山の花は赤4
 
まる2日かけて男たちと話をしたリュミエールは、神殿の一室を借りてぐったりと寝込んでいる。癒しというのは、想像以上に精神力を使うものらしい。
血の気のない真っ白な顔を見下ろしながら、オスカーは感心したようにそう思った。
彼は明朝、森に入ることになっていた。とりあえずその場所を自分の目で見て確認しようということになったのだ。
 
ルヴァは今この山についての文献をしきりにあさって調べ物をしていた。
「大きな赤い花」について、何かで読んだ記憶があるというのだ。
神官長たちと話した結果、リュミエールはこの神殿で待機という話となったが、
あやしいものだとオスカーは思っている。
見た目と違い意地っ張りの頑固者であるリュミエールは、話を聞けば自分も行くといいだすのではないかと
思ったのだ。
眠っている間にこっそり行くか、ちゃんと話をして納得させるか、オスカーは考えあぐねて結局彼の寝室に様子を見にきた。
 
オスカーのリュミエールに対する評価はだいぶ変わってきている。
確かに世間知らずで色々と危なっかしくはあるが、役立たずではない。
身体を使うことにはまったく向いてないが、逆にオスカーが向いていないこと、たとえば今回のように精神的に傷ついたものを癒すということ。
そしてこれは決して侮れない能力であることを、オスカーはちゃんとわきまえていた。
相棒として、ちゃんと意志を尊重しなくてはいけないのではないかと、そう考えはじめていた。
 
オスカーが持ち込んだ小さな燭台の灯りが目に入ったのか、リュミエールがみじろいだ。
ぼんやりと目が開くが、焦点はまるであっていない。オスカーは可笑しそうに小声で声をかけた。
「おこしたか、悪いな。ちょっと話があるんだが、聞けるか?」
いつになく優しい声だったが、半分寝呆けたままのリュミエールはそれには気が付かなかった。
「…話し…、何ですか…?」
舌足らずに聞き返してくるのが、妙に可愛い。
寝台の傍らに椅子を引き寄せて腰を下ろし、オスカーは明朝、案内を受けて自分が現場に行ってくると告げた。その間、お前はここで待機していて欲しいと。
聞いた直後は、意味がよく判らなかったらしい。
ぼんやりと頷きかけ、急に頭を振って大きな声を出した。
あくまで、リュミエールにしてはの、大声であったが。
 
「私も行きます!」
「大きな声を出すな。今は夜中だ」
予想していた答えだったので、オスカーは余裕を持って小声で諌める。リュミエールははっとして口を手で押さえると、今度は囁くように言ってきた。
「私も行きます。その方がいいと思います」
「確かに万が一の場合、その方が都合が良いとも思うが、逆にお前もその不思議な力に取り込まれる可能性もある。「癒し手」はお前一人だ。残ったほうが良いと俺は思う」
「ですが、あなただって取り込まれる危険性はあります。少し離れた所で待機していますから、私も連れていってください」
「俺は大丈夫だ。今は偵察だけだし、そんな簡単に取り込まれたりするものか」
自分の事をいわれ、オスカーは僅かにむっとして答えた。
「ですが、可能性として否定は出来ないでしょう?」
「俺は平気だ。動くべき時に動けないような、そんな柔な訓練は受けていない」
「確かに仰るとおりかも知れませんが」
気分を害したように言われ、リュミエールは思わず懇願の口調になった。
「私の知り合いもそこに居るようです。お願いですから、連れていってください」
「知り合い?」
「はい、私はクラヴィス様のお言い付けで、その方に手紙を届けにきたのです」
リュミエールの両手が祈るように組み合わされている。
 
(こんな時にかぎって、かよわいフリするなよ)
フリではないのだろうが、そのすがるような視線に、オスカーは不機嫌になった。
(その知り合いのために、必死になってたってわけか?)
「自分の面倒は自分で見ます。足手纏いにはなりません。お願いですから…」
尚も言い募るリュミエールの言葉を、オスカーは遮った。
「判った、面倒をかけないって言うなら、好きにするがいいさ」
ぶっきらぼうな言葉に思わずリュミエールは呆然とした。
「明日、夜明けとともに出発する。準備はこっちでするから、お前はよく寝ておけ」
 
興味を失ったようにそっけなく言って、オスカーはさっさと部屋を出ていった。
ぼうっとしたまま、リュミエールは今のやりとりを反芻してみる。
そしてオスカーの話し方が、最初のうちは以前に比べてかなり好意的だったことにようやく気が付いた。
(私は何か失敗をしてしまったようです…)
何を言って怒らせたのかは判らなかったが、リュミエールはせっかく向こうから歩み寄ってくれたのに、気が付かなかった自分が情けなくなってしまった。
 
 
次の朝、3人の男たちの案内で、オスカーとリュミエールは森の中に分け入った。
男たちは案内をするのとは別に、リュミエールの事をかなり気遣って世話を焼いてくれたので、彼にとっては慣れない道もさほど苦労に思わず進む事が出来た。
ただし、男たちが手を貸すたびにオスカーの視線が冷ややかになるので、リュミエールは針の筵の上を行ってる気分だ。
(絶対呆れています…。足手纏いにならないなんて、大口を叩いておいて、結局人の手を借りて…)
ため息を吐きつつも、それでもリュミエールは神殿で待っていることは出来ないと思った。オスカーとリュミエールは対等な立場でこの調査の旅に赴いたのだ。
それなのに、今までずっと面倒をかけっぱなし、今度も危険を予想される場所にオスカー一人をむかわせ、自分は安全な場所で安穏としているなど、どうしても出来ない相談だ。
確かにオスカーは強い。世馴れしているし、何があってもきちんと対処し、乗り切れるだけの訓練を受けている。
自分の手助けなど必要ないし、当てになどしていないだろうが。
(それでも未知の相手なのです。使える手は多いほうがいいはずです)
意思の疎通がまったく出来ていない自分たちの関係にもどかしさを感じつつも、リュミエールはそう思う。
そう思って、歩き続けた。
不意に先頭を行っていた者が足を止めた。そこは大きな岩山の洞穴の前だった。
 
 
「ここか?」
オスカーが訊くと、男が頷いた。
「トンネルになっていて、通り抜けた先が広場みたいに開けている。そこに皆集まったまま…」
以前の光景を思い出したのか、男はぞっとしたように言葉を切った。
「判った。この先は俺が一人で行く。しばらく立っても戻ってこないようなら、お前たちは神殿に戻れ」
その言葉に一人だけ頷かなかった者がいた。言わずと知れた、リュミエールだ。
「ご一緒します」
「後で待機しているといっただろう」
オスカーがうんざりというが、リュミエールも引く気はない。
「ここではあなたに異常があっても、判りません。何歩か遅れて付いていきます。それで良いでしょう?」
今まで以上にがんとした口調でリュミエールが主張する。
「勝手にしろ。先にお前が引っ繰り返っても、起こしには戻らんぞ」
面倒くさそうにそう言って、オスカーはすたすたと洞穴の中に歩いていってしまう。
リュミエールもあわてて、少し間を空けるようにして、洞穴の中に足を踏み入れた。
 
 
中は狭くて、かなり細長い。っしかし、地面に近い壁の辺りにびっしりと光ゴケがはえているので、足元を注意するのは楽だった。
前方を行くオスカーの背中がボヤっとコケの灯りの中に浮かんでいる。
リュミエールはその姿を集中して見つめながら、跡を追って歩いていった。
やがて前方から光が差し込んでくるのが見えた。
出口かとほっとして足を速める。オスカーはもうトンネルを抜けてしまっていた。
外に出ると一瞬目が眩んだ。眩しくて手を挙げて光を遮り、ゆっくりと辺りを見回し、
そこで目にしたものに、思わず息を飲む。
男の言ったとおりの広場があった。森の中を切り取ったように、かなりの広さがあり、
その中心付近に巨大な木がそびている。
そしてそのまわりを取り囲むように、たくさんの動物や人間たちが、静かに目を開けたまま座り込んでいた。
 
 
リュミエールは背筋が冷えるのを感じた。
その者達は、時折身体を小さく痙攣させる。
そのたびに靄のようなものが身体から浮かび、中央の木に向かって流れている。
「…ヴィク…」
その中にリュミエールは見知った顔を見付け、叫びだしそうになった。
見れば誰も彼もかなり消耗しきった顔だ。動物たちも痩せこけ、毛艶が失せている。
飲み食いせずに何日こうしていたものか、一刻も早く原因を調べなければ、命が危ないことは明らかだった。
「ひっ…」
いきなり腕を捕まれて、リュミエールは引きつった悲鳴を上げた。
オスカーがいつのまにか隣にきて、彼の腕を掴んでいたのだ。
「見えるか?あの木の根元が」
低く緊張した声で聞かれ、リュミエールは目を凝らした。
辺りの生きものの姿に目を奪われていたが、よく見ると巨木の木の根元に不自然なほどに巨大な、そして深紅の花が咲いていた。
それを見てリュミエールはぞっとする。まるで血を連想させる不気味な赤。
そのまわりに触手のような蔓がうねうねと動いていた。
「…生きている…動物なんですか?あれ…」
どう見ても植物なのだから、かなり間の抜けた質問だったのだが、それを聞いたオスカーも真剣な顔を崩さなかった。
「わからん、…見たことも聞いたこともない花だが、あれが原因らしいな」
スラリとオスカーは腰に下げていた大剣を引き抜いた。その鈍い鋼の輝きに、リュミエールはまたしても冷汗を流した。
「…あの花を」
「どうなるかはしらんが、とにかくあれを潰してみよう」
オスカーの声は緊張をはらんで硬くなっていた。思わずリュミエールはその腕にすがるように力をこめてしがみ付いた。
不安そうな顔を見下ろし、オスカーは気持ち可笑しそうな笑みを浮かべる。
「ここにいろ」
言い置いて離れていくオスカーを、リュミエールは声もなく見守った。
人や動物たちの輪を抜け、オスカーは木の方に近付いていく。
ある一線を超えたところで、急にオスカーの姿が力を失い、蹲ってしまった。
リュミエールは目を見開き、思わず駆け寄った。
そして彼も見た。
突然霧に覆われた視界のなか、自分が過去に戻ってゆくのを。