「テレカ持ってねえ!? 誰かテレカ!」
 談話室に飛び込んできた日向の叫びに、ソファの背もたれに腕を乗せて反町が振り返る。
「ないでしょー! 今どきテレカは!」
「あ俺、そういやなんかの懸賞で当たったのまだ持ってるかも」
 小池が言って立ち上がった。日向は度数ゼロ(多分)のカードを片手に、ドアを出て行く小池を軽く拝む。
「あー、日向って携帯ないんだっけ」
「プリペイトの買っちゃえば? 着信だけでもそこそこ便利よ?」
 んー、と煮え切らない顔で日向は頭をかく。
「ってほど、使う事もねえと思うんだよなあ」
「まあ確かに日向の交友関係、スゲー限られてるけど」
「待ち合わせすらしねえもんな」
「緊急で捕まらねぇって確率も低いもんな」
 これは日向が『オトモダチが居ない』という意味ではなく(なく!)、寮と学校とクラブハウスの円内でほぼ生活を送っちゃってるせいである。捕まえたい時に居る場所の想像が容易くつく上、外出も誰か寮生と一緒に出かける場合がほとんど。なので、『待ち合わせ』の必要自体がそもそも発生しない。
 そうこうする内に小池がパンチ穴の幾つか空いたテレカを持って戻って来た。
「ちょっと使っちゃってんだけど。足りる?」
「足りる足りる。つか、足らせる足らせる。サンキュー!」
 よほど急ぎの用件の途中だったのか、日向はテレカを受け取り、緑電話のある玄関方面へと駆け戻って行った。
 
 
「さっきのさ、あれって実家?」
 部屋の自分のベッド(二段式下)で寝転がってマンガを読んでいた若島津は、ふと顔を上げて日向の背中に声をかけた。
「ああ?」
 窓際の机に向かって明日の時間割を揃えていた日向は、気のない返事を寄越しながら、引き出しをあちこちバタバタと忙しなく開け閉めした。
「なあ、俺のリストバンド知らね? 青いやつ」
「んなもん知らないよ。ロッカーにでも突っ込みっぱなしなんじゃないの」
「クラブハウスの? あったかなあ、あったとしても今頃カビてんじゃねえかソレ…」
「急に必要?」
「明日から体育がバレーだろ。なきゃないで仕方ねえけど、あったら使いてえんだよな」
 確かにフルパワー時の日向の汗の量は尋常ではない。サッカーでは特に困らないだろうが、手を使う運動だったらできればリストバント必須といきたいところ。
「じゃ俺の使う? そっち、そこの引き出しの二番目んとこ。赤いの」
「おー、借りとくわ。サンキュ」
 若島津のクロゼットの引き出しに手を伸ばして、日向はすぐに目当てのものを抜き出した。
「ちゃんと洗って返して下さいよー、って、だから。なあ、実家?」
「え?」
 ここでやっと彼は若島津を振り返った。
「ああ、電話?」
「そう」
「うん、…実家」
「ひょっとして母の日関連?」
 日向は気まずそうに目を泳がせた。追求が本気で気まずいと言うより、気恥ずかしいからという気持ちが強いらしい。それが分かっているので若島津も遠慮なく食い下がる。
「テレカ限界って、なんかモメたの? 直子ちゃん? タケくん?」
「やー、直子が。今年はタケや勝と方向性がまるで食い違ったらしくてさ」
「ほーこーせー?」
「アクセサリとか香水とか──装飾系っつの? そっちがいいって直子と、実用品がいいってタケたちと…なんかとにかくぶつかって」
「で、長男にここは一発味方しろと」
「一口で言やそーいうハナシ。そんなん俺に分かるかよって。現物見てもいねーしよー…」
 ぶつぶつ言いながらもそれほど『ご長男』は嫌そうではない。
 日向の家では『母の日』『母の誕生日』は二大重要イベントの位置付けで、毎回こうして兄弟全員が協議の末に何かを贈る習わしとなっている。毎回意見が割れたり予算の問題だったりでそこそこ揉める。その話を聞くのが若島津は好きだった。日向本人はからかわれているのと紙一重らしいが、若島津としてはその意識はない。
「どうせ買いに行くのって直ちゃんっしょ? だったら直ちゃんの意見を通すほうがいいと思うけどなあ」
「それはそうなんだよ、正論なんだよ。でもそう俺が言い切っちゃうとタケと勝も面白くねえだろうし」
 赤いリストバンドをくるくると指先で回し、日向は深々と嘆息した。
「電話終わったってことは決着ついたの?」
「とりあえず直子とタケがそれぞれ写メって、お互いに見てから決めるって話に。あ、もしかしたらお前の携帯に写真送るって。ごめん、これ事後承諾」
「いやいや。いいっすよー。ふうん、楽しみー」
 そこで日向は顔を上げて、心底に不思議そうに首をかしげた。
「楽しいのか?」
「楽しくない?」
「なんで」
「なんでと言われても…。うーんなんだろ、そういうメールもらうのって俺も混ぜてもらってるみたいで楽しいかなって、ちょっと」
 少し日向は考え込んでいた。眉をしかめて、何か言いかけてやめて、口許に手の甲を当ててまたしばらく悩んで、結局は口にする。
「───お前、」
「うん」
「ひょっとして、…あのさ」
「うん?」
「……直子、のこと、結構タイプとか…?」
 この質問はいくら何でも予想外だった。本気で驚き、若島津は肘で開いていたマンガを放り出した。
「ええーッ!? 女の子として!? ナイナイナイナイ! あり得ないッ!」
「ナイのかよ! そこまで力いっぱい否定すんなよ!」
「どっちがいいんだよ!」
「どっちもヤだよ!」
 アホか、無茶言うな。呆れて若島津が睨み返すと、言った日向も自分で軽くパニクっているふうだった。
「あのね。可愛いとは思うよ、女っぽくはないけどセーカク明るくていい子だとは思ってるって。けど俺にも妹みたいなモンだろう、そーいう対象とは違うってハナシ!」
 だいたい日向みたいな兄ちゃんが居る時点で、かなりの度胸と根性がいる相手だとも思う。とは、日向がキレそうなので若島津は言わないでおく。
「や、そこも今一瞬ムカついたのは本当なんだけどよ! 違う、ごめん、メインはそっちじゃなくて、あーと」
 あー、俺は何言ってんだー!、と日向は頭を抱えて椅子に腰を落とした。
「日向、ひょっとしてさ。……やきもちっすか?」
「……う」
「てめぇの妹に!? ナイナイナイナイ!」
「黙れ馬鹿、うるせぇ!」
 いかん、やっぱキレちゃった。自分から振った話題でキレんなよー、と若島津は思いながらも、仕方ないので本格的にベッドから体を起こした。
「何でそんなとこで怒んのよ。じゃあ俺がどう答えたら納得すんの」
「納得っつか…。つうかな!、お前、女子とか苦手だろ。喋るの嫌がってたりすんじゃねえかよ。なのに直子の話だと……聞きたがるしよ」
「女子が苦手なんじゃなくて追っかけギャルが苦手ってことでしょ。クラスの女子とは喋ってるよ」
 第一、それは日向だって一緒のはずだ。若島津個人に限った話ではない。
 あと、『日向の妹』の話だから聞きたいんだけどなー。もしくは、『日向と家族』の話が好きなだけなんだけどなー?、というのはどこまで正確に伝わるだろうかと首を捻る。そしてそれをきちんと言ってやるより、他の疑問がふと脳裏をよぎる。
「日向、もし、なんだけどさ。──もしも、でさ。俺と直子ちゃんが本気でくっついたらどうする? 反対?」
 瞬間、日向は口から何かを吐き戻しそうな顔になった。胃の内容物ではなく、胃袋含んだ内臓全部が出そうなというか。
「……マジで?」
「まあ、もしも、の場合のマジで」
 蓋をするように日向は口許を右手で覆って俯いた。
「日向さーん? もしもしィ?」
「ちょ、…ごめ、ま、」
 空いてるほうの掌を若島津に向かって突き出して、「今ちょっと待て。答えられない」をジェスチャーで表現する。顔色もなんかドス黒くなってるみたい。
 ああ、これはさすがに苛めすぎたかも。ウソウソごめん、と若島津が謝罪を切り出そうとするのとほとんど同時に、いきなり「ドガッ!」と凄い音が部屋に響き渡った。それは日向が勉強机に拳を叩き付けた音だった。
「ひゅ……ひゅうが…?」
「──っ、……」
 本気でビビって若島津は体を後ろへ逸らせる。前髪で隠れて日向の表情は読めない。いやこれはビビる、ビビっても仕方のないすげぇ迫力。
 やがて、日向は掠れた音で息を吸って吐いて、低く低く低く「…わりィ」とだけ声を絞り出した。
「え、…はい?」
「俺、──ダメだ。わりィ」
 その声の調子に本格的な(色んな意味での)ヤバさを感じ、若島津は思わず中腰になって日向の顔を覗き込んだ。
 うわお。
 本日、何度目かに驚いた。掛け値なしにこっちも口から何かが飛び出しそうに驚いた。
 なんと日向は───しかめた眉の下で涙目になっていた。
 若島津が仰天でそれを見ているのに気が付き、日向は嫌そうに前髪を振ってまた目許を隠した。体ごと姿勢を捻って、とにかく若島津の視線から逃れようとする。
「ひゅうがぁ…?」
「ウゼぇ。お前、も、ホントにウゼえ。──ほっとけ」
 ウゼえは失礼な。いやこっちも悪かったんだけど。日向がどれだけ家族が大事か知ってて、意地悪しちゃったなーとは思ってるけど。
 あらまあ、どうしよう。双方、なんか妙に引っ込みが付かないこの雰囲気。気まずいなんてもんじゃない、『チョー』気まずい。
 なので、若島津は手っ取り早い懐柔策を行使することにした。手っ取り早いけど滅多にやらない(やったらきっと威力が落ちる)、最強最速の懐柔策。
「ぉわあッ!」
 日向の横に立ち、後ろ髪を鷲掴んで顔を上げさせ、強引な角度から強引なチュー。
「おま、な、…」
 無理に喋ろうとする日向にも軽くムカついたので、大サービスで舌まで入れた。そこまでやったら完璧に日向はオちた。今度は若島津のほうが息を呑む強引さで頭の後ろと腰に腕が回され、互いに酸欠限界までの濃厚なチュー。
 おまけに若島津は変な体勢で腰を捻っていたので、唇が離れた瞬間に盛大によろけて、日向と机に向かって肩先から突っ込んだ。
「…げ、ぐぇっ」
「ぶはっ」
 濃厚なラブシーンらしからぬ声を同時に上げて、二人してゲホゴホとしばらく咳き込む。あげくに日向が呟いたのは、
「参ったかこんちくしょう…」
「……はあ? 意味わかんないし! どう見ても俺の勝ちだろっ」
「勝ち負けの問題かっ」
「お前が先に持ち出してんだよ!」
 ───って、日向よ、ジーンズのケツ触んな。
 若島津が後ろに手を回して日向の甲をつねると、「アイテテテッ」と叫んで日向は手を離した。
「何なんだよ。ホント、お前わけ分かんねえよ」
「そこまでやれるか。明日俺だって体育だよ」
「どこだよ『そこ』って」
「てめぇの胸に手を当てて聞いて下さい」
 ギャグで日向は言われた通りに胸に手を当て、「ああ、そこか」と最悪のボケをかました。
「さすがに…休日前じゃねえのにそこまでは」
「信用出来ねー!」
 叫んで、若島津はとりあえず立ち上がろうとした。だけども日向が腰に回した腕をほどかない。
「ちょっと。おい、だから。言ってることとやってることが」
「スキンシップ、スキンシップ」
「過剰なんだよ、日向はっ」
 この野郎、マジで離せ。
 若島津が日向の顎を肘で押し退けようとすると、させまいとした日向が腕に力をこめ直したので、何だか余計に密着する羽目に陥ってしまった。
「……若島津、お前さあ……」
 おまけに肩口に顔を埋め、またも変にセンチな声を出したりする。こうなると心情的にも振りほどきにくくなって、仕方なくハイハイハイと若島津は日向の肩に顎を乗せた。
「お前さあ…、ああいうの、ヤメろ」
「ああ……うん」
「俺、困るから。困らせたいだけなんだろうなって分かってても、マジヘコむから」
「だからって泣くほどのこっちゃないでしょーが」
「泣いてねえ…っ」
 泣いてたよ。バッチリ。
 本当は若島津はもう少し突っ込みたかった。妹にカレシが出来るのと、俺にカノジョが出来るのと、どっちのほうが日向には衝撃なのかと。知らない誰かと俺がくっつく場合と、自分の妹とくっつく場合と、どっちがより『イヤ』なのかと。お前の大事な家族の幸福ぶち壊してでも、俺を手放したくないと本気で思うか、と。
 ───最後のはこれは大概に自分もセーカク悪い。
 自覚があるので言わなかった。日向の家族を自分も大事で、そこに混ざるとその幸福を分けてもらえる気持ちになって、なのにたまーに…ちょっと俺もヤキモチ焼いてんだな、ということまで、この瞬間にハッキリ自覚せざるを得なかったので。
「…ごめん」
 日向にそれが全部伝わらないのを承知の上で、若島津は日向の耳もとに口を寄せて囁いた。ついでに、まあもうちょっとサービスもかましてやる。ぎゅっと日向の頭を一度抱えてやったあとで、膝を床に付き直し(日向が腕を弛めてくんないのでなかなか難しかった)、額を触れ合わせてから今度は軽いキス。
 日向がどこまでどう思ったのかは分からない。だが懐柔される気になったのは確からしい。膝の間に若島津の体を下ろし、若島津が自分の膝にもたれる姿勢を容認した。溺れかけた人間みたいに若島津に巻き付いていた腕はやっとほどけた。
 
 好き、の気持ちの持続って、たまに時々難しい。思い続けることだけじゃなくて「バランス」が。自分は日向を好きだし、日向は自分を好きだし、キスはしょっちゅうするしセックスだってする。
 それでも日向とすれ違うことはあるし──何より日向の「好き」って、少し強迫観念みたいなのが入ってんじゃねえかなと若島津は思うことがある。
「……寂しいのかなあ…」
 つい口に出して呟くと、当たり前だが速攻で返される。
「誰がだよ」
「あー、俺が?」
 見上げながら笑って言うと、これはもう誤魔化したのがバレバレで、日向はチッと舌を打った。
 ん、でも半分は本気だ。変な話だ。二人で居るのに、こんなにくっついているのに、両方でちょっと寂しいってのは馬鹿ばかしいし間抜けすぎだ。
 そう思ったらまた素直に笑えた。
「ホンット、お前って分かんねえ…」
「大丈夫、俺も分かんない」
 自分のことも、時々は日向のことも。
 
 だからお前と寝るんじゃねえかな、というのもやっぱり言わず、とりあえず三度目のキスで若島津は自分も日向もまとめて煙に巻いた。



















08.06
日向が「カワイイ」と寸評を頂きまくった1本。お兄ちゃんなクセに寂しがりやという…。
「キス3回やっててここまで色っぽくないのも凄い」的な意見も頂きました。私もそう思います。あっれぇ。
 

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