大概のお祭り騒ぎでは常にそうであるように、東邦学園高等部サッカー部において、『エイプリルフール』という行事を誰より重く見ているのは反町一樹だった。
 
「なあ、今年はなんか捻って二人で組まね? お前とだったら意外性あっておもろいと思うんだよ。どーもさー、俺一人だともう何やってもインパクトに欠けんだよなー」
「反町、お前…」
「なによ」
「──…凝りねえなあ…」
 心の底から若島津はため息をついた。
 昨年の四月一日。反町は部活練習中、利き足に怪我をした。派手にコケて腱を痛めた。だがあまりにそれが『豪快な』コケ方だったのと、毎年毎年の悪行が祟って、すぐには誰一人として助け起こそうとはしなかった。コーチすらもスルーした。
 いつまでも立たずに呻き転がる反町を見かね、《お前やりすぎだって!》と島野が肩を支え起こしてからようやく皆が気が付いた。反町の額に浮かぶ脂汗がホンモノだという事を。
 それでも若島津などはまだ疑っていた。コーチの車で反町が病院に直行し、脹ら脛がテーピングでぐるんぐるんの状態で戻って来た辺りでやっと信じた。あ、マジだったのね、と。
 そんな若島津を反町は口をとんがらかせて《冷てぇ!》と責めたが、ぶっちゃけ罵られる筋合いはないと思う。わざわざこの日に怪我するお前が悪い。毎年毎年、飽きずもせず下らないネタをぶち上げて、あの手この手で人を引っ掛けようとしているお前が悪い。
 反町には以後しばらく、『狼少年』という徒名が進呈された。
 あげくに今年は片棒担げと言われたところで、
「俺はパース。ぱすいちー。島野とでもやれば」
「シマは駄目だって。ノらねえ、──って以前にあいつ演技ヘタだもん」
「はあ? 俺だって上手かないよ」
「お前は演技っつうより、嘘つくの上手いタイプだから。うん、ダイジョーブ」
 失敬な太鼓判に若島津は本気で眉をしかめた。
「てな理由で日向もバツな! 小池と俺だといかにも過ぎだし、お前と組むのが一番意外性があんだけどなー」
「意外性、ねえ…」
 それが『引っ掛け』の第一条件なのは分からなくもない。……が。
「だってお前、自分が引っ掛けられんのはキライっしょ? 小ネタきかせ過ぎなギャグもキライっしょ? ノリノリで何かやらかすのも面倒がるし? とかいうお前が壮大なギャグにてめぇからノッたら、これはインパクトでけぇと思うんだなあ」
 こいつは何を一見は真面目に論じてるんだ。もちょっと別の方向に頭を使え。
 再び呆れて若島津はため息をついた。
「───反町。お前、今ひとつだけ真実突いた」
「ん?」
「メンドくせー。勝手にやれ」
 ちょ、若島津ッ、とか叫んでる反町を置いて、若島津は肩口でヒラヒラと手を振りながらそこを後にした。
 
 
 結局、反町は小池と組む事にしたらしい。明けて翌日の一日(ついたち)、小池の「おい、反町が親父の都合で海外に転校するかもって!」という大変に分かりやすいウソから『エイプリルフール』は幕を明けた。
 これは実はなかなかよく出来た二段構えで、「まーた小池は簡単に騙されやがって」と皆がまず思って、その後に反町自身が「バッカ、寮に居んのに親父の都合で転勤はねぇだろが。俺一人残ればいいんだからさー」「あ、そっかあ」と続いて、「まぁ今すぐじゃねえけど…三年に上がったら、短期ブラジル留学するかもって前提のハナシな。ちゃんと最後まで聞いてけって」「え、留学? マジに?」「うん、退学…よりは休学にした方がいいのか迷ってんだよなあ…。やっぱ高校卒業資格くらいはあった方がツブシ利くかあ?」なんて会話を二人が何気に真顔で始めたもんだから、うっかり島野も「マジ!?」と叫び返して、何かのパンフを開いた反町の手許を覗き込んだ。後で聞いたが、それは駅やなんかにある海外旅行のパンフをこれみよがしに開いてみせただけだったらしい。『ブラジル』の字がチラ見えしたので、まんまと島野と松木辺りは引っ掛かった。
 そこまで用意した反町にはひたすら呆れる。本気で「てめぇ、他に労力使え」と若島津は思う。
 だいたい微妙に、そのウソは自虐──な気がしないでもない。反町が案外と真面目に海外志向なのは、部員なら周知の事実だったりなんかするのだから。
 小池は小池で、『いつもは反町に引っ掛けられまいと一日ビクビク』していたのが、早々につるんで他人を引っ掛けたおかげで気が弛み、かるーくコロっと夕食後の談話時間にまた騙された。「ナッキー、別に出てねーじゃねえかよーッ!」と怒鳴りながら談話室から食堂に戻って来た。お前の大好きグラビアアイドルがテレビに出てるぜ!、と反町に耳打ちされて、ハシャいでテレビの前に駆け付けたらしい。
 
「次から次へとようやるわ…」
「でも俺個人は騙しに来ないんだよな、反町って」
 相も変わらず、食堂のテーブルで人のノートを写しながらの日向が首をかしげる。(本日のお題は春休みの宿題なり)
「それは……」
 向かいの椅子でプリントの回答欄をつついてた島野と若島津は、思わず顔を見合わせた。
「あん?」
「…以前、日向が死ぬほど怒ったからだろ……」
「───だっけか?」
 中等部の頃にねー。「日向タイヘンだ、実家のおばさんからなんか凄く慌てた電話が!」ってのを反町がやらかし、日向が血相変えて受け付けに飛んでったらもちろんウソで、「てめぇ、付いていいウソとマズいウソとあんだろう!」と胸倉掴んで怒鳴られてから、日向個人に対するエイプリールは反町としては控えている、らしい。
「あー、あれな…。あれはでも、マズいだろ?」
 ちなみにその頃の反町は、日向が母子家庭だとか、日向が死ぬほど家族思いだとかはまだ知らなかった。にしても、確かにタチの悪い部類のウソではある。
「そこに関してはいい教訓だったんじゃないすかねー。『罪のない嘘』の基準があいつにも分かってさ」
「うん。けっこー大事な話だよな。エイプリルフールを極めるためには」
「いや別に極めてほしくはないんだけどさ」
「極められてもウザイしな……」
 でも、そーね。毎年ああやってハシャがれちゃうと、こっちもそこそこ『身構える楽しみ』なんてのを味わっちゃってんのかもしんないね、と。
 三人して諦観とも突き放しともとれる漠然とした笑いを漏らす。ええ、思ってます。それこそが反町の反町たる由縁だと。よく言えばムードメーカー、悪く言やお調子モン。一チームに一人ならああいう奴も悪くはない。───二人居たらメーワクだがな!!
 
 
 意外性。……意外性、なあ。
 消灯後、自分の布団の中で若島津は目覚ましのスイッチ入れながらまだ考えていた。あと数時間で今日が終わる。
 あの時はサラーッと流したが、『意外性』ってのは、もしかして自分が面白みのない人間と評されたのと同義語なの?、なんつって。(本人分かっていないが、彼は彼なりに天然っぷりを時に発揮し、周囲に和みと諦観を振りまきまくる事がある)
 罪のない嘘、というのも言いえて妙だ。嘘は嘘じゃん。いわば『罪がある』『ない』は言った本人の意図とは関係がなく、言われた方の感覚や状況によって判断がなされる。そこらは常識によって判断しましょう、…みたいな感じ?
「オイ電気消すぞー」
 ベッドのカーテンの向こうから日向が声をかける。「んー」と返事して時計を置いて、若島津は一端は布団を肩まで被った。それから電気が消えて、日向が梯子を上がって行く気配がして、……
 若島津は起き上がった。『意外性』、いっちょ試してみたくなりました。なんたって年に一度の行事だしな!(ここいらの感覚は大概に反町に毒されてきてる)
 そうっとベッドから抜け出し、細心の注意を払って音を立てずに梯子を上り──これは結構大変な作業だ。なんたって梯子はボロい木製だ──半身を柵から中に無理して乗り入れ、寝つきのいい日向の耳元に口を寄せる。わざと少し舌っ足らずの言い方を心がけ、
「ひゅうがぁ………。さびしーから、今日いっしょに、寝よ?」
「──ッ!?」
 ドガバァッ!、と日向は飛び起きた。若島津が跳ね飛ばされて下に落ちかねん勢いで飛び起きた。
「ああーっ!? どしたのお前ッ!??」
「デケぇ、声デケエよ…っ」
「何ソレ、何かわいい事言っちゃってんだ!? どうした何があったんだよ、いいよ来いよ入れよバカ!」
 最後のバカってのはなんデスカ。しかし若島津は反論する間もなく、肩を掴まれ布団の中に引きずり込まれた。
「ちょ、ちょっと待った日向!」
「ヤベー…。若島津、超ヤベーぞお前……」
 ぎゅうぎゅうぎゅう、と凄まじい力で抱き込まれて若島津は息をするのもままならない。肘、お前の肘が俺の口と鼻を塞いでるんじゃあ!、と必死の抵抗で何とか腕をズラさせる事には成功した。
「ぶ、…ぶは!」
「あ、ごめん」
 マジで殺す気かこの野郎。お前が渾身の力で抱き着いてきたら肋骨いくわ。という文句羅列も言葉もまだ口に出来ずに、若島津はゼイゼイと息を吸い込んだ。
「きょ、きょう……」
「今日? なんかあったっけか? どーした、んー…?」
 猫を撫で回すように若島津を撫でくりながら、日向は頬までこすり付けてくる。
「俺がいるって、…な?」
「じゃ、なくてッ! 今日、エイプリルフール、だろって!」
 ん。と日向の動きが止まった。
「……だから?」
「え、…だから、──…罪のない…嘘?」
 と、俺の『意外性』の確認みたいなー…。
 
「それ、この状況でギャグか?」
「いやマジ」
「…どこから?」
「は?」
「どっからお前のエイプリルフール?」
 は、梯子上ったとこから。
 
 失敗した。『罪がない』の範疇には治まらなかった。
 暗がりで顔はよく見えないながら、日向の血管が「ブチブチブチィ!」と切れた音を若島津は聞いた気がした。
「てめぇなあ……」
「う、……うん」
「男の純情、ナめてんじゃねえぞお!?」
 きゃー。
 ───キャー!?
 大きな掌でいきなり口を塞がれ、枕に頭を深々と沈ませながら、若島津は心中で悲鳴を上げまくっていた。日向の動きに迷いはなかった、まったくもって容赦のない速やかさで、若島津のスエットの下にもう片方の手が潜り込んできた。
 きゃー………。
 
 
 翌朝、若島津は朝練がないのをいい事に盛大に寝坊した。頭痛(泣きすぎ)と腰痛(言わずもがな)で昼飯食うのも億劫だった。そして深く深く猛省をした。
 ───慣れない事はするもんじゃない、と。
 













09.04.
いつもの人達でエイプリルフール。
 

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