事故なんかで死なせるくらいなら自分の手で殺せばよかった。いっそ一緒に死ねばよかった。
 
 
 深い陰を刻む睫毛を舐める。その下の瞳が諦めに彩られている事を日向は知っている。傷つけたい。傷つけられたい。衝動と日向は常に戦わねばならない。
 一度、手加減が効かずに、手首をシーツに押さえ込み過ぎて脱臼させてしまった事がある。若島津は悲鳴は上げなかった。唇を噛み締めて小さく呻いただけだった。だから朝になって腫れ上がるまで気付けなかった。どうして言わなかったんだと、理不尽を承知で詰りたくなった。
 若島津は言葉にしては決して日向を責めない。繰り返し抗い、繰り返し拒絶し、だがそれを明確な罵りの言葉にする事だけは決してしない。伏せた視線の先を日向に見せず、静かに細い息を唇から零す。
 日向は自分の掌の熱さが怖かった。容易に彼を傷めつける事の出来る自分の激情、制御の効かない衝動が怖かった。彼に縋りついて慈悲を請い、許しを請い、愛情を請う事が出来ればどんなにいいかと考えた。でも出来ない。それはきっと自分が人としておかしいからだ。執着というカタチでしか自分の情動を現す事が出来ない。掌は痛む。自分自身の熱が身の内まで焦がす。だがそれを肌に直接押し付けられる相手はもっと痛みを感じるだろう。分かっているのに止める事が出来ない。
 会話らしい会話はほとんどない。いつからかは忘れた。先に口数が少なくなっていったのは若島津で、気持ちのこもらないままの空疎な返事に、日向も無理に言葉を繋ぐ行為を諦めた。
 
 洗面所で、台所で、不意に後ろに立つ日向に彼の気配に彼の背中がビクつく。腕を掴む。振り向かせる。その目に微かによぎる怯えに、日向は舌の根が乾くほどの興奮を覚える。
「……イッ」
 長い髪の毛に指を絡めて乱暴に引き寄せる。顰められる眉に思わず口付けた仕種は、我ながらそぐわないほど少しだけ優しかったかもしれない。だが彼には見えなかったはずだ。そう思うとほっとした。自分は多分、頭がおかしい。
 逃げろよ、お前。どこか遠くに逃げろよ。俺の手の届かないところまで。
 そう言ってやりたい。心から思う。自分からは手放してやれない。それが一番いいと重々分かっているのに、彼のために何かをしてやる事が出来ない。相手の無力さにどうしようもなく興奮する。自分の優位性の確認のためにセックスという手段を選んでいるのだとしたら、自分は完全に頭がおかしい。
「イ、タイ…ッ ひゅうが…っ」
 もっと、呼べよ。泣いて俺に縋りつけよ。
 いや違う、縋りつきたいのは自分だ。哀訴し慈悲を請いたいのは自分だ。不安で死にそうになる。息をするのも苦しい。彼を押し伏せ、暴き立てている時だけはそれを忘れられる。その間だけは失わないで済むからだ。
 造り物めいて整った睫毛と薄い瞼が、蝶の羽のように微かに震える。その下にある瞳は潤み、うっすらと張った涙がやがて耐え切れずに零れ落ちる。
 そんな泣き出す直前の彼の表情が好きだ。何も見ていない顔が好きだ。
 きっと彼は自分で知らない。意識をなくすギリギリまで苛まれて、導かれるままに日向の首に腕を回し、甘い声で啼く自分の顔を。それを見つめる日向の顔を。
 溶けきった身体をさらに押し広げられて、突き上げる日向の動きに逃げるばかりでなく腰を揺らせ、日向に訴える言葉のたまらない甘さを。
 これが恋情かと言われると日向にはもう分からない。自分の汗と彼の汗が混じりあうのを眺めながら思う。傷つけたい。傷つけられたい。そうして互いの吐く息の熱だけが同じものだと信じられる。
 
 
 
 あの瞬間に死ねばよかった。
 興奮と劣情と混じりあった互いの熱と、それだけを信じて死ねばよかった。最初からそれしか手にしていなかったのなら、失う前に自分で壊せばよかった。
 ───いや違う。
 違う。縋りついて愛を請えばよかった。失う前に愛と慈悲と許しの言葉を請えばよかった。
 分かっている。分かっていた。なのにどうして自分はそれをしなかったのか。世界が音を立てて失われる前に。
 いっそ一緒に死ねばよかった。
 


















09.01.24
フォローに全然なってない付け足し日向心情編。これの一部初書きの後にコピ本[水の底で奏でる...]を書いてます。

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