「俺、もの凄くヤバい考えが浮かんだんだけど」
 と、若島津が言い出したのはいきなりで、その体勢もかなり凄かった。なんたって日向の膝の上だった。
 若島津の気ままっぷりは今に始まった話でもなく、最近の日向は大概の事なら軽く流せる。たとえ勉強机に向かってる最中をいきなり椅子ごとぐるりと振り返らされたんでも、その膝を跨いで勝手に若島津が乗り上げてきたアバンギャルドな状態でも。
「何が?」
 会話としてはごくまっとうに日向は返した。だが若島津はその反応が気に入らなかったようで、
「つまんねー」
 日向の両肩に掌を置いたまま、大変に失礼な言葉をホザきくさった。
「だあ!? 内容聞かん内に他にどう言えとっ?」
「じゃなくて。この体勢に突っ込みはナシですかー?」
 ああ、うん。突っ込んでいいのならこっちだって突っ込みたいのは山々だ。だけどまだ消灯時間には早いし、お互い歯も磨いてねーし(そのココロはこのまま色々雪崩れ込むわけにはいかない)、明日は火曜日だし(そのココロは平日だという以上に若島津のクラスが明日は朝から体育だ)、つまり「別にコイツ、色っぽい意図があってやってんじゃねーんだろうなあ」というのが簡単に想像がついちゃたもので。
 感覚的には猫がじゃれて膝によじ登って来たのと大差ないっつーか。
 おまけにその意味で言うなら、今の若島津は「撫でては欲しい」が「抱きしめて欲しい」ではきっとナイ。これらの意図を汲みきってないリアクションを日向が取ったら多分怒る。
 ―――と、そこまで読み切れるのに、突っ込むも突っ込まないもない。
「あー…お前、ジャレたいだけだったら今日はナシな」
「なんで?」
「俺がそんな気分じゃねえから」
 日向は肘を背後の机に乗せて、やや投げやり気味に吐き捨てた。すると、
「―――生意気な!!」
 今度はバチーン!、と両手で頬を挟まれた。
「てぇッ!」
「日向のクセに生意気なー!」
「ジャイアンか、てめぇはッ!!」
 怒鳴り返した日向に不満そうに鼻を鳴らせて、だが若島津は日向の膝から下りるという選択肢はないらしい。余計に体重をかけてきた。
 若島津にだってこれは不安定な体勢であるはずだ。ケツの骨が日向の腿に当たる感触は、ぶっちゃけ、ちょと痛い。綺麗に付いた筋肉で張りはいいが、いかんせん根本的に肉が薄い。加えて日向の腿も人並み以上に筋肉が付いているので、結構無理な姿勢に股関節を開かねばならなくなっている。――いや、こいつ体は柔らかい方だけどね!? 平均高校生男子としちゃムチャクチャ関節柔らかい方だと思うけど! だがしかしどうやったってそこは女性とは造りが違うのだからして、…むにゃむにゃ。
 やっぱり若島津だってそれは感じているに違いない。証拠に、少し居心地が悪そうに身じろぎした。
「……いてェ」
 日向の物言いたげな視線に気付いて、そんな言い逃れっぽい響きのセリフを口にする。
「だ、ろうな」
「痛いんだよ骨当たってんだよ、ゴリッて!!」
「だから何でそこでお前が逆ギレするよ!? だいたいそれ言うなら俺の方が痛ぇよ、お前のケツは肉薄すぎッ」
 揉むぞ、しまいにゃ。
 なぜか険悪なムードで至近距離のまま睨み合う。この体勢で険悪になれるって辺りが、もう色々とあり得ない。
 しばらくそのまま見合っていたが、やがてどちらからともなく盛大にため息をつく。
「……お前はさっきから何ゴネてんだよ、もー」
「ゴネてんじゃなくてさあ」
 構えと。とにかくジャレろと。
「ほんっっと日向って勝手だよなー」
「締めっぞコラ。こんだけ人に絡んでてよく言うな」
「だって自分が俺に構いたい時は遠慮ナシでしょーが。好き勝手してんじゃない」
 失敬な。好き勝手というほどはしていない。…多分。これでも三回に二回は理性に従い見送っている。
「三回に二回ィ!?」
 本気の驚愕で若島津が叫んだので、日向は地味に傷付いた。
「しょーがねぇだろ! こんな狭え部屋でこんだけ引っ付いて生活してたら」
「それは俺だって条件一緒では」
 ―――いや、…お前の場合は……どうかな。
 日向はイヤンな気持ちで眉をしかめた。きっと日向ほど若島津が「切羽詰まった」気分になる事はあまりないんじゃないかなと言うか、個体差ってものもありますよねと言うか、実はそこまでお前は俺の事を好きなわけじゃないんじゃね!?、と言うか! うわああ。
「………」
「なんだよ?」
 無言になってしまった日向を若島津は不思議そうに覗き込む。
「ひゅーうがってさー、時々一人で意味不明に落ち込むよなー」
「意味不明…?」
 違うね。深く追求しちゃうと、不明どころか克明になっちゃいそうだから敢えて口にはしないだけだね。
「んで」
 若島津はまた身じろぎして、日向の肩に今度は片肘置いて寄りかかった。
「俺、バランス取り辛いんですけど」
 だからサポートしろよっていう話らしい。諦めて日向は若島津の腰に両腕を回した。すると、うむうむ、とか満足そうに頷き、若島津は遠慮会釈なく日向に全体重をかけてくる。
 嫌じゃないすよ。日向だって何が何でもこの体勢がイヤだっていうわけじゃない。むしろ楽しい。肉が薄かろーが胸が平らかろーが、惚れた相手との接触を嫌う男がどこに居る。増してやこちとら人一倍健全に不健全な十代のオトコノコ(!)だ。
 ただねー、生殺し状態は勘弁してよって事ですね。引っ付いてなついてジャレて、それでオシマイにされるのは、こっちの自制心が豊富な時でないとかなりキツい…。
「たまに不思議なんだけどよー」
「ん?」
 日向の呟きに変にカワイく若島津は首をかしげた。
「お前の性欲ってどうなってんだ?」
「セーヨクぅ?」
 素っ頓狂な声で叫ばれる。
「そりゃまた…深遠な」
「深遠なのか?」
「じゃない?」
 ふうん…。日向は他意なく相槌を打った。なのにどうやら若島津にはそれが「バカにした」態度に見えたらしい。
「――わぁるかったなあっ!? お前なみに性欲魔人のバケモノじゃなくて!」
「いやそれもてめぇ逆ギレ」
「俺が性欲薄いってのがどこで誰にメーワクかけてるってんだよっ?」
 さり気なくまた日向に大変失礼な罵倒が混ざってたのはまあいいとして(いいのか?)、迷惑ってのとは違うにしても、ある種の「弊害」は出ている。と、言えなくもない。
「まあ、そこらの事はさァ」
 日向は椅子を軋ませ、ため息混じりに若島津を支え直した。
「俺だってお前が真剣にイヤがってるって時に、何が何でも押さえこんでまでヤりてぇとは思ってねえけど」
「ザケんな。殺すぞ」
「だからやんねえっつってるだろ、最後まで聞け!」
 どうだかな、と大書きした胡散臭げな顔で若島津は日向を見返した。
「あのな、マジで。これはホント真面目な話で」
「ははあ」
「俺だってなっ? お前と俺のタイミングみたいなモンが、もう少し噛み合ってくんねえかなあ、的な事は切実に願ってたりするわけだ」
「タイミング、ねぇ」
 日向の両肩に肘をなつかせ、若島津はしばらく天を仰いで考えていた。その腰に腕を回して待ってる日向が「ところで俺はこの体勢、いつまで維持し続けなければならなんのか」と悩み始めた頃、
「――やっぱ日向がおかしいんだと思うよ」
「待たせといて結論そこか」
「だってさ、さっき日向が自分で言ってたろ。俺らこんだけ引っ付いて毎ン日生活してんのにだよ? いきなりソッチ方面に切り替えられる日向のほうが異常だと思う」
 日向は頭を抱えたくなった。でも両腕はいかんともし難く塞がってるので、替わりに目の前にある若島津のシャツの腹に、バフッ、と自分の顔を埋めこんだ。
「ひゅーうがあ?」
 なんなのコイツ。天然すぎるにもほどがある。
「逆だろ…」
「ぎゃくー?」
「俺が必死に切り替えて自制してっから、毎ン日がどーにかマトモになってんだろ…!」
「ああ、なるほど」
 そこで素直に相槌打っちゃう若島津も、彼の言葉を借りるなら相当に「おかしい」。「異常」とまでは言わないけど。
「不毛。…俺今、すんげー空しい」
「またまた大袈裟に」
 大袈裟? そうかなあっ
 いつまでも顔を上げない日向に焦れたのか、若島津は窮屈そうに身じろぎをして、
「で、何だっけ」
「あ?」
「何の話をしてたんだっけ? 何で俺らこんな格好になってんだっけか」
「……さあ。お前がなんか言いかけて突然膝に乗って来たんだよ」
 俺の予習を中断させてな。
「……? ──あそうだ! 分かった思い出した、犬ってさ、腹見せんのが負けポーズだって日向知ってた!?」
「ああ? 知ってる、……けどよ」
 実家では犬飼ってるし。つか、飼ってなくてもそれは一般常識レベルの話では。
「なあなあ、その基準で言ったら、俺ってもしかしていつも負けポーズ?」
 む? 話の流れが読めない。そもそも「流れ」自体があるのかどうかも分からない。
「なーんかそれさあ、今さらながらに不公平って気がしちゃったんだよな。別に俺、日向に負けてるつもりでやってんじゃないし」
 真顔で若島津は眉をしかめる。仕方ないので日向も必死に考える。
 …負けポーズ? 腹見せ? 若島津がいつも日向にしてる事…??
「ああ!! ───って何だソレ、お前斜め思考もいいとこじゃねっ?」
「斜めかあ?」
 斜めでしょう。何でそんなとこに回路が流れて、しかもそれこそ「今さら」ゴネられなきゃならんのよ。
「だいたいその理屈で言やバックや騎乗位ならオッケーなのかよって、…イテェッ」
 殴られた。グーで直球で殴られた。日向は顎を押さえて歯の噛み合わせを確認しながら低く唸った。
「そういう話じゃねえだろッ?」
「じゃどこだよ。どーやってもオチそこだろ…」
 あ、俺が女役ってのはナシね。たとえ地球の軸が斜めにズレて氷河期が来てもあり得ないね。そこは何が何でも死守するからね。
「そりゃ俺も別に日向に突っ込みたいわけじゃねえけどさあ…」
「だよな。アレはアレでお前ヨさそうだもんな」
 も一発くらいそうになったのは慌ててよける。だが日向が激しく動いたせいで、若島津はあわや膝から転げ落ちかけた。
 おわぁっ、と二人で叫んで何とか体勢は立て直す。よく考えるとなぜ立て直さねばならないのかも定かではない。
「とにかくな、たまには俺も主張しとかないといけないよなって」
「んなの、お前いつも主張しまくりじゃんか…」
「体勢的に! ポーズとして!」
 ふんぞり返ってエバられてしまう。また落ちるんじゃないかと心配で日向は急いで腕を回して──回して、若島津の言いたい事がようやく分かった。
「ああ、上に」
「んん?」
「俺の上に乗るって意志表示、……で、ひょっとして今膝に乗ってんのか?」
「だよ。気付けよ。鈍いなー」
 気付くか。そんな斜め上・あげくにキリモミ降下の思考をそうそう簡単に理解出来るか!
 おまけにこれじゃあ、
「……かわいいだけじゃん………」
 思わず小声で呟いてしまう。幸いにして若島津には聞こえなかった。
 そんで、これって理屈的には、そのう、…騎乗位と大差ないよな? それでも若島津の主張は通るってことになっちゃうよな?
 負けるの負けないのという話で言ったら、日向は若島津に「勝てる! オレ完勝!」と思った試しが実はない。多くは精神的な意味において。(あえて付け加えるなら学業面的にも)
「勝ってると思うけどなぁ」
「俺が?」
「だって俺、お前にメチャメチャ惚れてるしさ。その時点でもう負けまくってっからなあ…」
「そーいうのをヘラっと言う日向には、恥知らず勝負で俺絶対に勝ててないから。ああ、勝ちたくねえ」
 いや、言うからこそ負けなんだろう。というのは、何とか言葉にせず飲み下した。それより今はする事がある。
 上からのチュー。滅多にしてもらえない若島津からのチュー。
 たまにする度いつも新鮮なのは、これが本当に「たまに」だからだと思うとちと情けない。
 もう少し角度を変えてしようとしたら、「ハイおしまい!」とか言いくさって若島津はさっさと膝から下りてしまった。あまりに素早く離れられて不満だったが、よく見ると若島津の横顔がどことなく赤味を帯びている。どうやら自分からやっといて照れたらしい。
 それを見てたら何だかいきなりこっちまで照れ臭くなってきた。自分たちが果てしなくアホに思えた。急いで椅子の向きを元通り机に直し、日向はほっぺたを両手でさすって誤魔化した。












09.11?
いつもの人達。お題は「膝乗り(だっこ?)」でお送りしました。また恐ろしいまでに色っぽくない。


穂月的初の携帯(でほぼ全文を書いた)小説。だからと言うかなんと言うか、いつにも増して展開がダラダラ・グダグダ。着地点をまるで決めずに適当にだらだら書くとこうなります、みたいな良くない見本……。
 

戻る