音
ぶっちゃけて言ってしまおう。オレは右の耳が聞えない。
3歳の頃患ったおたふく風邪の後遺症のようなものらしく、
わりとよくあるケースらしい。とはいっても、その「よくあるケース」に
引っかかった当人はたまったもんじゃなかった。
自分の右耳が異常だと自覚したのは幼稚園の頃。友達から
内緒話で右耳から話をされた時だ。・・・何も聞えない・・・友達が
声を大きめにしても・・・ダメだった。ものすごく怖くなって、メチャクチャ
泣き出して、先生がやって来て、親がすっ飛んできて・・・今でも
フラッシュバックのように思い出す。
それからは、医者通いの日々だった。近所の町医者、隣町の医者、
遠くの名医、大学病院・・・治療法が確立してなかったせいもあり、次々と
たらい回しにされていった。気が付けばオレは小学生になっていた。
母親が「学校行けなくてごめんね」とお菓子を買ってくれたりしたが、
その表情にはやはり焦りと疲れが見えていた。
ようやく行き着いたのが国立病院。幾度と無く繰り返される聴力検査。
ウンザリだった。何時間も待たされて、ようやく呼ばれたと思ったら
十数分で終わるオレの診察。ヤブ医者が。本気でオレの耳を治す気が
あるのかよと子供心ながらに恨んでいた。しかし、何とか人並みに
治ってほしいと願っている母の姿を見ていると、とてもじゃないけど
そんな文句は口に出せなかった。
小学2年の時だ。今の状態を少しでも改善しようということで、手術を
行うことになった。期間は夏休みの2週間。正直、もうどうでもいいから
休みくらい遊ばせてくれよ、という気分になっていた。しかし家族は大パニック。
入院なんて母親がオレを生む時以来の大事だったからだ。じいちゃんと
ばあちゃんは心配のあまり護身のお守りを神社から貰ってくる始末。
そして入院。内科の人と相部屋になった。「よっ!ボウズ!ヤクルトでも
飲むか?」と陽気に話しかけてくれる顔色の悪いおっちゃん。オレと同じ
症状で入院している子供。母親みたいな看護婦さんと、ちょっとキレイな
看護婦さんに囲まれて、以外と退屈しなかった。耳以外は健康体なので、
近くの病室のガキとつるんで廊下をダッシュしたりして、よく怒られた。
様々な健康診断を経て、いよいよ手術の日。家族が全員集まって、オレの
ことを物凄く心配そうに見つめている。冗談じゃねぇ。たかが耳の手術くらいで
オレが死ぬみたいじゃないか。恐怖度倍増。トドメに医者が「ちょっと痛いよー」
って謎の注射をしていく始末。何の薬か説明しろよ。担架で運ばれて、ついに
手術台へ。何だかいっぱいお医者さんがいた。後から聞いたのだが、オレの
手術は珍しいもので、見学に来た奴がいたそうだ。くそ、人をモルモット扱いかよ。
ふと、マスクを着けられ、妙な臭いのするガスを嗅がされた。途端、四肢の感覚が
消えていく。同時に抗いようのない眠気が・・・
看護婦さんが言った「がんばってね」
気が付くと、病室に戻っていた。動こうにも体が重い。腕を見ると、点滴の針が
深く刺さっていた。・・・生きていたんだ・・・。大した手術じゃないと医者は言って
いたが、やはり意識が途絶えたのは怖かった。麻酔をかけられてから病室までの
記憶が無いのは小学生にとってはちょっとしたホラーだ。母親が声をかける。
「もう手術終わったからね、よく頑張ったね」・・・つうか寝ていただけという感じも
しないでもないが。それでも母親の目が真っ赤だったのを見ると、オレも「うん」
としか言えなかった。
それから数日、経過を診るため引き続き入院。今度は個室に移され、しかも
点滴もしているのでロクに動けない。テレビも無い有様だ。ただ退屈に、時間を
浪費していった。そんな時、親父が夜にやって来て、ポンと小箱をオレのベットに
投げた。「ヒマだろうと思ってな」ぶっきらぼうに喋る親父。とりあえず箱を開けて
みることにした。すると、そこには新品のゲームウオッチがあった。凄く嬉しかった。
入院してからというもの、漫画やテレビは見られたものの、オレが既にのめり込んで
いたゲームを遊ぶ機会が無かったからだ。親父は兄貴からオレが一番喜ぶ
物はゲームだと聞いたらしく、オモチャ屋を駆けずり回って今一番売れている
ゲームウオッチを買ってきてくれたのだ。・・・もうファミコン出てるのに、今時
流行らねぇよ・・・親父・・・。
早速電池を入れて、スイッチを入れる。「ピピッ、ピピッ」・・・音が聞えた。
ひどく単純な電子音。でも、オレはまだ、この音を聴くことが出来るんだ。
そう思うと、静かに、涙が流れてきた。後は簡単、毎日眠くなるまで、ずっと
ゲームウオッチに没頭していた。
思い出話はここまで。結局、オレの右耳は治りませんでしたー。あ、ほんの
チョーットだけは聞えてるみたい。新幹線が真横で通り過ぎる時の音量なら
キャッチできるって。ダメじゃん。それでも、左耳はまったく正常に聞えるから
日常生活には支障なし。聞える音はすべてモノラルだけど、世の中には
もっと辛い境遇の人も居るんだから、贅沢は言えないよ。「音」を感じられる
って、すげぇ幸せなことだよ。家でプレステ2起動するとき、「ポウッ」って鳴るけど、
皆は「へんな音」って言うけど、いいじゃん。なんかさ、「これからが始まりだぜ!」
ってマシンが言っているみたいでさ。いいじゃん。