日光ファミリーの長男坊、太郎山に登ることにした。日光ファミリーとは、父の男体山(2486m)、母の女峰山(2483m)、長男の太郎山、次男の大真名子山(2375m)、三男の小真名子山(2323m)の5山を言い、ほぼ半円状
に並んでいる。男体山は百名山、女峰山は二百名山そして太郎山は三百名山である。太郎山は男体山、女峰山と共に日光三山信仰の一つで、古くから信仰の対象であり、また女峰山、大真名子山と共に日光三険にも入
る険しさもある。
[行程]
2022年6月1日(水)
自宅9:40→中環→浦和IC→東北道・日光宇都宮道路→清滝IC→12:30二荒山神社奥社12:50→13:30金谷中禅寺湖ホテル14:10→15:30奥日光ホテル「四季彩」
2日(木)
ホテル「四季彩」4:40→5:05山王林道登山口5:33→6:33山王帽子山6:46→8:26小太郎山8:50→9:12山頂9:49→10:14小太郎山10:37→12:15山王帽子山12:30→13:08登山口13:09→清滝IC→日光宇
都宮道路・東北道→浦和IC→中環→18:30自宅
[登山日誌]
男体山、女峰山どちらも急登の連続で、日帰りとしては厳しい山という印象が残っている。太郎山についてはガイドブックやユーチューブで検討し、山王林道からのピストン
であれば余裕を持って行けると判断し、あとは天候次第、慎重に登る日を選んだ。梅雨入り前の安定期を狙い、6月1日(水)〜2日(木)に予定を組んだ。頼りにしているア
プリ「登山天気」では、前日になって2日の予報が降水確率60%と変わり焦ったが、時間予報では15時以降に雨が降るということで、午前中に下りてくるつもりで予定を変
更しなかった。唯、発雷確率は「高い」となった。
朝はゆっくり、留守番のネコたちの食事や水を入念に準備をし、10時前に出発した。三軒茶屋から首都高に入り、中環、東北道、日光宇都宮道路を経て、懐かしいいろは
坂を登って、昼過ぎに二荒山神社奥社に着いた。山行の無事を祈ってお参りし、金谷中禅寺湖ホテルで昼食を取った。人出はまずまずで特に観光バスがかなり走って
いて、コロナ後の観光の立ち直りを感じた。太郎山の登山口を確認した後、光徳牧場や戦場ヶ原の近くを走り、竜頭の滝を見学、15時半ごろ、ホテル「四季彩」に入った。
ホテルでは地のものを生かした多彩な夕食と3種の日本酒を味わい、また、乳白色の湯の露天風呂を楽しんだ。
翌朝、4時過ぎに起床、5時前に宿を出て、山王林道の登山口に20分で到着、準備をして5時半過ぎに登り始めた。天気は雲一つなく、明るい日差しが降り注ぐ。気温は
5度ぐらいだろうか、ウインドヤッケ-を着て登頂開始。
ササ原の中を山王帽子山山頂を目指す。歩きやすい道を1時間ほど行くと山頂(2077m)に到着。樹林越しに雪を被った最高峰の日光白根山(2578m)が見える。一息後、今
度は急降下、1919m地点まで下り、次に小太郎山(2328m)を目指す。道は厳しさを増し、急登、段差、陥没などが次々に現れる。ストックを使いながら慎重にクリア、8時半
前に小太郎山山頂到着、大休止後,剣ヶ峰にやって来る。覗いたところ難しそうなのでさっさと迂回路を取る。こちらも決して楽ではないが木の枝や岩角を掴んで通過.
最後の急登をクリアして、祠のある山頂に到着。天気はまだ晴れているが、女峰山が雲で隠れ始めた。山頂からの眺めは筆舌に尽くしがたかった。眼前に日光ファミリー
の山々、特に男体山の巨体がどーんと鎮座、その横に静かな中禅寺湖。西に日光白根山、北西に燧ケ岳や至仏山などの尾瀬の山々、北に山頂が緩やかな会津駒ケ岳、い
ずれも雪を頂いている。山座同定を楽しんでいるとあっという間に時間が過ぎる。この時点で午前中下山の目標は捨てた。まだまだ青空が優勢、13時頃の下山を目指す。
簡単な昼食を取って下山開始。登り返しが有るので帰りが行きより断然早いということはない。まずは小太郎山、疲れが出てきているので慎重に進む。小太郎山で若い女性
の登山者が調理中。太郎山まで行くか迷っているとのこと。小休止後、山王帽子山との鞍部を目指す。400bほど下り、今度は150メートルほど登る。12時過ぎに山王帽子
山山頂に到着。男体山が一部雲に隠れ始めた。見上げると大きな雨雲がかかり始めている。ここからは一目散。ササ原の道をどんどん下り、13時過ぎに登山口に着いた。
幸い、天気はまだまだもちそうで雷も鳴っていない。
帰りは中禅寺湖湖畔を走り、いろは坂を下って清滝ICから高速を走って、18時過ぎに帰宅した。ニュースでは宇都宮市内で雷が鳴り、ヒョウが降ったと報じていた。紙一重
の所であった。
今回は天気が気になり右往左往してしまったが、結果的には快晴の空の下、新緑溢れる木々を眺め、厳しい登山道を何とかクリアし、日光の山々、尾瀬や会津の山々の雪景色を眼にすることができ、大満足の山行
となった。
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