平標山&会津駒ケ岳(単独行)

 6月2日(火) 快晴 平標山(1983m)
  清里(4:00)〜平標山駐車場(6:50 7:15)〜送電線鉄塔(8:00)〜松手山(8:25)〜平標山(9:30 9:55)〜三国峠
  (10:15)〜岩魚沢林道出会(10:50)〜平標山駐車場(11:30)

 6月3日(水) 曇 会津駒ケ岳(2132m)
  登山口(4:00)〜水場(5:00)〜駒の小屋(6:45)〜会津駒ケ岳(6:25 6:35)〜駒の小屋(6:45)〜水場(7:20)〜
  登山口(8:10)


山行後記
 サラリーマン時代のワンゲルOB会山行のリーダーを引き受けそのための下見に出かけた。遠く離れた山を一度に登ることは非常
 識この上ない計画であるが貧乏人の私にはやむをえないことである。
 前日まで野鳥の会の団体のお客様で忙しく山行準備もあたふたと装備を車に押し込み準備完了。バードウォッチングガイドと同
 じ時刻に起床し夜が空けたばかりの4時清里を出発。私としては珍しく佐久ICから水上ICまで高速道路を使用して先を急いだ。
 登山口の駐車場には10台ほどの車が既にあった。さすがにこの山は私の貸し切りとは行かない。朝飯を胃に押し込み出発。
 
 ブナの森の中は野鳥達のさえずりで賑やかである。中でもコルリが気持ちよさそうに鳴いているのが印象的だ。松手山に出る
 と視界が開けて苗場山が眼前に多くの雪渓を残して美しく見える。しかし、谷間の山肌は広大な森が無残にも引き裂かれ開発
 されたスキー場が一面に見える。神の怒りに触れたのだろうか今年からは通年ではなくシーズン営業になるらしい。早く元の姿
 に戻ることを願っています。

 「こんにちは」「良い天気でよかったですね。」と中高年の夫婦連れに声をかけながら何組か追い越す。登山道の脇でシラネアオ
 イが一輪咲いている。ハクサンイチゲやアズマシャクナゲも咲いている。今年は早めの開花だろうか?
 北国の山は女性的ななだらかな美しい山容で森林限界線を超えると本当に歩いていて楽しくなります。尾根道に出るとまだまだ
 雪を沢山残した山々が幾重にも連なりを見事な光景です。谷川岳を初めガスの中の雪渓を難儀して登った懐かしの越後駒ケ岳
 、巻機山、岩峰の八海山・・・・・などが見渡せる。やがて山頂。腹に水羊羹や饅頭を押し込み暫し休憩。

 三国峠の山の家を経由して下る。途中で初心者らしい3名の登山者が登ってきた。「余計なお節介ですが・・・」「ザックは腰の上
 でなく背負い紐を短くして肩で背負った方が楽ですよ」と声を掛ける。「娘のザックを借りてきたもので。ありがとうございます。随
 分楽になりますね」「山にはファッション性は必要ないようですので」と私。(笑い)

 岩魚沢林道に出てから結構歩かされる。林道脇の美味しい沢水を時々口に含みやがて駐車場に到着。早い昼飯を食べ一路桧
 枝岐に向かう。
 
          

           
                                         平標山

6月3日(水) 曇
 単独行で同じところに下山する山行では貧乏人の私はいつも登山口の車の中で寝て翌朝早く出発するのが常です。今回も平標
 山から只見湖の狭い湖岸道路を延々と走り尾瀬の玄関口の御池を越えて桧枝岐に入り「燧の湯」で汗を流し登山道に16時30
 分に到着。17時過ぎからガスで火を起こしレトルトのカレーを作り胃を満たす。
 
 夕闇が迫る頃森の中では「ぬえ」が「ヒョーヒョー」・・・・「ヒョーヒョー」と物悲しく鳴く。思えば生活圏の中で真っ暗闇が無くなった
 のはいつ頃からでしょうか。電気が灯り、ネオンが輝き、24時間営業の店が赤々と無駄な電気を消耗し始め闇夜が消えました。
 同じ様に科学が発達し、迷信や畏怖の心やお化け、幽霊が世間の片隅に追いやられたのはいつ頃からでしょうか。私が日光市
 の山奥から東京の丸の内に出てきた1963年頃からでしょうか。

 19時30分にラジオのスイッチを切りお休みなさい。1時頃に眼を覚ますとまだ「ぬえ」が鳴いている。3時30分に起床。まだ闇
 夜。パンとサバの缶詰、バナナ、饅頭、プリンなどを胃に流し込み4時に出発。「ぬえ」はまだ近くで鳴いている。姿は見えぬ。人
 影も私だけで誰もいない。
 
 一時間で水場に到着。水羊羹を食べ一息つく。コルリ、ルリビタキ、ミソサザイなどが賑やかだ。空は昨日と違い厚い雲に覆わ
 れている。やがて林間に雪が現れる。マーキングの赤い布が10m位の高さにところどころ付いているのを探しながら歩く。6
 月の北国の山行は登山道が雪に覆われていてマーキングを目印に真っ直ぐに登れて時間が節約でき助かる。

 森林限界線を過ぎると山頂が望め駒の小屋が見えてきた。昨夜は無人の小屋に泊まったという男の人が一人降りてきた。「お
 はようございます」「もう登ってきたのですか?早いですね」「いいえ、もう年ですのでのんびり登ってきました」と私。
 大きな雪渓が山頂まで続きマーキングのポールが点々と立っている中を進むと間もなく山頂に到着。

 燧ケ岳、至仏山の尾瀬方面。遠く武尊山、日光白根山。近くに平ケ岳、越後駒ケ岳などを眺めながら饅頭と水羊羹を食べ暫し
 休憩。帰りは雪渓の中を転がるように下る。何組かのご夫婦らしい人や単独行の登山者に「おはようございます。気を付けて!
 」と声を掛ける。「山小屋泊まりですか?」いいえ「朝4時に登山口からです」と私。

 桧枝岐を後に再び延々と狭い道路を戻る。来るときは高速道路を使用したが貧乏人の私は帰りは急ぐこともないこともあり一般道
 を走り16時過ぎに清里に帰着。ああ疲れた。
 



        会津駒ケ岳


         



         

         タムシバ
          




          

     山頂付近の雪渓

      



      

(注) ぬえ(鵺)の説明

平家物語』などに登場し、サルの顔、タヌキの胴体、トラの手足を持ち、尾はヘビで(文献によっては胴体については何も書かれなかったり、胴が虎で描かれることもある)、「ヒョーヒョー」という、鳥のトラツグミの声に似た大変に気味の悪い声で鳴いた、とされる。一説には雷獣であるともいわれる。また、出現したのは一般には平安時代後期とされるが、平安時代のいつ頃かは、二条天皇の時代、近衛天皇の時代、後白河天皇の時代、鳥羽天皇の時代など、資料によって諸説ある[1]

元来、鵺とは夜に鳴く鳥のことであり、『古事記』『万葉集』にも名が見られる[1]。この鳥の正体は、現在ではトラツグミのこととするのが定説である[1]。この鳥の寂しげな鳴き声は平安時代頃の人々には不吉なものに聞こえたことから凶鳥とされ、天皇や貴族たちは鳴き声が聞こえるや、大事が起きないよう祈祷したという[1]