決 定 要 旨 請 求 人 奥 西 勝 主 文 原決定を取り消す。 本件再審請求を棄却する。 理 由 第1章 異議申立ての趣意 論旨は、要するに、原決定が刑訴法435条6号の明白性が認められない証拠により再審開始決定をしたことは失当であるから、原決定を取り消し、請求人の再審請求を棄却する旨の決定を求める、というものである。 第2章 当裁判所の判断 第1 事件の内容 本件は、昭和36年3月28日、三重県と奈良県の県境の村落の住民らで構成する生活改善グループ「三奈の会」の年次総会の懇親会が公民館で開催された際、何者かがその懇親会に出されたぶどう酒に毒物である有機燐テップ製剤を混入したため、それを飲んだ女性会員らが有機燐中毒を発症し、うち5名の者が死亡し、12名の者が有機燐中毒の傷害を負ったという事件である。 第2 原決定の判断について 1 (結論)新証拠1ないし3について明白性を認め、再審を開始したことは不当であり、是認することができない。 2 新証拠1ないし3についての検討 (1) 新証拠1について 新証拠1とは、本件犯行に使用されたぶどう酒と同じ形状の栓及び瓶を使って、開栓したことが分からないような偽装的な開栓方法が可能であることを立証事項とする、請求人の弁護人らによる開栓実験の報告書、ビデオのことであるが、実際に 偽装的な開栓が行われたことを疑わせるまでの証拠ではない。実際の偽装的な開栓が行われたかどうか、その可能性があったかどうかについては、他の関係証拠と併せて検討する必要がある。 (2) 新証拠2について 新証拠2は、確定判決において、本件事件で犯行に使われたぶどう酒の瓶に装着されていたと認定された四つ足替栓の足の1本の極端な折れ曲がりに関して、人の歯によってそのような形状を生じさせることは不可能であるとする鑑定書等であるが、歯で開栓した旨の請求人の自白の信用性や本件四つ足替栓が本件ぶどう酒に装着されていたものであることについての判断に影響を及ぼすまでの証拠価値を持たない。 (3) 新証拠3について 新証拠3は、犯行に使用された毒物はニッカリンTでなく、別の有機燐テップ製剤であった疑いがあることを立証事項とする、京都大学大学院教授宮川恒作成の鑑定書、鑑定補充書及び宮川の原審における証言並びに神戸大学大学院教授佐々木満作成の鑑定書及び佐々木の原審における証言である。原決定は、新証拠3に基づき、 TEPPの加水分解速度はトリエチレンピロホスフィートのそれよりも圧倒的に速く、本件犯行に使用された毒物がニッカリンTであれば、加水分解速度の速いTEPPが検出された以上、それより加水分解速度の遅いトリエチルピロホスフェートも当然検出されなければならないのに、事件検体(本件ぶどう酒)からトリエチルピロホスフェートが検出されていないことからすると、犯行に使用された毒物はニッカリンTでなく、三共テップ等の別の有機燐テップ製剤である可能性が高いという。 しかし、検討するのに、トリエチルピロホスフェートの加水分解の速度が、TEPPに比して遅いとはいっても、経過時間、アルコールの影響、その時の気象状況等々の条件如何によって、TEPPが検出されている段階でも、トリエチルピロホスフェースがその検出限界を下回って、検出されないということもあり得る。そして、事件当時の三重県衛生研究所のペーパークロマトグラフ検査においては、対照検体の方がはるかにトリエチルピロホスフェートを検出しやすい条件下にあったのに、「うすい」という程度(量が少ないことを示す。)にしか捕捉できなかったのであるから、対照検体以上に希釈が行われ、検査までの時間が経過している事件検体(本件ぶどう酒)においては、検出限界を下回り、ペーパークロマトグラフ上に検出されなかったとしても決しておかしくない。したがって、原決定が言うように、本件で使用された毒物(農薬)がニッカリンTでなかった可能性が高いということはできない。有機燐テップ製剤であるニッカリンTが本件犯行に使用された可能性も十分に存ずる。新証拠3の証拠価値は、結局は、以上のようなものと判断される。 3 新旧証拠を総合した確定判決の検討 (1) 確定判決が犯行の場所と機会に関する状況証拠により請求人が本件犯行を行ったものと認定できるとした点について 以下の状況事実によれば、確定判決が犯行の場所と機会に関する状況証拠により請求人が本件犯行を行ったものと認定できるとしたことは、まことに正当である。 ア 請求人以外の者には本件ぶどう酒に農薬を混入する機会がなく、その実行が不可能であったこと 本件は、本件ぶどう酒の瓶の中に有機燐テップ製剤が混入されたことによって生じた事件であるが、これが混入されたのは、ぶどう酒の製造過程や流通過程でなく、三奈の会の総会の開かれた事件当日のことであり、三奈の会会長宅に本件ぶどう酒が届けられてからのことであることが、すでに明らかとなっている。 請求人以外の者には本件ぶどう酒に農薬を混入する機会がなく、その実行が不可能であったといえるのかどうかを判断するについては、ぶどう酒に農薬が混入された場所を特定することが重要となるが、耳付き冠頭(外栓)、四つ足替栓(内栓)、封緘紙の紙片の状態、発見状況等々を検討すると、公民館の囲炉裏の間付近で最初の開栓があり、その際に毒物(農薬)が混入された(犯行が行われた)という確定判決の判断は、正当である。 原決定は、公民館における封緘紙を破っての開栓の前に、三奈の会の会長宅にぶどう酒が届けられてから、請求人がこれを公民館に運び出すまでの間に、偽装的な開栓があり、その際に毒物が混入された可能性があるというが、証拠物の状況からは、公民館囲炉裏の間付近での開栓は、封緘紙に覆われている耳の部分と封緘紙を一気に開けるという、通常の宴会の過程での開栓方法とは異なる方法により開けられたことが認められるのであり、これを最初の開栓と見るべきであって、その際毒物が入れられたと考えるのが相当である。 加えて、今回新証拠1によって示されたような偽装的な開栓方法によった場合は、栓抜きが当たったことによる痕跡が耳付き冠頭や四つ足替栓に残ると考えられるが、本件で発見された耳付き冠頭や四つ足替栓にはそのような痕跡は見られない。 さらに、本件四つ足替栓(内栓)には、歯形様の痕跡があるが、この点も偽装的な開栓があったとみることとは矛盾する(原決定は、公民館の火鉢の灰の中から発見されたこの四つ足替栓は本件ぶどう酒の瓶に装着されていたものに間違いない) そして、関係証拠によれば、本件ぶどう酒が請求人によって公民館に持ち込まれて以降、この公民館においてぶどう酒の中に農薬を混入することのできた者は、請求人以外にはいなかったのであるから、請求人以外のものが本件犯行を行うことは不可能であった。 イ 請求人は、実際に犯行を行うことができたこと 請求人は、ニッカリンTを購入して所持していたのであり、本件事件後、ニッカリンTは所在不明となっている。請求人は、そのニッカリンTを使用して犯行を行うことが実際に可能であった。新証拠3やその他の証拠を併せて検討しても、その判断は変わらない。 さらに、請求人は、本件ぶどう酒を公民館の囲炉裏の間に持ち込んで以降、一旦公民館に来た三奈の会女性会員の1名が会長宅に向かい公民館を出てから戻ってくるまでの約10分間、公民館に1人でいたことが認められ、この間に犯行を行うことが実際に可能であった。 ウ 動機となる状況が存したこと 請求人と妻チエ子の夫婦関係が相当に悪化していたことは明らかであり、請求人において、チエ子を殺害する動機となりうる状況が存在したことが認められる。ヤス子とは、いわゆる不倫の関係、三角関係となっていたのであるから、それを精算するという意味で、ヤス子を殺害する動機となりうる状況が存在した。 エ 請求人が偽装供述を行っていること 請求人は、チエ子が犯人であるとし、ぶどう酒に何かを混入するのを目撃したという虚偽の供述まで行って、妻を犯人に仕立て上げようと下のであるが、この事実も請求人が犯人であることを推測させる重要な事実である。 (2) 確定判決が請求人の自白に任意性と信用性が認められるとした点について 確定判決の自白に関する判断は正当である。その点は、自白に至った経過とその自白の内容から明らかである。 ア 自白に至った経過とその評価について 最初に、請求人が自白した調書は、昭和36年4月2日付けの司法警察員に対する供述調書である。請求人は、4月2日の取調べにおいて、前日に引き続いて、妻チエ子が犯人である旨の虚偽の供述を行い、その旨の供述調書2通が作成されたが、その後の同日午後7時過ぎからの取調べにおいて、自らが犯人であることを自白した。そして、最初の自白調書は、翌4月3日の午前1時40分ころまでの間に作成された。この供述調書は、犯行に至った動機から、犯行状況、犯行に使用した毒物等の準備状況、犯行隠微行為等の全般にわたるものであり、供述を補足する図面3通も作成添付されている。短時間に作成された点だけからいっても、請求人が自ら進んで供述し作成されたことは明らかである。また、わざわざうそのストーリーを創作するまでの時間的、精神的余裕もなかったと思われる。 イ 自白の内容について 請求人の犯行状況に関する自白は、四つ足替栓、耳付き冠頭、封緘紙片大、封緘紙小等物的証拠や客観的事実に裏付けられ、これらとよく符号している。また、請求人が本件ぶどう酒を持って本件公民館に至り、事件発生前の総会開始前に囲炉裏の間において特段の用事もないと思われるのに約10分間1人でそこに居続けたこと、請求人が囲炉裏の間において、女性会員が持ち込んだ柴を燃やして湯を沸かしたこと、請求人が犯行に使用したと供述した有機燐テップ製剤のニッカリンTが、その現物は発見されなかったものの、請求人がこれを購入し請求人方に保管されていたこと、そのニッカリンTが事件後には請求人方のどこからも発見されず行方知れずになっていること、請求人の自白にかかるニッカリンTの注入量が本件で発生したような結果を招く毒性と矛盾しないこと、以上のように犯行の前後にわたる状況について、その裏付けとなる多くの客観的事実が存在する。なお、原審において提出された新証拠3によれば、前記のとおり、本件ぶどう酒に注入された毒物について、ニッカリンTでないという可能性があることが示されたが、ニッカリンTであった可能性が否定されたわけではない。上記のニッカリンTに関する客観的事実は、請求人の自白の信用性を補強する意味を失っていない。請求人の犯行の動機に関しても、補強証拠が存在する。 ウ 自白が信用できるとした確定判決の判断は正当であり、この判断は新旧証拠を総合して検討しても変わらない。 4 原決定の判断について(検討の結論) 第3 結論 以上の次第であって、請求人が提出した証拠の一部(新証拠1ないし3)について、無罪を言い渡すべきことが明らかな新証拠に該当するとして、再審を開始し、刑の執行を停止した原決定の判断は失当である。その他の提出証拠を総合して検討しても、再審を開始する自由は認められない。 |