山の花は赤 1

 
王都に続く石造りの幹線道路。
小さな標識と共に、ミスラ山脈方面への分岐点はあった。
オスカーは標識に小さく書かれた麓の町までの距離を確かめ、背後のリュミエールをふりかえった。
「麓まではここから約1日、今夜は野宿になるな。平気か?」
「大丈夫です」
今までだって野宿はあったでしょう?と、リュミエールはぽつりと付け加えた。
 
水の神殿を出てから約一月半。面倒臭いと思っても、オスカーは旅慣れないリュミエールに何かと気を使ってきた。
それがリュミエールにしてみれば、子供扱いされているように感じられる。
確かに土地勘はないし、馬の扱いもうまくはないし、物の値段の相場も判らないときては、オスカーは彼に一人で買物をさせることも出来なかった。
何しろ路銀だけは十分に出ているので、あっという間にボラれてしまうのだ。
何処にいっても交渉するオスカーの後でそれを見ているか、さもなければ宿屋で留守番ばかりなので、リュミエールもいい加減なんとかしなければと自分で思いはじめている。
「いや、ここから先の野宿は今までとは
注意しかけてオスカーは止めた。
街道添いでの野宿と山野での野宿は、危険度も、また寒さでも格段に違ってくる。
だからといってあまり心配する様子を見せると、リュミエールは足手まといになっていると感じるのか、余計に無理をする。
面倒臭いがリュミエールの浮き世離れした雰囲気を見ると、何だか世間擦れさせるのも悪いような気がして、オスカーは彼に雑事をさせようとは思わなかった。
相変わらず、噛み合わないままで二人の旅はここまで来ていた。
 
 
標識に、道の半ばごろに旅人用の簡易の小屋があると書いてあったため、二人はそこまで進むことにした。
分岐につくのが遅かったのか、道の脇の丘の上にぽつんと立つ掘っ立て小屋に着いたときは、月が完全に真上にきている。
まさに掘っ立て小屋だった。
中は土間と板張に別れていて、とりあえず小さな竃と薪、それとマッチが置いてあった。
小屋の隣には小さな井戸もあり、なんとか食事も作れるようになっている。
オスカーが外で馬に水をやっている間に、リュミエールは中でお湯をわかし、簡単な食事を作りはじめた。
旅の間のリュミエールの仕事は、結局野宿の時の食事作りだけだったのである。
 
 
沸騰しだした湯に中に、塩漬け肉を適当に切り分けたものと、乾燥させた香草をいれ、
軽く煮込んだ後、味の仕上げにチーズをすりおろして入れる。
それから違う種類のチーズを切り分け、火にあぶって少し柔らかくしてから、スライスしたパンに乗せる。
食事が出来たところで小振りのヤカンでもう一度湯を沸かし、そこにお茶の葉を入れて
全ての用意がおわる。
水の本神殿は基本的に自給自足だったので、リュミエールにとって炊事は慣れたものだ。
それでも、それでも。
旅慣れたオスカーにお姫さま扱いされていることには、かわりがない。
確かに野宿はした事が無かったが、寒さにも(神殿は高地だから気温は低い)慣れているし、動物の遠吠え(付近には肉食の獣も住んでいた)にも慣れている。
にもかかわらず、オスカーにはリュミエールが1歩踏み出したとたんに転びそうな、頼りない子供のように見えているらしい。
(それは、確かに町のような人の多い所は慣れてないし、方向感覚もかなり乏しいし
実はリュミエールはかなりの方向音痴だった。今まで遠出をしたことが無かったので、
自分でも気付かずにいたのだ。
同等の筈なのに、いつも一方的に面倒を見てもらっているのは、何とも気が引ける。
ぽこぽこと音を立てだしたヤカンを見ながら、リュミエールはため息を吐いた。
 
不意にリュミエールは寒気を感じて、身体を抱き締めた。
掘っ立て小屋は雨風は防いでくれるが、隙間風はどうにも防ぎようがない。
荷物から毛布をだし、火で温めようと考えたとき、オスカーが外にいることを思い出した。
(身体が冷えているでしょうに
火を使っていた自分でさえ、寒気を感じるのだからと、毛布を火の前に並べ終えてから、様子を見に行こうと立ち上がったところで、タイミングよくオスカーも戻ってきた。
「やはりこの辺りは冷えるな。寒くはないか?」
「私は平気ですが、あなたが冷えてしまったでしょう。火の傍へどうぞ」
そう言って温めた毛布を渡すと、一瞬意外そうに片眉をあげ、それからすぐに相好を崩して、「ありがたい」と羽織った。
土間にしつらえた小さな囲炉裏の火を囲み、黙々と食事をすませた後、オスカーはリュミエールに先に休むようにといった。
「火を絶やしたら、凍えそうだ」
先に見張りをしているというのだ。
とっさにリュミエールは返事をした。
「この前もそう言って、あなたは夜明け近くまで私を起こそうとはなさりませんでした。
あなた一人に無理をさせる訳には参りません。今夜は私が先に番をします」
「おいおい、何を言いだすかと思えば」
オスカーは小馬鹿にしたように肩をすくめた。その仕草は余計リュミエールを意固地にした。
「私がします」
「駄目だ」
 オスカーの答えはにべもない。
「よく考えてみろ。俺とおまえの体力の差ってものを。俺はその気になれば二晩や三晩の徹夜も平気だが、お前なら倒れてしまうだろう。意地で無理をして身体を壊すのが、旅では一番の足手纏いだって事もわからないのか?」
リュミエールは唇を噛んで黙ってしまった。体力の違いは、それこそ嫌というほど思い知っている。だからこそ余計に甘えたくなかったのだ。
オスカーもそんな気持ちは感じ取っている。だがあいにく、そんなリュミエールの意地を微笑ましいと好意的に解釈するほど、二人の関係はよくはなかった。
オスカーにしてみれば、駄々をこねる子供の機嫌を取っているような気分だったのだ。
俯いてしまったリュミエールに、それでも言いすぎたと思ったのか、いささか口調を和らげてオスカーは毛布を渡した。
「心配しなくたって、適当な時間に代わってもらうよ。それに明日は町に入る。暖かい布団でゆっくりと眠らせてもらうさ」
―――町に入れば入ったで、それこそ深夜迄も遊んでいるくせにと思ったが、それ以上言うのも本当に駄々のようで、リュミエールは黙って毛布をかぶって横になった。
早く朝になればいいと思った。
 
 
翌日、足場の悪い山道をリュミエールは馬を牽いて歩いている。
乗馬になれていない彼には、この荒れた道を馬に乗ったままゆくのは無理だったのだ。
付き合いでオスカーも歩きながら、ときおり振り向き
「俺が引いてやるから、乗ったらどうだ?」
と訊いてくる。そのたびにリュミエールは息を吐き、下を向いたままで頭を振る。
いま馬に乗ったら、それこそ吐きそうだ。
リュミエールは自分が情けなくなっていた。
結局オスカーは明け方まで火を絶やさないように起きていて、自分はそれまでの間に十分休息をとったはずなのに。
先にばてているのは、結局自分である。
「体力の差」悔しいほどにそれを実感していた。
青い顔で下を向いたまま歩くリュミエールを見て、オスカーは聞こえないように何度目かの舌打ちをした。
(ああ、もう面倒くさい。頼るなら、さっさと頼ってくればいいのに)
 
 
ようやく町についたとき、オスカーとリュミエール、どちらがよりホッとしたものか。
小さいながらも意外と人が多いという印象の町だった。
街路にはたくさんの女性や子供が、あちらこちらで輪を作るように、何か話していた。
とりあえず青い顔のリュミエールを休ませようと、オスカーは宿屋を捜した。
田舎町だけあってそう立派ではないが、清潔そうな宿を見つける。
一階は食堂、2階が部屋というこの辺りの典型的な作りの宿屋だ。
中に入って大柄な主人に話すと、込んでいて開いているのは一番高い部屋が一室だけだという。かまわずに部屋をとり、食堂の椅子に倒れるように座り込んでいたリュミエールに、馬を小屋に入れてくるから、先に休んでいるように言うと、彼はようやく顔を上げて小さく頷いた。
その素直な様子に満足気にオスカーがうなずく。しかしリュミエールは部屋に行こうとせず、つらそうな顔を向けて、不意にオスカーの袖をつかんだ。
 
何かと思って思わず顔を寄せたオスカーの耳元で、リュミエールは低く囁いた。
外、何か変だと思いませんか?」
何を言いだすのかとオスカーは顔を顰めた。
「外にいる女性や、子供たち、何か不安そうに、町全体が騒めいているような
「気分が悪いからそう感じるんだろう。俺には活気があるようにしか感じられんがな」
ですが」
しつこく言い募るリュミエールに、完全にオスカーは切れた。
強引に腕をつかんで立たせると、ぐいぐいと2階のあてがわれた部屋に引っ張っていく。
「具合が悪からだ!だから何でも悪いほうに考える!」
 決め付けて、オスカーはリュミエールを部屋に放りこんだ。
「くだらん事を考えてないで、さっさと寝てろ!飯はあとで運んできてやる!そんな様子で、明日山を登れるか!」
バタンと大きな音を立ててドアが閉まる。
閉まったドアを眺めたまま、リュミエールは何だか泣きたいような不安な気持ちになったが、そのまま靴を脱いで布団のなかに潜り込んだ。
私の考えすぎ、なんでしょうか)
目を閉じると、あっという間に眠りの中に落ち込んでいった。