前歯





80年代、僕らが夢中だったもの。ファミコン、ファミコン、ファミコン。それ以外に何があっただろう?
たとえ都会の子供でも、たとえ田舎の子供でも、僕たちの脳は8ビットのマシンに冒され、いつだって
熱暴走寸前だった。そんな僕らが学校での挨拶代わりの言葉は「〜ってゲームが面白いらしいぜ」
だった。飢えていた、刺激に、ゲームに飢えていた。

僕も間違いなくそんなゲームキチガイの一人なわけで、学校から帰るなりファミコンの電源をONに
して、後は親にどつかれるまで続けていたような奴だった。ゲームは楽しい、けど、何回もやって
いると飽きてくる。子供ならなおさらだ。もっと沢山のゲームがしたい!そう思っても、当時の小遣い
じゃ半年に一本買うのが精一杯だった。

必然的に友達との貸し借りが発生するわけだが、条件が妙に汚らしかったり(給食のオカズトレードとか)
3日だけ貸してくれるとか、いろいろと面倒だったのだ。そんなこんなで、ジタバタしていた僕を見かねた
のだろうか、親父がある日、車でとある場所に連れていってくれた。

着いた場所は、何の変哲もない民家。たぶん親父の友人のお宅だろう。ただ一つだけ違ったのは、車庫
の奥に妙な色使いで、妙な形をしたバイクが置いてあったことだ。それを初めて見た時、「カッコイイ!!」
と思うと同時に、「エビ?」なんて考えも浮かんだ。要するに「族バイク」だったんだけど。

「おう!こんにちは!」と家からオッサンが出てくる。「どうも!悪いね、このバカが言ってもきかないもんで」
と親父が話し出す。バカで悪かったな、と思いつつ、僕はまだこの家に連れて来られた意味を理解しか
ねていた。オッサン二人のガハハと笑いながらの会話をボーッとしながら見ていると、親父が「おい、ここ
のオジサンの息子さんが、ファミコンを沢山持っている(ソフトがあるって意味だったのだろう)けど、全然
遊んでいないからあげるって!よかったな!」

その言葉に僕は飛び跳ねた。ファミコン?沢山?あげるって?くれる!?あまりにも夢みたいな話で、僕は
嬉しいながらもひどくとまどっていた。胸の高鳴りを感じつつ、僕はそのオッサンの家にお邪魔して、その
ソフトをくれる子供の部屋に向かった。この時、子供というくらいだから自分と同じくらいの年齢の子なんだ
ろうな、って思っていた。僕は嬉しさのあまり忘れていた、あのバイクの存在の意味を。

「おい!入るぞ!」オッサンがいきなり怒鳴る。そして開けられたドアの向こう側は、今まで僕が見たことの
ない世界だった。薄暗く、物は散乱し、煙草の臭いで充満していたその部屋に居た人は、僕のイメージとは
天と地よりもかけ離れた、トサカ頭のいわゆる「ヤンキー」のお兄さんだった。

「あぁ?何だよ!?」凄みのある声とともにこっちを睨む。僕は慌てて親父の陰に隠れた。オッサンの方が
またでかい声でしゃべる。「ほら、この前話したろ!いらないゲームこの子にやるんだよ!」それを聞いた
お兄さんは「あ?、あぁ…アレね」と少し落ち着いた感じになる。そこに親父が「ほれ、好きなファミコンをもら
ってこい」と言う。僕は泣きそうになりながらも、そっと部屋に入り、「こんにちは…」と挨拶をした。すると、
「んだよ!オメェ男だろ?もっと元気出せ!」とお兄さんが気合満点で言い放つ。「は、はい…」やっぱり元気
の無い返事。「へっ、ま、いいか。ファミコンだろ?」とお兄さんが部屋の奥から段ボールを引っぱり出して
くる。その中には、ソフトがぎっしりと詰まっていた。

僕も現金なもので、ソフトを見たとたん、砂糖を見つけたアリのようにかじりついて物色を始めた。一心不乱
にソフトを選ぶ僕を見て、お兄さんが話しかける。「おぅ、ゲーム好きなのか?」その質問には自信があった。
「うん!」と僕は答える。すると、「何だよ、元気あるじゃねぇか!」と、お兄さんがニヤッと笑う。その時に見た
彼の前歯は、所々欠けていて、やけに黄色かった。それが気になりつつも「何で歯が黄色いの?」なんて
聞く勇気なんて出るわけもなく、ソフトを選び終わった僕は、ペコリと頭を下げると足早に部屋を出た。

お兄さんから貰ってきたソフトは約10本。面白いものもあればクソゲーもあったけど、とにかく僕はそれらを
狂ったように遊び倒した。そして、一ヶ月も経ったころだろうか、僕の心の中は例えようのない罪悪感で一杯
になっていた。「くれる」とは言ってたけど、初めて会った相手からタダで物を貰うということにどうしても納得
ができなかったのだ。楽しかったけど、僕はお兄さんにソフトを返そうと決意した。親父にその話をすると、
何故か困った顔をして、「わかった」と一言だけ。何故あんな顔をしたのだろう?その疑問は、一週間後の
日曜日に明らかになった。

再びオッサンの家に連れてきてもらった僕は、一人で車から降りて、家の玄関に向かう。ベルを鳴らして、
やがてやって来たオッサンは、一ヶ月前より痩せた感じがした。「あの、ゲーム返しに来たんですけど、
お兄さんは?」僕がそう言うと、オッサンは「ああ…アイツはね、居ないんだよ…オジサンが後で返しておく
から…」と、やけに脱力した感じで答える。その態度を妙に思いながらも、僕はオッサンにソフトを返し、
親父の車に駆け足で戻る。その時、ちらっと見えた車庫の奥に、あのカッコよくて、エビみたいなバイクは
置いていなかった。僕は、「お兄さん、お出かけかな?」くらいの軽い気持ちで、その場を離れた。



彼の悲報を聞いたのは、それからずいぶん後の事だった。



80年代、僕らが夢中だったもの。ファミコン。僕たちの脳は8ビットのマシンに冒され、いつだって熱暴走
寸前だった。飢えていた、刺激に、ゲームに飢えていた。その一方で、お兄さんのように、スピードとか自由に
飢えていた人達も熱かった時代だ。環境や年齢は違えども、僕たちは燃えていたんだ。そう考えると、あの時
のお兄さんとの出会いと別れも、奇妙な縁だったのかも。今でも、あのお兄さんの笑ったときの汚らしい前歯を
思い出すことができる。

「おぅ、ゲーム好きなのか?」
「あぁ、大好きだとも!」

今でも自信たっぷりに言えるよ、お兄さん。

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