山の花は赤2

 
「ったく、何を言いだすんだか!」
オスカーは階段を下りると、店の前につないでいた馬を納屋に連れて行き、積んであった荷物を下ろした。
それを2階の部屋に運びいれたときには、リュミエールは布団の中にすっぽり潜り込んでいて、髪の毛の先以外は見えない。
オスカーは無言でドアを閉めると一階へ戻った。
食堂は居酒屋に様変わりする時間帯で、仕事帰りらしい男たちがぽつぽつと姿を見せている。
オスカーも席を一つとり、注文を取りにきた娘に酒と簡単な食事を頼む。
15、6くらいか、鼻の頭にそばかすのあるいかにも健康な田舎娘といったふうの少女は、背の高い、都会的な美形二人の旅人の到着を見ていたのか、嬉しそうに細々と説明をしながら、何度も席のまわりをうろついていた。
 
「あの、お客さん?もう一人の方は?」
「気分が悪いんで寝てる。ああ、あとでお粥みたいなものを作ってもらえるか?あの調子じゃ、物が食えるかどうかもわからん。まったく、明日の方が大変だってのに
最後の一言は口の中で呟いただけだったのだが、娘は敏感に聞きつけて訊いてきた。
「明日、どうするんですか?」
「山登りさ。この上にガレって町があるんだろ?そこの闇の神殿に用事があるんだ」
ガレという言葉に、娘だけではなく酒場にいたものが皆反応を示した。
さっと緊張した様子に、オスカーは何事かと見回した。
「お客さん、あそこは駄目だよう!原因不明の病が出たとかで、上から女や子供たちが避難してきてるんだ」
「なんだって?」
厳しい顔で聞き返すオスカーに、娘は少し怯えたような顔をした。
「ああ、大きな声を出してすまなかった、お嬢さん。だが俺達も大事な用で行かなくてはならないんだ、知っていることを教えてくれないか?」
優しい優しい甘い声で、オスカーはそう訊いた。効果は覿面で、娘はぼうっと頬を赤らめたまま、話し始めた。
 
 
娘の話はそう詳しくはなかった。
避難してきた女から聞いた程度の知識しか、娘は持っていなかった。それでもこれは町の大事件なのか、聞かれもしないのに男たちも口を挟み、オスカーは大体の事情を知ることが出来た。
事は数ヵ月前に起こった。
山に入った男たちが行方不明になりだしたのだ。
なんとか見付けられたものは、皆、魂を抜かれたような腑抜け状態になっていた。
調べるために入った者達も、あるものは同じように意識をなくし、また帰ってこなかった。ついにこの麓の町にある地の神殿から神官が調査に向かった。
その結果、いや、結果が出なかったから、余計に大騒ぎになったのだ。
神官はガレで調査を続けながら、女たちを麓に避難させてから一月がすぎた。
だが今以てガレからは迎えの気配も、何の連絡もない。
残してきた夫や息子達を思い、または恋人や兄弟を心配し、今では町のあちこちで集まって祈る姿が見られ始めた。
オスカーたちが到着したのは、そんな町全体が重苦しい雰囲気に沈んでいたときだったのだ。
 
妙に人が多いとは思ってたんだが」
この町自体には異常が無かった。それでオスカーは気が付かなかったのだ。
「お客さん、今は駄目だよ、本当に
「いや、そんなときならなおさら、俺達が役に立てるかもしれない。俺達は炎と水の神殿から来たんだ」
オスカーは不安そうな娘を安心させるように、鷹揚に言った。
それを聞いて娘が、旅人の素性に合点がいっといいたげに、大きく頷く。
「じゃ、調べるのを手伝いに?」
「それが目的ではないがな、用事をすませるためには、たぶんガレが落ち着いていなければ、どうにもならないだろう」
娘はまた大きく頷いた。
                  
そうっと気遣うようにドアを開ける微かな音。だがリュミエールは敏感に気が付いて、布団からゆっくりと顔を上げた。
ずいぶんとぐっすり眠っていたらしい。体調は回復していた。
小さなランタンを持ったオスカーが、もう片方の手に深皿を乗せた盆を持って入ってきた。
「起こしたか?」
低い声で訊かれ、リュミエールは「丁度目が覚めたところでした」と、答えて身体を起こす。
「ミルク粥を作ってもらった。食えるか?」
「はい」
素直に頷き、ベッドに腰掛けたまま、傍らの小さな机に置かれた粥をリュミエールはゆっくりと食べ始めた。
もうひとつのベッドに腰掛け、そのままオスカーはリュミエールが食事を終えるのを待ち、彼が皿を置くのを見計らって、おもむろに声をかける。
「お前の意見が正しかったよ」
「え?」
何を言われたのか判らずに聞き返すリュミエールに、オスカーはさっき聞いたガレの現状について説明をした。
リュミエールは黙って話を聞いていたが、やがて自分に言聞かせるように、
「何があるのかは判りませんが、お手伝をしなくてはなりません」
そう呟いた。
「それは当然だがな、お前」
オスカーは言い辛そうに切り出した。
「事が収まるまで、ここで待った方がいいな」
「どういう事です?」
リュミエールは眉を顰めて聞き返してきた。
「上で何があるか判らないんだ。俺が一人で先に様子を見てくるから、お前はそれまでここで待っててくれ」
「そんなこと、出来ません!」
間髪入れず、リュミエールが答える。予想はしていたが、やはり面倒臭そうにオスカーは尚もいった。
「上にいくまでにお前は参ってしまうだろう。それではすぐに動けない。緊急事態なんだ、聞き分けてくれないか?」
「私は水の神官、癒し手です。病に苦しむ方がいるのなら、尚のこと、行かなければなりません。こればかりは、譲ることは出来ません!」
オスカーにしては最大限、言葉を選んで「お願い」したつもりだったが、リュミエールは「癒し手」の名を盾にとって、頑として頷こうとはしない。
結局オスカーの方が折れるしかなかった。
「よく判った!勝手にするがいい!何があっても、俺は手をかさんからな!」
怒鳴り付けてオスカーは部屋を出ていってしまった。きっとまた朝まで戻ってこない。
酒場で夜明かしするつもりなのだろう。
一人でとり残され、リュミエールはまた泣きたい気分になった。
放り出されたのが不安だからではない。協力すべき時に仲違いする、自分たちの相容れそうにない気質が悲しかったのだ。
 
 
翌朝、一言も口をきかずにむっつりとしたまま、二人はガレへの道を上っている。
相変わらずリュミエールは下を向いたままきつそうに歩いているが、緊張しているためか昨日よりはしっかりしている。
口では突放しても、もともと面倒見のいいオスカーは、何となくちらちらとリュミエールの方を気にしながら歩いている。
それで余計に助けを求めようとしないリュミエールの意固地さが癪に障り、オスカーはいらついたままだった。
 
ガレへの道は半日ほどの距離だった。朝早く麓をたった二人は昼すぎには町に到着することが出来た。
こちらはまた麓と違い、まるで誰もいないかのように閑散としている。
人の気配の無さに怯えた様子を見せたリュミエールに、オスカーはどうしてもほってはおけず声をかけた。
「闇の神殿にいってみよう。聞いた話では、この町にあるのは闇だけだ」
その声音にほっとしたように、リュミエールはかすかに微笑むと頷いた。
(いつもこれくらい素直なら、扱いやすくていいんだがな)
その微笑みに、オスカー自身も何処かほっとした気分で笑いかえした。