「あいつら何やったの?」
「……さあ」
 舎監室前の長廊下、ズラリと並んで正座させられている面々を見て、他の寮生たちは首を傾げる。横には仁王立ちで寮監のおっちゃんは居るし、『私語厳禁!』と大書きされたコピー用紙が壁には貼ってあるしで、話し掛ける者は当然いない。ヒソヒソと囁きを交わしつつ、極力目を合わせないようにして前を通り過ぎて行く。
 
 
「くそ、死にてえ…」
「バカ。この程度で死ぬな」
「お前はな…ッ」
 隣で膝を揃える日向に怒鳴りかけて、若島津は逆隣の島野にこづかれた。「声押さえろ」と鋭い横目で注意をされてグッと黙る。そのやり取りにまた日向が鼻で嘲笑うような気配がしたりなんかして、余計に腹立ちが込み上げる。
 
 四月頭。桜の季節。
 言い出しっぺは日向だった。関東は今日明日が満開でしょうと、朗らかにお天気おねーさんがテレビで言うのを談話室で見ていたら、「ヨシ行こう」と横で突然に言い出したのだ。ちなみに始業式は翌日だった。
「え、週末?」
「今日。だって今日が満開なんだろ」
 今日って。思わず若島津は談話室のソファで首をねじり、斜め後ろに位置する壁時計を確認した。短針はもうすぐ10時に回ろうとしていた。て事は、必然的に消灯時間ギリギリだった。
 いかな春休み中とは言え、真っ昼間に練習場との行き帰りはしているので、『桜を全然見てない!』なんて事はもちろんない。ただし東邦学園の桜並木は正門方面に集中していて、サッカー部のグラウンドがあるのは裏門側で、そのさらに裏手に学園寮は位置していて──てな関係で、確かに『三本以上並んだ桜』は今年はまだ見てなかった。そして寮の入り口近くにも古木の桜が一本あるにはあったが、去年に虫だか病気だかにヤられて派手に刈り込まれちゃったので、今年はいまいち見応えを失っていた。
「えーと、…明日の昼間でもいいんじゃない? 始業式の後に行くとか」
「人がいっぱい居てウゼぇだろーが」
「そりゃ居るだろうけどさあ」
「夜桜! 決定!!」
 言いきり、日向は勢いよく立ち上がった。マジっすかー?、と若島津は呆れながら、そんな日向の楽しそうな顔を見上げた。
「あー。想像は付くんだけどォ、他に回答ない気もしながら一応言ってみるんだけどさ、……抜け出してくわけ?」
「今から届け出してオッケーもらえると思ってんのか?」
 まず無いねえ。無理だろうねえ。
 ホラッ、とか言いながら日向は上から若島津の袖を引っ掴む。部屋に戻って仕度(?)しとくぞ!、という話らしい。煮え切らない気分で息をつき、仕方なく若島津も腰を上げた。
 
 で、せっかくだからと反町や小池にも耳打ちしてみた。とにかく日向がやたらと楽しそうに『言い出しっぺ』だったので(それは結構珍しい状況だ)、若島津も珍しく!気を利かせて仲間を集めてみようかなと思ったのだ。
 そしたら人数は予想を超えて膨れ上がった。サッカー部の新二年はほぼ出そろった。若島津とタメ張る面倒くさがりの島野まで顔を出したのには驚いた。(どうも反町が無理矢理に引きずって来たらしい)
 深夜の暗い非常出口、スニーカー片手にごそごそと集まってきた人数を見て、日向は口を開けて絶句した。
「な、……なんだこの数」
「ごめん、俺も驚いてる」
「…お前っ!?」
「や、俺が言ったのは反町と小池だけなんだけどッ」
 パレるね。こーれーはー、バーレーるーねー。
 どこの難民大移動だよと呆れながら、若島津は笑ってしまった。日向も横で諦めたように頭を振った。今さら中止もあり得ないほど、どの顔もみんなヤンチャな笑顔を浮かべていた。例えるなら修学旅行の深夜みたいな。
 周囲を伺いつつ、ごそごそと難民は移動を開始する。一人ずつ外に忍び出、駐輪場をぐるっと回って塀越しに脱出、さらにぐるっと校舎を外から回って正門へ。
 綺麗だった。
 ほんっっとに桜は綺麗だった。お天気おねーさんの言ったのは正しくって、どの枝も九分咲きかそれ以上、特に陽当たりのいい場所のは満開で、夜空の下で覆い被さってくるような薄い花びらの向こうには街灯の光が透かし見えて、とにかくムチャクチャに綺麗だった。
「───日本人でよかったあ!」
 あっちでは反町が大声でハシャいでる。
「あいつ、こないだはオーストラリアに生まれりゃよかった言ってたよな」
「牛肉食いながらな」
「鰻食ってた時は日本人日本人言ってたけど」
「その内、『地球に生まれてよかった』言い出すんじゃね」
「ああ、それで括れば完璧だわ」
 途中の自販機で買ったお茶ペットボトルを片手に、回ってきたポテトチップスなんかを若島津はつまむ。(用意のいい誰かの持ち込み品?)
「ひゅーが、ポテチいるー?」
「んー…」
 日向はポケットに手を突っ込み、一本の桜を見上げていた。
「なに、なんか居る?」
 傍に寄って行って尋ねてみる。
「居ねえよ」
 一言で突っ返した後、それだけでは何だと思ったのか、
「──…この桜さあ、俺らが入学した時、咲いてなかったんだよな」
「え、そうだっけ?」
 言われてみれば、ひょろりと一本だけ細い気がする桜だった。
「ここだけ土がなんか新しくってよ、葉っぱはあんのに蕾はちょっとだけしか付いてなかった。一本だけ咲きそびれてた。……植え替えたばっかだったのかな、分かんねえけど。…今年は咲いたなー」
「…ふうん……」
 日向は時々、変に細かいところをチェックしている事がある。こちらがびっくりするぐらいに些細な事を。
「咲いて、…よかったね」
 って、日向に言うのもおかしかったか。しかし日向は自分を誉められたみたいに少し照れ臭そうに、「ん」と言って踵で土を軽く蹴った。
 
 
 もちろん寮監にはバレた。バレまくった。なんたって皆が寮にこそこそ戻ったら映画みたいに懐中電灯で顔を照らされ、「そこに全員整列うッ!」と怒鳴り付けられるぐらいには盛大にバレていた。
 その時は全員が名前を控えられただけで一旦開放。翌日の始業式後、寮での昼飯中に館内放送で名前を呼び上げられ、あげくにこうして揃って正座。当然、部活動も自粛状態。
「痛ぇ…。いつまでこうしてなきゃならねーの…」
「お前、正座は得意だろーが」
「ジーパンでなきゃなっ くっそー、俺なんでジーパンに履き替えちゃってたんだろ。素直にジャージ着ときゃよかった……」
「知るか」
 右隣の島野は制服、日向はジャージ。若島津は整骨医院に予約入れてたがため、たまたま私服に着替えていた。
 いやほんと、マジでジーパンの正座は辛いっす。しかも最悪な事にスリムジーンズだったりするんだな、これが。(一般的にフィールダーは太腿の筋肉が発達し過ぎているのでスリムジーンズは入らない。それを羨ましがる反町辺りに見せつけるため、若島津はスリムタイプを選ぶといういらん癖がついている)
「もー、げーんーかーいー。……痛ぇー」
「──うるせぇっ」
 ぶちぶち愚痴る若島津に、ついに日向がキレたように横で呻いた。
「だいたい、誰のせいでこんな事になったと思ってんだ…っ」
「はいー? 俺のせいなの!?」
「おめーだろ!」
「言い出しっぺは日向でしょーが」
「俺はっ、……お前しか誘ってねーし!」
「そこに関しては俺もちょっと予想外の人数になっちゃったけどっ」
「多さの問題じゃねえだろ」
「じゃどこの問題」
「………お前と、……って俺は、──…から…」
 元々が小声の罵り合いだったのに、さらに日向の声が聞き取りにくい小ささになって聞こえない。なんだよー、と若島津はそれまでもやや日向に寄り気味だった姿勢を、さらに斜めに傾けて日向の口の動きを読み取ろうとした。
「……なに」
「……俺はあ、……お前誘ってさー……、二人、で桜見るのがいいかなって……」
「ふたり?」
「………」
「なんで」
 ソボクな疑問を口にした途端、ガツ!、と日向の拳が真上から脳天を直撃した。そうしてさすがにこの動きに気付いた寮監のおっちゃんからは、「ひゅうがあ!!」という怒鳴り声が飛んで来る。
「私語厳禁ッ!」
「スンマセンッ」
「一人で一時間延長するかあ!?」
「──スンマセンッ!」
 イテテテ…、と若島津が頭を押さえながらふと島野を見ると、島野は曰く言い難い顔でこっちを見ていた。半ば睨みつけるように若島津が見返すと、何だか疲れたように頭を振られてしまう。
 あくまで小声での罵りあい、別に日向と若島津の会話が全聞こえしていたとは思えない。…が、若島津はひどく居たたまれない気分になった。
 問題はアレだ。
 何がどうして「居たたまれない」のかが自分でもよく分かんないだけで。
 それを振り払うつもりで身じろぎしたら、本格的に足が釣りかけてつんのめった。勢いあまって目前の床に両手を付く。オマケでこらえきれない悲鳴が口をついた。
「…ッ、ぅお…っ!」
「若島津ッ ──お前らなあ!」
「す、……スイマセン…ッ」
「日向と若島津! お前らは二人で仲良く一時間延長!! 他の者はこれで解散ッ 明日までに反省文3枚提出ッ!」
 ブッ、と吹いたのは間に三人挟んで向こうの反町と小池。
 ───おい延長て。マジデスカー…。
 つんのめった身体を肘で支えながら、若島津は涙目で舌打ちした。













09.04.
いつもの人達、桜編。

なんと言うか、まとまりのないハナシですみません。
2学年って事は時期的にはまだ「デキて」ない頃。──と、コメントでご指摘頂いてから気付きました…。
 

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