「秋深し、隣は何をする人ぞ……」
「隣の柿はよく客食う柿だー」
「食うな!」
 若島津は手にした雑誌で、隣に座っていた反町の肘を引っぱたく。
「あれ、今オレなんつった?」
「柿が客食うなよ、どんな柿だよ!」
「客食えば」
「か、……かねがなるなり法隆寺…っ?」
「ああうん、金が成るの。小銭じゃなく札で。法隆寺の柿の木に」
「なるほど、場所が場所なだけに旧1万円札で」
「ショートクタイシの札がね、こうギッシリと」
「カオスってんなー」
 
 うるせぇッ!、とそこで日向は顔を上げて、テーブルの向かいに座る若島津と反町を怒鳴りつけた。
「さっきからお前らいい加減にしろ、邪魔してんじゃねえよ!」
 だって暇なんだもん、と反町は顔に書きながらホウジ茶の入ったヤカンに手を伸ばした。
 ここは夕食後の食堂で日向がさっきから必死に写しているのは反町のノートで、期末試験は来週だった。
「だから写したらすぐ返すっつってんだろ! ここで見張るな!」
「そう言ってて日向、こないだ返しに来たの朝だったじゃんよ!」
「……あのさー、反町もそこまで言うんなら日向にノート貸さなきゃいいんじゃないの。授業前日、わざわざ狙って写そうとする日向もおかしいけどさ」
「狙ってねえ!」
 たまたま、思い出すのがいつも前日になってからなだけだったりして。翌日の時間割りを確認の時に。(それは正確には「たまたま」とは言わない)
「それより今! この切羽詰まってる時にだぞッ そんな正論吐いてお前は何してぇだよ、俺の首を締めてえのか!?」
 めっそうもない、と若島津は反町の湯のみを横から奪い取ってホウジ茶をすすった。
「ああ俺、古典取ってなくて良かったなーと、自分の幸運を噛み締め中……」
「漢文よりマシだろ」
 横でボヤいて反町は湯呑みを取り返す。選択授業、反町と日向は古典でここでは若島津のみが漢文だった。
「そう? 漢文の方がある程度の法則あってラクだけどなー。勘がきくし」
「漢文はなー、字画数のインパクトでまず俺は吐き気が」
「全部覚えようとすっからだよ。雰囲気でそこは流す!」
「いやもうマジでズラズラ漢字が並んでるだけでダメよ、読む気ゼロにさせられるもん」
「意味不明な平仮名並んでる方が俺はキモイけど」
「───だっ、かっ、らっ、無駄バナシくっちゃべるなら談話室にでも行けよお前ら! 何で俺の目の前で邪魔しくさってんだッ」
 キレかかった日向が机を叩くと、わざとらしく二人は首を竦める。
「……あー、俺もなんかベンキョー道具持って来よっかなー…」
「え、日向待ちの俺はともかく若島津は自分の部屋でやりゃいいっしょ」
「一人で? 寂しいじゃん」
「アホか」
「さーびーしーいーんーだもーん!」
 テーブルに置いた雑誌に、グダグダと若島津は突っ伏した。
「お前、単に試験勉強やりたくねぇだけだろ」
 呆れたように反町は言ったが、ある意味で若島津が本音を喋っているのを日向だけは(多分)知っている。
 若島津は異常なまでに寂しがりやだ。それも不定期に。前触れなく。
 やたらと人にベタベタしたがるかと思えば、トートツに孤独を愛したりなんかもする。機嫌が悪いってんでもなくカーテン引いた二段ベッドにこもったかと思えば、同じ布団に潜り込む勢いで日向にひっついて絡んだりもする。その周期はまったく謎。敢えて挙げると寒い時期には絡まれる事が多いような…?
 
「頼む。お願いです。──あと10分でいいから俺を静かにほっといてくれッ!」
「ホントに10分? 計っちゃうよ?」
 若島津の真顔でのこの言い種に、さすがの反町も呆れたように首を振った。
「……若島津、お前さあ」
「何だよ」
「なんかマジで日向に同情したくなってきたな」
 だろう、と日向は目で反町に訴える。反町は仕方なさそうにため息で立ち上がった。
「若島津。談話室行こ」
「えー…。移動メンドくせぇ…」
「お前、さっきから言ってる事がムチャクチャ矛盾してんだよ! いいから立て、俺が構ってやるから!」
 だから日向はさっさとそれ写し終われ!、とこれも目で合図し、反町は若島津の腕を引っ張り上げた。
「構うって何だよ、構うってのは…。俺はペットの犬猫か」
「すんばらしく的確な表現ですねそれは。───ほら、いいから行くぞ!」
 犬っちゅーより、やっぱ猫だな。あの気紛れさは。
 食堂を出て行く二人を見送り、日向はとりあえず手許のノートに頭を戻した。
 
 
「あ、日向ー。若島津寝ちゃったー」
「……見れば分かる」
 談話室の一角のソファを見下ろし、日向は脱力気味に呟いた。文字通り猫のように丸くなって、そこには若島津が寝こけていた。
「これ。サンキュ」
 日向の渡したノートを受け取り、よっこらせと反町は隣のソファから腰を上げた。
「んじゃ! おやすみィ!」
「ちょ、このままで行くのかよっ!?」
「日向来たんだからいいじゃん。ヤだよー、こいつ無理に起こすの。機嫌サイテーに八つ当たりすんだから」
 のクセに、捨ておいたら捨ておいたでまた怒るのよねー。
 参っちゃったな、と日向が若島津を見下ろしている間に、サッサと反町は談話室から逃げ去ってしまった。振り返って引き止めようとした時には既に居なかった。
「あー……」
 参っちゃったな。なんか熟睡に近い状態じゃないすかコレ。
 二人がけソファはとんでもなく窮屈そうで、無理に縮めた手足だって零れ落ちかけている。なのに満足そうに、そりゃあもう幸福そうに、若島津は安らかな寝息さえ立てていた。顎と喉の隙間に掌をやったら「んゴロゴロ・にゃあーん」とか鳴きそうだ。が、まがりなりにもここは公共の場。向こうのテレビ近くのソファでは幾人かが歌番組を視聴中。こみ上げてくる衝動と、日向はかなり切実に戦わねばならなかった。
 ため息ひとつ、日向は若島津の肩に手を置きながら屈み込んだ。
「おい。……おい、若島津」
「……。……、…」
「おーい、起きろー。風邪引くって! 部屋戻んぞ、おら」
 薄めの唇がほんの少し動いた。だが反応はそれだけで、また寝息がスースーと音を響かせてしまう。
 起きねぇんだよなあ。この状態から覚醒させんの、マジ大変なんだよなあ。不機嫌さにもだけど、こっちの根気も必要とされちゃうんだよなあ。
 
  実は。
 本当に物凄く「実は!」って話だが、最近、比較的穏やかに若島津を起こす方法を日向は見つけた。やや時間はかかるが(約3分)、普通に起こしたってウダウダと10分以上はかかるんだから、やはりそれは手っ取り早い方法と言えるだろう。
 ただ公共の場では出来ないんだよねー。二人部屋の密室ん中じゃないとヤベェのよねー。
 今は代価案的に──友達として『やり過ぎ』に見えない程度に──若島津の頭に掌を回して、軽く揺さぶりながら声をかけ続ける。
「なあ、起きろって」
「…ン、」
「しまいにゃ蹴り落とすぞ!」
 振動に若島津の眉がしかめられる。やめろよぅ、というふうに腕もようやく動いて、ちぢこまっていた足も片足がソファから落ちて、
「───んー、ムリィ…」
 掠れた声で呟かれる。
「あ?」
「も…ダメ…っ あ、もうムリ、だって…っ」
 ゆるく首が振られる。薄い唇は少し震えて、開いた奥には赤い舌がチロリと覗く。
 どん!、と日向は頭に血が上った。と、別のとこにも血がイくのが分かった。どこってアレだ、下半身の某所にだ。
「わ、かしまづ…ッ!」
 とっさに日向は若島津の小作りの頭を鷲掴み、ソファから豪快に転げ落としていた。
 スウェットじゃないんすよ、今こっちはジーンズなんすよ。そんな状態になったら隠しようがないばかりか、何より激痛走る事必須なんすよ!
「イッテぇーッ!!」
 叫んで若島津は床に転がった。衝撃で額を床に打ったらしい。腕で頭を抱え込むようにして派手に呻く。
「な、…なに!? コレなんなの…っ」
「バカ、おま、何言ってんだよッ!?」
「はあ!?」
 くそマジいてぇ、と呟きながら額をこすり、若島津はやっと自分の状況を飲み込んだ。ここは談話室で自分はソファから床に転げ落ちたのだという現状を。
 ちなみにどうやら『日向が落とした』とは思っていないらしいので、そこに関しては日向は口をつぐんでおく事にする。
「あれ、……俺なんか寝言言った?」
 寝言。ああ寝言、か。そりゃそうだ。
 日向は表情を隠すように屈み直して、とっ散らかしてしまった自分のカンペンを拾い上げた。
「どんな夢見てんだよ…」
 思わず小声で突っ込む。大声では突っ込みづらい。
「…どんな? どんなんだっけ。……んん?」
 若島津は身体をずりずりとソファに持ち上げながら、自分でも不思議そうに首をかしげた。
「あ! 分かった!」
「いい、ここで言うなッ」
「柿が! と、カニが!」
「………かにィ!?」
「カニが! 柿くれたんだよ、すげーいっぱい。で、ハサミで器用に皮剥いてくれんの、もうあり得ねぇっつうくらいに器用に皮だけ剥くの! それがまたスゲぇ量でさ、食えないって断ってんのに人の口に突っ込んでくる勢いでさ! 勘弁してくれって泣き入ったとこで上から臼が降って来て目が覚めた」
 ───なに、そのカオス。
 日向は持っていたカンペンで若島津を一発殴り付けた。
「ちょっ、おい!」
「馬鹿野郎っ!」
「ええー!?」
 
 とにかく起きたんですね。はい。じゃ勝手にしろ。
 くるりときびすを返し、日向は談話室を後にした。


















08.11
キューキョクに馬鹿ばかしい1本。

10月に書き出して、書き終わらない内に秋が終わってしまって、拍手用には結局別のものを書きました。このコーナーで初出し。人さまのお目に触れさせる事を自分でもためらう程の馬鹿ばかしい内容ですいません…(笑)
 

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