齋藤登美夫の自己紹介

自己紹介
 齋藤登美夫(さいとうとみお)  妻 八重子(やえこ)
1944年6月15日、日光市の山深い土地で生まれました。勉強もせずに自然の中で動物や野鳥や川魚たちを遊び仲間として暮らしていました。
高校卒業と同時に上京、ビジネスの最先端の東京丸の内に就職。一夜にして環境が激変する。意味不明の日本経済新聞をむさぼり読み(?)田舎では食したことも無い食い物を胃袋に流し込み、日々奮闘を重ねること12年。経済とは何ぞやなどと解ったようなことを口走るようになった頃、経済活動や社会の矛盾点にも気づくようになる。

俺は山の子だったんだ。山に帰ろう。1980年、無謀にも妻と幼子二人を連れてまだ世の中に認知される前の清里高原に移住し、ペンションを開業。日経新聞や日経ビジネス誌を読んだ効用は無く、下手なペンション経営を36年間続けた。現在は八ヶ岳山麓に漂う霞を食しながら清貧な生活を強いられています。「足るを知る」との言葉がありますが、私の場合は煩悩と経済学の不勉強のお蔭で「不足を知る」情況で生きながらえている。

自然観察指導員、山岳ガイド、バードウォッチング案内人として年間を通じて野山を歩いています。地域の自然、歴史、民話などの情報に詳しく旅行会社のツアー客や移動教室や修学旅行の学生などのインタープリターとしても活躍中です。
2016年3月31日を持ってペンション経営を引退し、バードウォチングガイドに専念している。
私が育った山深い日光市の里で秋風が優しく吹く頃になると、腐葉土にするための雑木林などにはキノコが沢山育ちました。
父が編んでくれた竹かごを腰にぶら下げ良くキノコ狩りに出掛けました。母が作る手打ちうどんに入れて食べると美味しかっ
た思い出がある。極貧の暮らしだったが妙に暖かかった。あの雰囲気は何だったのだろうか?

秋台風が過ぎると山栗の実が沢山落ちた。孟宗竹で作ったヘラでイガをこじ開け実を取りだす方法で竹かごがいっぱいに収
穫をした。囲炉裏端で大きな鍋で煮ておやつ代わりにして食べた。一年中腹を空かしていたが不安感はなかったように今は
思い出す。時間も季節も現在よりゆっくりゆっくり移ろっていたのかもしれない。

「豊かさ」とは何でしょうか?数値化されたGDPや収益の多寡で判断される貨幣経済に疑問を抱いています。貧乏人の悲しい思いだけでしょうか?

人間社会は複雑に難解に忙しく動いているようです。最近は幼いころから人生を頑張らないと落ちこぼれてしまう恐怖感にさいなまれ社会も学校も両親も無論、本人も走らされ続けているようです。私は30歳代にサラリーマンを見事に落ちこぼれ”落ちサラ”をして現在に至っています。若いころに陸上競技の長距離(マラソンや駅伝)をしていました。100m競技を走るスピードでマラソンの42・195mは絶対に走りぬくことは不可能です。

「忙しい」の「忙」は心を亡くすと書きます。「頑張る」の「頑」は@頭の働きが鈍いAむさぼる、欲が深いBたわむれるの意味だそうです。私は忙しく頑張ったりはしないようにしています。そのため清貧な生活を強いられることはやむを得ないことかも知れません。
己の潜在能力を測ることは不可能ですが仮にその能力が100としたら65位の能力で人生を歩くことが無理のない速度なのかも知れません。いいえ、私はもう年をとったので45位で歩んでゆこうと思っています。


オヤマノエンドウ
鹿島槍ヶ岳山頂
ツクモグサ(九十九草)

コムクドリ

吐竜の滝
ヒマラヤゴーキョピーク(5400m)

グローバル化された経済活動は大きなうねりとなり全世界を飲み込み善悪を超越し誰にも止められない妖怪となり荒らしまわっています。政治も哲学も妖怪をコントロールする術を失い行き先さえ見えないままです。私はその対極を目指してのんびり、ゆっくり生きてゆこうと思います。

車を運転するので偉そうな事は言えませんがここ数年車の排気ガス規制が進歩しました。都市部で多く発生している喘息、アトピー、花粉症や原因不明の難病などの多くは人間が作り出した化学物質が影響していると思います。化学物質は永遠に消滅しません。大気圏に溜まり続けます。化学物質は大気圏を漂い続けるので私が住んでいる清里高原でも害から免れることは出来ません。最近快晴の澄んだ大空を飛ぶ飛行機を眺めては恐怖に駆られます。ジェットエンジンから噴出されるあの排気ガスはどこに行くのでしょうか。自動車のような規制はあるのでしょうか。清里高原の上空にも降り注ぎ続けています。

生活も考えないといけませんが経済成長はこの辺りで留まってくれても良いように思います。経済活動にも多くの歪が発生しているように思います。小さな昆虫や草花や野鳥たちの叫びを五感を研ぎ澄まして聞いてみてください。

経済原則に乗れない人間の営みは現状に留まるどころか大昔へと逆方向に走り出してしまいます。自然回帰の部分は確かに喜ばしいことかもしれませんが経済活動で作られた人工物やそこに住む人々の心は自然に帰ることが出来ずに長い年月その地にさらされてしまいます。