表銀座+大喰岳、中岳、南岳(単独行)

実施日 2008年6月30日(月)〜7月2日(水)
6月30日 清里〜穂高〜中房温泉国民宿舎 (泊)
7月1日 中房温泉国民宿舎(4:40)〜第2ベンチ(5:40)〜合戦小屋(6:50)〜燕山荘(7:45)〜燕岳山頂(8:10)〜燕山荘(8:35)〜大天井岳(11:30)〜大天井ヒュッテ(12:15)〜ヒュッテ西岳(14:30) (泊)
7月2日 ヒュッテ西岳(5:10)〜水俣乗越(5:50)〜ヒュッテ大槍(7:10)〜槍ヶ岳山荘(8:00)〜槍ヶ岳山頂(8:20)〜槍ヶ岳山荘8:35)〜大喰岳(9:10)〜中岳(9:40)〜南岳(10:30)〜槍沢ロッジ(13:40)〜横尾(14:35)〜徳沢(15:25)〜明神16:04)〜上高地バスターミナル(16:40)〜松本〜清里 (注)この記録は参考にはなりませんのでご注意ください。
山行後記
貧乏生活者の山行はいつも前泊は車の中としていますが今回は年を取ったためマイカーでなくJRを利用したために「清水の舞台」から飛び降りた気分で豪華(?)に中房温泉に宿泊し登る前から温泉気分を味わってしまいその後の道中でたたってしまった。朝が早いため宿の朝食を断り夜明けとともに前夜用意した弁当を胃に流し込み出発。林道をしばらく行くと間もなく登山道に入る。野鳥たちの鳴き声を聞きながらいつもの初日の急坂を登る。早く森林限界線を越えないかと急ぎ足になる。合戦小屋を過ぎるあたりからは登山道に雪が残り森林限界線を越えた。同宿者たちはまだ来ない。私が先頭を歩いているようだ。「おはよう」と声をかけ2組の下山者とすれ違う。やがて燕山荘に到着。荷物を転がして置き花崗岩のきれいな山肌の燕岳を往復。山頂は貸し切り。昨年登った鷲羽岳、水晶岳方面が雪渓を大量に残し美しい姿を見せてくれる快晴の日和となる。
             燕岳                    夏羽に変化中の雷鳥                咲き始めのコマクサ
快調に歩を進めてきたが大天井岳の登りの手前あたりから前泊地の贅沢(?)が祟りはじめ両足の太ももが痙攣をおこし始める。私は若い頃陸上の長距離ランナーでフルマラソンも3回完走していたがその頃も良く痙攣をおこしていた。今でもその癖が抜けなく時々山行中に足が動かなくなる。別に足の骨や筋が痛んだ訳ではなく単なる筋肉の痙攣なので心配無く足を適当に動かしていればそのうちに何とかなる。ただ、歩行ペースが極端に落ちてしまう。だましだまし大天井岳の登りを喘ぎながら登り切る。山頂には5名の登山者が下山の準備中。ここで記念写真を撮ってもらわなくては私の顔写真が残せないのでお願いして足を止めていただき撮ってもらう。
大天井小屋から常念岳コースを右にとり大天井ヒュッテに下り「喜作新道」を行く。このあたりから登山道に雪渓が残り苦労を強いられる。アイゼンを付けたり外したりは大変なので雪渓の上部を歩き谷底に滑り落ちないよう細心の注意を払い横切る。両足は相変わらずでだましだまし歩を進める。西岳を捲いてやがて今夜の宿泊地のヒュッテ西岳に14時30分に到着。思えば約9時間の長い行程を強いられたが痙攣がなければベストの8時間で終了の予定だ。1時間30分のロスでした。
小屋の裏手で槍ヶ岳と穂高の見事な雄姿を眺め暫し日向ぼっこを楽しむ。夕食を済ませ20時消灯の前に外のトイレに向かう。東の空には月齢27日の月と登り始めた木星が輝き満点の星空となる。明日も快晴だろう。
         槍ヶ岳を背景に大天井岳山頂
      高山植物も咲き始める。ハクサンイチゲ
今回は表銀座コースを縦走する計画だがそれだけでは少し物足りないので「行き掛けの駄賃」にと3000m峰の大喰岳、中岳、南岳を走破する計画である。今日は表銀座最終地点の槍ヶ岳に向かう。朝食前に準備体操をするが昨日の痙攣は治っているようだ。今朝は足の調子を聞きながらのスタートとなる。水俣乗越まで一気に下る。雪渓が寒さのため凍結していて登山靴のつま先で雪を削りながらステップを切る。バランスを崩したり足を滑らせると「あの世行き」となる。もう少し人生を続けさせて下さい。無信仰の勝手さで八百万の神に祈りながら岩山だらけの東鎌尾根を四輪駆動(?)で岩先や鎖に掴り這いつくばりながらかっこ悪いスタイルで槍に向かう。右手には北鎌尾根の鋭い岩峰が見える。昭和の始め頃に活躍した登山界の先駆者「加藤文太郎氏」は厳冬期この尾根で消息を絶ち発見されることもなく天国に召された。岩峰に向かい丁寧に合掌する。足の痙攣は予想通り回復し順調に動いてる。この分だともう一泊しないで清里に帰着できそうである。
槍ヶ岳山荘に荷を預け誰もいない槍の穂先をよじ登る。40年ぶり3回目の山頂である。快晴の山頂で貸し切りの栄誉に浸る。ここの眺めは格別である。遠くに富士山、南アルプス、中央アルプス、白山、後立山。目の前に穂高連峰、笠ケ岳、双六岳、昨年縦走した黒部五郎岳、三俣蓮華岳、鷲羽岳、水晶岳、一昨年の立山、薬師岳などが一望できる。極楽である。おおーいと地獄で誰かが叫んだようだ。まだ安心するのは早いぞ!南岳からの大雪渓を降り終えるまでは極楽ではないぞ。ハイ心得ました。
  朝焼けの槍ヶ岳、大喰岳、中岳、南岳を望む(右から)
          槍ヶ岳山頂から穂高岳
私の山行中の昼食は腹のエネルギーが切れたように思った時に果物やまんじゅう類を腹に流し込む方法である。したがってこまめに何回も時間に関係なく食事をとる。(私は清里に来た時から腕時計は持たないので安心代わりの携帯で時間を確認する)槍ヶ岳山荘で残りのオレンジと水羊羹、きゅうりを食べる。快晴の中3000m3峰を行く。中岳の降りの雪渓で南岳から槍沢に降りるリスク防止にと試しに雪渓を尻で滑り降りてみた。可なりのスピードで滑落するので肝を冷やした。これでは滑落するとヤバいと覚悟を新たにする。
しばらくは南岳からの降りは岩場を降りるが天狗原の上部から大雪渓が続く。ここからはアイゼンを確りと装備しストックのカバーをははずし準備万端。小さな赤い旗の付いた目印のポールが点々と雪の上に立っているのを確認しながら慎重に降る。日中は雪が柔らかくなりアイゼンの歯に雪の塊が付着し団子状態となるのでそのまま歩を進めるとアイゼンが利かなくなり滑落をし「あの世行き」となるので2〜3歩ごとにストックでアイゼンを叩いて雪を落としながら進まねばならない。ピッケルがあればグリセードで一気に滑り降りることが可能だがピッケルは重いし必要ないと思い持参しなかった。所々、ポールが倒れたり折れているので立て直しながら慎重に降りる。
雪渓の末端は川底に落ち込んで大きなクレバス状になっているのでいたずらに最後まで雪渓は歩かないほうが良い。時折夏場に面白がって最後まで滑り降りるものがいるが注意が必要です。無事に最大の難所を通過しアイゼンを外し水羊羹と「ういろう」、きゅうりを食べ傍らの沢でポットに冷たい雪解け水を汲んだ。
            天狗原から槍ヶ岳を望む       槍沢の傍らで咲くキヌガサソウ(衣笠草)
当初の計画では南岳からキレットを越え北穂高小屋に泊まり岳沢を降る予定だったが痙攣が心配だったのと少し疲れがあったので南岳から降りた。(貧乏人の私は一泊目に豪華な温泉に宿泊したため宿代を節約しなければならない)槍沢ロッジに13時40分到着。上高地バスセンターの最終バスは18時5分である。このバスでは小海線の最終列車に乗り遅れてしまい徳沢辺りで宿泊しなければならない。その前の時刻まで調べていなかったので横尾山荘のお姉さんに時刻を調べてもらったら17時25分がありますとの有り難い説明。これなら疲れた体でも余力を振り絞って飛ばせば何とか間に合い宿代を節約できそうである。森の中ではメボソムシクイが「ゼニトル、ゼニトル(銭取る)」と私を冷やかしながら鳴くので少しうつむき加減に先を急いだ。ザックの中の大きなポットには水があるが出しやすい小分けしたポットはザックの頭にあり空になっている。勝手知ったこの道はどこの沢で水が飲めるか把握しているので喉の渇きと少しの空腹を癒すため顔ごと沢に突っ込んで水を吸い込みながら徳沢、明神、河童橋と飛ばす。「このバスは何時発ですか?」バスセンターに着いた時にバスが止まっていたので係りの人に尋ねたら「16時45分発です」とおっしゃる。横尾山荘で聞いた一本前のバスでした。八百万の神様は私を見捨てなかった。