槍ケ岳のブロッケン
ジャンダルム


槍ケ岳〜焼岳縦走(三大難コースに挑む。単独行)

河童橋〜槍ケ岳山荘(泊)〜槍ケ岳〜大喰岳〜中岳〜南岳〜長谷川ピーク
〜北穂岳〜涸沢岳〜穂高岳山荘(泊)〜奥穂岳〜馬の背〜ジャンダルム〜
天狗の頭〜間ノ〜西穂岳〜西穂独標〜西穂山荘(泊)〜焼岳小屋〜焼岳〜中の湯


実施日:2010年8月30日(月)〜9月2日(木)
行程
8月30日
 河童橋(6:35)〜徳沢(7:10)〜横尾(8:10)〜槍沢ロッジ(9:25)〜槍ケ岳山荘(15:05)泊
8月31日
 槍ケ岳山荘(6:00)〜中岳(6:50)〜南岳(7:50)〜北穂高岳(10:40)〜涸沢岳(13:05)〜穂高岳山荘(13:25)泊
9月1日
 穂高岳山荘(5:50)〜奥穂高岳(6:20)〜ジャンダルム(7:30)〜天狗のコル(8:55)〜天狗の頭(9:20)〜西穂高岳
 (11:10)〜西 穂高独標(12:10)〜西穂山荘(13:10)泊
9月2日
 西穂山荘(5:50)〜焼岳小屋(7:50)〜焼岳(9:05)〜中の湯釜トンネル(11:10)

山行後記
 私の登山技術では絶対に踏みこんではいけない領域として長い間計画をしませんでした。しかし、登山人生の最終章を迎える
 年齢になり心の中でぽっかりと空いたままになっている領域があることにある種の疵を残したまま終わりたくないと思い始めま
 した。「不帰の剣」「剣岳」を踏破し少し自信めいたものを感じ何割かのリスクを覚悟しながら思い切り実施しました。
 

8月30日 快晴
 早朝の河童橋は観光客の姿も少なく清々しい気分である。徳沢で朝食。私の悪癖で若い時に沁み込んでしまったアスリート魂
 が時々顔を出す。横尾までの平坦な(?)路を走るがごとく飛ばしてしまい槍沢でいつもの「大痙攣」が始まってしまった。槍沢大
 曲を越えたあたりからピクピクする。「やばいぞ!またかよ?」塩を舐め、水を飲み懸命に防止策を講じるがピクピクの間隔が狭
 まり天狗原分岐付近で「ガーン!!!」と両足痙攣の発作。スプレーを噴射するが一時しのぎに過ぎ無い。5〜10m進んでは
 倒れる。後方から次々と追い抜かれる。「いつものことだ。そのうち治るだろう?」と悲壮感は余りない。約2時間30分間、悪戦苦
 闘する。槍沢ロッジから5時間30分も掛り這いつくばりながら槍ケ岳山荘に到達。

 私が悪戦苦闘して登る姿を槍ケ岳山荘のテラスで眺めている人がいた。私は「みっともない姿を見せてしまいました」「何やって
 んだと思われたでしょう?」とその人に声を掛ける。50歳代で立山〜薬師〜黒部五郎〜西鎌尾根と縦走してきたBさんである。
 槍沢ロッジで追いついた40歳代のCさんは元気よく飛ばしていたがその後全く姿が見えなくなったことを不審に思いどうしました
 か?と声を掛けてくれた。このことが縁で翌日から難コースをご一緒してくれたその人達である。大痙攣も怪我の功名か。翌日
 からの難コース踏破を考えると今夜は興奮のため寝られないかと心配したが意外とぐっすりと寝られた。強心臓いや脳天気な
 のかもしれない。
8月31日 快晴
 いつものように両足は治っている。不思議な足である。朝食後、槍の穂先を登り大喰岳、中岳と今回の山行中、アルペン気分で
 進める時間帯。Bさんは槍ケ岳山荘から、途中でCさんに追いつき3人の足が揃うことを確認。中岳で表銀座コースから縦走して
 きて槍ケ岳山荘に泊まった30歳代の女性Aさんが追い付いてくる。「若い方からどうぞ」と私。「お先に」とAさん。岩だらけの下山
 道で少し道を間違えたAさんに「こちらですよ」と私。何回か声を掛けながら進む。「絶対にご迷惑を掛けないので後をついて行っ
 ても良いですか?」とAさん。表銀座から来たことと暫く一緒に歩いたが3人の足と遜色がないことを考え「どうぞ」と私は小さく頷
 いた。南岳小屋で今から始まる難コースを前にして心の準備を暫し行う。

 Aさんは少し前に出発。大キレットを下り始めたがAさんの姿が前にない。気後れしてたのかな?と思ったら後ろから追いついて
 きて「展望台から大キレットを眺めていました」とAさん。前に進むことを決意したようだ。私がトップ、Aさん。Cさん、ベテランのB
 さんがラスト。誰も何も言わないが自然に役割が決まった。
 「お互いに自己責任」などの軽い言葉は誰も言わない。そのような言葉が通用する生易しいコースでは無いことを4人は十分に
 認識している。何時間前かに知り合った仲間だが足が揃う事で強い信頼と友情を芽生えさせた。山が持つ不思議な力だ。
  
 「歩きながら遠くを見ない」「止まってからマーキングを確認」「浮石の確認」「マーキングを小まめに確認」右手をホールドポイント
 に左手をホールドする。右足をステップポイントに確保。左足をステップ。確実に慎重に一歩一歩体を持ち上げる。下降は逆な行
 為を繰り返す。「落ちたら即死だろうな?」大キレットの最低コルを超える。名クライマーの冠が付いた長谷川ピークを越えやがて
 A沢コルで一瞬だけ気を抜いて暫しの休憩。飛騨泣きを通過。北穂の急こう配をよじ登りやがて北穂高小屋に到着。「やったね
 !」4人で固い握手を交わして健闘を讃えあう。第一関門をクリアーしたのだ。大休止。
 
 北穂高岳の広い山頂を踏み南峰を慎重に下りコルから涸沢槍を跨ぎ涸沢岳の山頂に立つ。この山域では槍ケ岳が4度目、北
 穂高岳が2度目、奥穂高岳が3度目になるが涸沢岳とジャンダルム、西穂高岳、西穂独標は初登頂である。涸沢岳は20番目の
 3000m峰(21座ある。残りは乗鞍岳)でもあるので少し高揚感が感じられた。緊張感が解ける唯つの時間帯をゆっくりと穂高岳
 山荘に下る。NHKの登山教室で有名な岩崎元男さんが小屋の談話室で品の良さそうな(?)おばさま達と談笑されていた。軽く
 会釈し部屋に入る。テラスで午後の陽ざしを受けながらのんびりと夕食時間まで過ごす。緊張感を100%解き放し仲間たちと
 山談議や世間話を語る至福の時である。

9月1日 快晴
 昨夜も思いのほか良く眠れた。今日は最大の難コースを通過しなければならない。私は今まで自分自身の山岳保険は加入して
 いなかったが今回は恐れをなして加入してきた。しかし、8月18日の加入のため9月からの適用である。昨日までは落ちることが
 許されなかったが今日からは落ちても安心である(?)

 奥穂の最初の鎖場の岩場で中年女性が岩にへばり付いていてなかなか登れない。暫くして「お先にどうぞ。後からついて行って
 もいいですか?」と女性。私は無言のまま先を急いだ。間もなく穂高岳山頂に到着。素晴らしい眺めである。何年も掛けて歩いた
 北方には北アルプスの山々が秋色に変化した柔らかな陽射しに美しく輝いている。左手には乗鞍岳、御嶽山。南には南アルプ
 スの山々、富士山、そして我が家のある八ヶ岳。ここまではアルペンムードを満喫する。ここでCさんとは前穂〜岳沢方面に向か
 うためお別れ。「お世話になりました」「気を付けて」とエールを交わした。良き山友に恵まれたことを感謝します。
 
 私がトップ、Aさん、Bさんがラストは変わらず。山頂から眺めると一体、何処をどのようにして歩いて行けば良いのだろうか?見
 当が付かない。無心のまま最大の難関である「馬の背」に突入。登山靴の両方を並べたぐらいのスペースしかない尾根を渡る。
 ふらついたり足をひっかけたりしたら真っ逆さまで奈落の底に落ちてしまう。無言のまま3人は静かに慎重に進む。私はマーキン
 グの方向性を確認しながらマーキング、ホールド、ステップ。マーキング、ホールド、ステップを繰り返す。一瞬たりとも気を抜くと
 地獄の一丁目である。

 強い恐怖心に負けてしまったら引き返す勇気も出ないだろうと思われる凄まじさである。選択肢は前に進むこと以外に無いよう
 に思われた。私だけの単独行だったら間違いなくこの強い恐怖心に纏わりつかれただろうと思う。3人の単独行者が無言では
 あるが強い絆の信頼のザイルで結ばれていると私は思った。特に私は単独だったらアスリート魂が災いし休憩が少なくなったり
 慎重さを欠く行動を取り転落の危険性が増しただろうと思う。トップゆえに休憩を小まめに取るように心掛けリスクの高い所では
 ゆっくりと慎重に昇り降りをするよう心がけた。Aさんは登山経験も少なく万が一のことがあったら詫びても許されないことになる
 。また、Bさんには長い登山経験でラストから暖かい眼差しで見守って頂いた。お二人に深い感謝をささげたい。


時折、縦走者とすれ違う。普通の縦走路では挨拶を交わし通ってきた道の感想などを述べて「お元気で」などとにこやかな会話
 をするが、このコースでは余りにも凄まじいため「気を付けて」の一言で笑みが出ない。岩峰とコルで一瞬間、気を抜いきながら
 次々と乗り越え前に進む。やがて、憧れのジャンダルムに到着。やったー。互いに固い握手で祝しあった。通過した穂高岳方面
 を静かに振り返る。何処をどのようにして通過したのだろうか?無論、登山道らしき跡など岩だらけなので見えない。微かに登山
 者が小さく動くのが見えるだけである。あんな険しい所にへばり付いているのか?俺たちもあそこを通過してきたのだろうか?不
 思議な心境である。危険性からすると8割は越えたようだ。しかし「9合目を持って半ばとせよ!」の格言がある。

 先を行く一人が本職のお坊さんの2人ずれに追いつく。暫し談笑する。「これで安心しました」「万が一滑落死をしたら天国に送っ
 てください」と軽口を言う私。お坊さんたちにはその後ずーと私達の後から見守っていただいた。(私たちの歩行速度が速かった
 だけです)緊張状態を持続しながら慎重に進む。天狗岩、間ノ岳、赤石岳のピークを次々に乗り越え、西穂岳に到着。万歳!!

 緊張状態は解くことは無く、西穂独標に下る。ここで緊張状態を解き、大休止。和やかに他の登山者たちとも談笑をする。西穂
 山荘は直下に見える。私はコンピューターを学んでいると言う学生達と軽口をたたきながら過ごす。彼らは学校行事の一環でこ
 こまで登ってきたと言う。「パソコンで山に如何に早く楽に登るかを計算すれば良いのに」と私。「計算しました」「結果は登らない
 ことと出ました」と一人が答える。「君は優秀な技術者になる」と私。長い過度な緊張状態から解き離れたために私はおしゃべり
 になっていたようだ。

 今日も早めの小屋入りになる。荷物を解いてテラスで長い緊張状態から解放された喜びを素直に喜びあった。心地よい風が日
 焼けした顔を優しくなで西に傾き始めた柔らかな陽射しも私達を祝福しているかのようだ。達成感を割り引いても夕食は3日間で
 一番美味しく頂けた。明日はBさんはゴンドラで飛騨側に降り、私とAさんは長い縦走路で疲れた心身をクールダウンするため焼
 岳を散歩して中の湯に下る。
 
まとめ:
 今回の山旅も4人の同行者を始め多くの良き山屋さんたちに恵まれ天候も味方していただき楽しい山旅が出来たことを感謝しま
 す。何組かの子連れの登山者がいました。殺伐とした親子関係の世の中で親子で登山する姿に深い感動を得ました。私は親子
 連れの方で小学生や中学生連れには「良い家族ですね。ぼく(わたし)も頑張ったね」とその他の方には「親孝行ですね」と声を
 掛けます。大自然は人間が持ち合わせる邪悪な心を不思議な力で浄化してくれると私は常に思っています。山々を歩くと不思
 議に素直な心に戻るような気がします。ありがとう大自然。ありがとう山友達。