山の花は赤3

 
闇の神殿の門の前には、物忌みの旗が出ていた。凶事の印だ。
二人は顔を見合わせて閉じられた門をたたく。中から出てきたのは、二人よりはいくつか年上なのか、頭に布を巻いた穏やかな顔つきの青年だった。
 
青年は最初は訝しそうだったが、二人の素性を聞き、ほっとしたようににっこりと笑った。
「あー、思わぬ応援が来てくださって、嬉しいものですねー。私は地の神殿から来ました、
ルヴァといいます。よろしくお願いしますねー」
 
語尾を少し伸ばす独特の話し方はのんびりとしていて、緊張していたリュミエールの気持ちを和らげてくれた。
「闇の神官長さまは…」
そう尋ねると、
「闇の神官達はね、病人の世話で大わらわなんです。何しろここには神官長さまをもふく
めても3人しか神官がいませんし、一番便りになる衛兵が山に入ったままこれもまた行方不明ということで、
てんてこまいなんですよ。残っている町の男たちも浮き足立っているし、私の調査の方もいっこうに進まなくて」
 
ルヴァは話し方ものんびりしているが、話し自体も長い。話をしているうちに肝心の神官長のいる部屋を通り越してしまい、あわてて戻る羽目になった。
 
「頼りない神官だな。地の神官はみんな学者先生だって話だが…」
「ですがこんなときはルヴァ様のように落ち着いた方がいらっしゃるだけで、こちらの気持ちも落ち着きます。
それにこちらが質問する前に、教えてくださるのですから、ありがたいではないですか」
 
言葉どおり、すっかり緊張のとけた顔で落ち着いているリュミエールに、オスカーは大仰に肩をすくめた。
「ま、お前のペースにはあうからな」
「どういう意味ですか?」
「言ったとおりだ。のんびりどうし、事が済んだら茶飲み話でもしてろ」
こんな場合だというのに憎まれ口が口をついて出る。
一瞬むっとした表情で、リュミエールは軽くオスカーを睨んだ。
さっきまでの頼りない様子はどこへやら、リュミエールが自分のペースを取り戻したことだけは、間違いないようだ。オスカーは大げさなため息を1つ付いてみた。
 
ルヴァの案内で入った部屋には、ベッドが足りないのか床に直接藁や毛布が敷き詰められ、何人もの男たちがぼんやりと目を見開いたまま寝かされていた。
他に数人、怯えたように膝を抱えたまま震えているものや、しきりと何かをつぶやきながら歩き回るものもいて、闇の神官達はほとんど小走りで部屋の中を歩き回っている。
 
神官長はすっかりやつれた顔で、尋ねてきた二人の神官に対面した。
「…何を見たのやら、動けない者を連れてきた者達も話をするどころではなくて、…私の力不足が情けない…。
大神官さまであれば、「安らぎの手」をもって、彼らの心を安らかにしていただけるものを…」
初老に入った神官長は、そう言ってぐったりと椅子に崩れるように座り込んだ。
 
困って顔を見合わせるルヴァとオスカーを尻目に、リュミエールは堪えきれぬように、
神官長の前に跪き、その両手を握って訴えた。
「何をおっしゃいます。神官長さまがおいでだからこそ、この町に残った者達も、恐慌する事無く事態の収拾に務めようとの努力ができるのではありませんか。お疲れだからそのように心弱い事をお考えになるのです。
どうぞ何なりと用事をお申し付けください」
 
オスカーはげんなりした気分になったが、リュミエールは大まじめだ。
神官長も、力無くその顔を見る。
しかし。
不意に驚いたように、神官長は自分の萎びた手を包む白い両手を見た。それから自分を見上げる真摯な碧い瞳を見つめる。
ややあって、神官長はうたれたように小さく言葉を発した。
「…「癒し手」でいらっしゃるのか」
「はい」
しっかりと答えるリュミエールに、神官長は希望を見たように立ち上がった。
「彼らと話をしてください。あなたならば、何か訊きだせるかもしれない」
 
 
病人の部屋に戻ると、リュミエールは部屋の隅に蹲っているものの近くにいき、その手に触れながら何かを小声で話していた。
期待しているように目を輝かせて、その様子を見守っているルヴァに、オスカーは小声で訊いてみた。
「癒し手ってなんだ?」
「あ〜、訊いたことありませんか?」
のんびりとルヴァが聞き返す。
「知らないから訊いているんだ!」
「そうですか、…えーと、タッチセラピーって訊いた事、ありますか?」
「しらん!」
イライラと答えるオスカーに、ルヴァはおかしそうに小さく笑った。
 
「せっかちですねー、あなたは。タッチセラピーとはあれです。小さな子供がお腹が痛く
なったとき、母親に優しく触れられると痛みがやわらぐっていうアレです。経験、ありませんか?」
言われてオスカーは思い出してみた。そう言えば自分も子供の頃、ころんで怪我をしたとき母親に「痛くない、痛くない」なんて言われて、痛みを誤魔化された記憶がある。
 
「癒し手というのはそれと同じような効果を与える人のことです。水の神官の誰もが癒し手というわけではありません。母親と同じような、無償の慈悲と愛情を与えられる心境というのは、そうそう誰でももてるものでは無いですからねー」
そう言いながらルヴァは目を細めてリュミエールの方を見つめていた。
ゆっくりと語りかける彼に、男はわずかながら顔を上げ、何かを答えている。
その言葉を聞くリュミエールの顔には、すべてを受け入れるような穏やかな笑みが浮かんでいる。
男が泣きだしそうな顔をした。それから堰を切ったように喋りだす。
リュミエールはそんな支離滅裂な男の言葉を、根気よく、優しく頷きながらじっと聞いている。
柔らかく手を握ったまま。
 
ルヴァが感嘆の溜め息を漏らした。
「たいしたものですね〜。あの人はこの3日間、物も食べず、全然動かないでいたんですよ。あの若さですばらしい癒し手ですね〜」
オスカーは自分が旅の間中、子供扱いしていたリュミエールの力を見て、何ともいいようのない奇妙な感覚でルヴァの言葉にただ頷いていた。
 
 
男から聞いたことを整理すると、大体こんな話だった。
森の中に奇妙な一角が出来ていたのだ。
動物たちが大勢集まってぐったりと座り込んでいる。
最初はそれを見た猟師たちがそこに踏み込んだ。
動かない動物であれば、獲り放題だと踏んだのだ。
ところが近付いた者達もまた、その場に座り込んだまま動かなくなった。
いま闇の神殿で寝かされている者達とまったく同じだ。
それを見て近付くと危険と判断した仲間が、いったん戻り応援を連れてその場所に向かった。そして近付いたものがまた動かなくなった。
その繰り返しだった。仲間を助けようと決死の思いで近付いた男は、その時頭のなかにある記憶がよみがえった。かつて大きな熊と出会った時の事だ。
 
腰を抜かした自分を助けようとした仲間がかわりに熊に殺された。
その時の後悔の念が、それこそ、今すぐ命を絶ちたいと思わせるほどの強さで襲ってきた。
彼らはそれぞれもっとも苦しくてつらい記憶を呼び起こされ、なんとか仲間を引きずって戻ってきたのちも、
その思いに苦しみ続けていたのだ。
 
自分は生きていて良いのか?
生きて、食べて、楽しんで。
そんな当たり前の生活をしていて良いのか、そんな資格が自分にあるのかと。
 
リュミエールはそんな男たちと静かに語り合い、心を落ち着けさせていった。
平静さを取り戻した男たちは、積極的に知っていることを話し合い、その場所に案内をすると告げた。
ルヴァはその内の一人の証言が気になるようだ。
 
「老木に大きな赤い花…」