そこから車止め地点まで、計8,3キロの道のりをひたすら歩き続け、疲れ切ってようやく車に到着。帰りの準備を済ませ、会津田島でレンタカーを返却、18時前のリバティ号で帰って
きた。
今回の山行は、林道歩きが17キロ近くあり、また、残雪期にしか登れない山だったので苦労したが、南会津の情緒豊かな街並み、由緒ある旅館、雪上歩行など、思い出深いものとなった。