黒部五郎岳〜三俣蓮華岳〜鷲羽岳〜水晶岳縦走報告書(単独行)

行程 2007年8月27日〜30日
8月27日(月)
晴後曇
清里(12:00)〜折立(16:30)
28日(火)
曇後激しい雷雨
折立(5:00)〜太郎平小屋(7:50 8:20)〜北ノ俣岳(9:45)〜黒部五郎岳(12:15)〜黒部五郎小屋(13:40)
29日(水)
曇時々晴
黒部五郎小屋(5:15)〜三俣蓮華岳(6:40)〜三俣山荘(7:20)〜鷲羽岳(8:30)〜水晶小屋(9:40)〜水晶岳(10:20)〜水晶小屋(10:50)〜ワリモ岳分岐(11:30)〜祖父岳(12:10)〜雲の平小屋(13:00)
30日(木)
激しい雨
雲の平小屋(5:20)〜薬師沢小屋(6:50)〜太郎平小屋(8:45)〜折立(10:40)〜清里

 山行後記

 折立駐車場で車中泊をしていた夜は木星が雲間に見え隠れし時折14日の月も薄雲を照らしていたが22時頃から1時間ほど激しい雷雨が降り明日からの天候が危ぶまれた。愛知大学の遭難碑にお祈りしスタート。太郎平小屋の手前10分頃から雨も落ち雷が轟く。小屋で私としては長考し雷雨は長く続かない。2時間もすれば止むだろうと判断し小屋を後にする。

「ぴかっ」と閃光が白い濃霧の中を走る1・2・3・・・10と数える。ゴロゴロドーン雷鳴が轟く。近くはない。「俺は貧乏人だから金目の物は持っていないよ(?)落ちるなよ」身を隠すものは何も無いハイマツや草原の濃霧の稜線を行く。田舎の日光で雷は慣れているとはいえ打たれて昇天は残念である。予想通り北ノ俣の手前から雷雨は上がる。中俣乗越で大学のワンゲルの連中を追い越す。雷で神経をすり減らした分だけ黒部五郎岳の登りは少し堪えた。この分では三俣山荘までは無理と判断。今日は黒部五郎小屋までとし明日の赤牛岳は諦めることにする。稜線コースとカールコースの分岐点で中年の男女2人に会う。「山頂まで15分位です。先に行って小屋で待っています」と女性。(私はすぐに追いつきますと心で答える)山頂は霧の中で何も見えず。分岐点に戻りカールコースを一気に下る。すぐに先の二人ずれに追いつく。「エッもう来たのですか。どこからスタートですか」と女性。「折立からです」と私。二人連れは太郎平小屋から来た。
 
 大きな雪渓が残るカールを見ながらどんどんと下る。ダケカンバ林を横切りいくつもの小さな沢を越えやがて黒部五郎小屋に到着。濡れた下着や雨具を乾燥室に干しのんびりと食事までの時間を過ごす。二人連れは夫婦ではなく小屋で一緒になり励ましながらの雨の中を同行したようだ。私より1時間遅れで到着。明日の天候は曇り時々晴とBSテレビが報じている。明日は降られなくても雨露に濡れるので雨具のズボンを用意して床に就く。三俣蓮華岳の登りで6時15分霧が晴れ朝日が眩しく差し込む。鷲羽岳、水晶岳、雲の平そして諦めた赤牛岳が姿を現した。三俣山荘まで下る。予定では昨日はここまで来るはずだったが雷雨の影響で遅れを取ってしまった。私は若い頃から距離ではなく歩行時間が1日8時間を越えるとガッタと体力が落ちる。今でもその癖が直らず昨日も時間的には三俣山荘まで行けたのだけど黒部五郎小屋でストップ。

 日差しが差し込む天候も鷲羽岳を登る頃には霧が掛かり視界も悪くなってしまった。ここの登りで三俣山荘の手前から後ろで見え隠れしていた40歳位の単独行の男性に休憩中で無く行動中にスーと抜かれる羽目になった。何年ぶりの珍事だろうか(?)彼にはその後追いつくことは無く水晶岳からの復路「双六方面に戻ります」と彼「赤牛岳を諦めて高天原に行きます」と往路の私。互いに健闘のエールを交わして分かれた。高天原の温泉に泊まる予定も水晶小屋の情報で明日の天候が思わしくないようなので雲の平小屋に変更する。水晶岳を登る頃には再び霧も晴れた。19歳の時に裏銀座を縦走した野口五郎や烏帽子岳がきれいに見え懐かしくて水晶小屋のお姉さんと暫し談笑して時を過ごした。南には槍ヶ岳の穂先や北鎌尾根の鋭い岩峰も見える。眼下には今日泊まる雲の平小屋が見える。

 ワリモ分岐まで戻り祖父岳に登り返して雲の平に一気に下る。この小屋も19歳の時泊まった懐かしい小屋である。小屋の前で日向ぼっこをしていると30歳代の若者たち6名がやって来た。全身ブランド物の登山用品を身に纏った新人類の登山者のようだ。今日はテント場とのこと煩くなくて良かった。最も彼らはおじさんにいろいろ厄介な質問やらお節介を受けなくて良かったと思っていると思う。(私はこちらからは声を掛けない)暫し登山用具のブランド名をべちゃくちゃとしゃべり小屋のカップ麺やカレーライスの昼食を取り消えた。ここ2~3年おじさんやおばさんでなく30歳代の単独行の女性やグループに良く出会う。少しずつ山の雰囲気が変化している様だ。おじさんは歓迎するが彼女たちはどのように思っているのだろうか。

 16時を過ぎる頃からぽつぽつと雨が落ちてきた。明日は雨だろう。8時間歩行の燃料切れの癖が無ければ薬師沢小屋まで下れたのにと少し後悔する。夕食までに1時間程うたた寝をする。明日は雨の中で間食を取るのは大変なので夕食と朝食は多めに食べることにする。20時頃から風雨が強くなり激しく屋根や壁をたたく音がする。この分だと一昨日の雨と今夜からの雨で沢筋はかなり増水するだろう。奥の廊下や薬師沢に掛かるいくつかの橋が流失する恐れがある。折立からの林道も一定雨量を越えると通行止めになるのを覚悟しなければならない。2日間とも早い時間に小屋に到着しているので体力は温存してある。明日は6時間程ぶっ飛ばして下山するだけなので心配することも無いだろうと覚悟を決めて眠りに着く。

 5時朝食。風雨は激しく昨夜と変化なし。雲の平の木道は増水でぷかぷかと浮いているところが多く靴の中を濡らすのは避けたいので時々ジャンプしながら急ぐ。樹林帯に入ると雲の平から流れ下る幾筋かの増水した沢が登山道だか沢なのか分からなくなる程に流れ下っている。太郎平小屋からの登山客に薬師沢からの急登の状況を聞かれる度に「河童の川流」で泳いで降りてきましたと答えると真顔で本当ですかと言う。冗談ですよと私。冷気のため霧もかなり濃くなり視界も悪く途中で間違えて沢筋を下ると即遭難である。岩、切り株、木根、登山者が掴まる木肌の傷跡などを慎重に判断しながら下る。こんなに真剣に沢と登山道の違いを嗅ぎ分けながら歩いたことは私の登山経験で初めての事だ。やがて薬師沢が轟々と流れる川岸に到着。向岸には薬師沢小屋が見える。川岸は増水で通行不能。撒き道の梯子を登り滝の飛沫をまともに浴びて奥の廊下に掛かる吊橋を渡り薬師沢小屋に到着。水羊羹とキュウリを腹に押し込みすぐに出発。

 薬師沢には幾つもの簡単な橋が掛かっている。「私が通行するまでは流さないで下さい」と無宗教の私はこんな時は神仏に無理難題を願う。31日は仕事を入れてあるので兎にも角にも折立まではぶっ飛ばす。太郎平小屋で林道の情報を聞くと通行止めの連絡は無いので大丈夫でしょうとのお告げ。薬師沢小屋や太郎平小屋からの登山者を次から次へと追い越し飛ばしに飛ばして折立に無事に到着。林道の管理小屋のおじさんが今朝はもう少しの雨量で通行止めになるところだったとおっしゃる。今回の山行では中高年登山者の天候悪化に対処する心構えの希薄さが目に付いた。こんな天候の時は最初から山行を中止するのが当然なのだがやむなく決行した時、リスクをどう考えて行動するかが重要である。

 増水で橋が流失する事や川岸の通行不能で長時間の撒き道歩行を余儀なくされることや林道が通行止めになるリスクを知らない登山者が多くその事を告げると一様に驚いて「知らなかった」と驚く。小屋からの出発時間が遅い登山者や軽登山靴での入山なども多く見られた。
13名の御霊が安らかなることをお祈りし私の3日間の無事を感謝し多くの登山者の安全をお守り下さいと遭難碑に祈り折立を後にした。

  


三俣蓮華岳山頂

雲の平から水晶岳の雄姿を振り返る

雲ノ平小屋の前で寛ぐ

雷鳥の親子の散歩