「ふっふっふ」
本人のカラーに似合わない悪党笑いをしている赤毛の男が1人。
その隣ではため息を付いている水色の髪の人。

「ふっふっふ」
もう一度悪党笑いをした恋人に、水色の髪をした人はぴしゃりと言った。
「もう一度その笑い方をしたら、今夜は帰っていただきますから」

「おい、悪かったから怒るな」
拗ねた風に横を向いたリュミエールに、オスカーは急いで手にしていた物を放り投げると、宥めるようにその手を取った。
「拗ねた顔も美しいが…やはりお前には微笑みが似合う。こっちを向いて笑っておくれ、俺のリュミエール…」
感情たっぷりに込めて言うオスカーに、リュミエールは拗ねた顔を保ちきれずに小さく吹きだした。
「本当に、あなたという人は…」
「お前にぞっこんだというんだろ?さすがによく知っている」
しゃあしゃあとした顔でそう言いながら瞼に口付けするオスカーに、リュミエールはついに声を上げて笑いだした。

ひとしきり楽しそうに笑った後、リュミエールはオスカーの胸に凭れたまま、さっき床に放り投げられたままの物を見た。
どう見てもそれは、縄。それも投げ縄風に先が輪になった物。
「あのような物を見ながら、何を笑っていたのですか?」
その質問にオスカーはにやりと笑う。
「良く聞いてくれたな、実はその質問をずっと待っていた」
心持ち好奇心の色を浮かべたリュミエールのあどけない表情に顔をゆるめながら、オスカーは縄を手にもつと堂々と言ってのけた。
「これで、オリヴィエ達を引っかけるんだ」

リュミエールは言われた意味がピンとこなかった。
「…はあ?」
きょとんとしたままそう聞き返すリュミエールに、オスカーはかんで含めるように言う。
「だから、これであいつ等を罠に掛けるんだ。こう廊下において、あいつ等が通りかかったらえい!と引っ張る」
真顔で説明しながら縄を引っ張ってみせるオスカーに、リュミエールはますますきょとんとなる。
「冗談でしょう?」
「決まってる、冗談だ」
「オスカー…」
目を細めて声を低くするリュミエールに、オスカーは笑った。
「冗談だって、すまんすまん。だから、連中もそう考えるだろうって事だ」
オスカーは身を乗り出すと、今度こそ真面目に説明を始めた。

「だから、こんな物が俺の執務室の前の廊下に置いてあったら、オリヴィエ達はどう思うか。当然考えるだろう『間抜けな罠をしかけてるね。こんな物に引っかかるバカがいるわけないじゃないか』そして、俺を笑い物にするために、この縄を持ち上げるだろう。『ほら、見てごらん。こんな古典的な罠で私達を引っかけようとしているバカがいるよ』。それこそが思うつぼだ」
「思うつぼとは?」
つられてリュミエールも身を乗り出す。オスカーは間近でリュミエールの目を見つめながら、にやっと笑った。
「この結び目の処にセンサーが仕込んである。持ち上げる、つまり床から離れたらそれが作動して本物の罠が動く。こうだ」
結び目の辺りをオスカーの指が探るような動きをする。
次の瞬間、縄はぱっとほぐれ、クラッカーが破裂したような派手な音を立ててテープや紙吹雪が辺りに飛び散った。

ヒラヒラと銀紙の破片がリュミエールの髪に二つ三つ落ちる。
目を丸くしているリュミエールの髪からそれを取り除きながら、オスカーはくっくっくと笑った。
「お茶目だろう?」
「お茶目も何も……何のために…?」
さっぱり理解不能でリュミエールはそう訊く。訊きながら、オスカーの赤い髪のアクセントになっているピンクと黄色のテープを取り除いてやる。
「決まっているだろう、エイプリルフールだ」
リュミエールは呆れたように言う。
「……今年もする気なのですか?」
「当たり前だ!前はやられっぱなしだったからな。今年は俺が引っかけてやる。あいつ等が俺を笑い物にしようとこれを手にした瞬間、俺はあいつ等を笑ってやるんだ。『見ろ、ここに策に溺れたバカがいる。こんな単純な罠をこの炎のオスカーが本気でしかけると思い込んでいたバカどもだ』とな。ざまあみろだ」

子供っぽい動作で握り拳を振り上げて笑うオスカーを「可愛い…」と微笑ましく思いつつ、リュミエールは頬を抑えて困り顔で笑う。
「……残念ですが、オスカー?明日はそれを実行することは出来ません」
振り上げたオスカーの握り拳をそうっと手で包み込んで下ろしながら、微笑む。
「明日は休暇を取りましたので、わたくしと一緒に遠乗りに出かけていただきます」
珍しい断定口調に、今度はオスカーがきょとんとなる。
「休暇?いつのまに?」
「あなたがさっき仰ったとおり、昨年はさんざんでしたので、今年は二人でゆっくりと過ごすことに決めておりました。……勝手でしたか?」
ほんの僅か不安そうに答えるリュミエールに、オスカーはにっと笑うと、その身体を膝の上に抱き上げた。

「こんな勝手ならありがたいことこの上ない」
「オリヴィエ達への意趣返しはいいのですか?」
オスカーの首に軽く両手をまわしながら、リュミエールが訊く。面白がってるような口調とその目に、オスカーは少し意地悪く答える。
「お前、答えを知っていて訊いているだろう」
「知っているとは?仰って頂けなければ、判りませんが」
ますます面白げなリュミエールに、オスカーは苦笑いをしながら呟く。
「そういえば、去年、俺達全員を騙したのは、お前の嘘泣きだったよな」
「何のことでしょうか」
リュミエールは完全に笑い出す直前の表情で空とぼける。
「まあ、いい。お前に騙されるのは、勲章みたいなものだからな」
「人聞きの悪いことを仰います。わたくしは誰もだましてなどおりません」
「その気はなくても、みんな騙されるよ。眉を少し顰めてみろ。それから、伏し目がちになって瞬き一つしてみるがいい。大抵のやつは自分が何かしたんじゃないかと、罪悪感を覚える」
「ひどい仰りようですね」

そう言いつつも、リュミエールは笑っている。オスカーは今もリュミエールには騙されると、そう言う。でもそんな口の悪さにリュミエールは騙されない。
オスカーは騙されて、リュミエールは騙されない。
だからこんな会話も笑い話になる。この人とこんな風に思うままに話が出来て笑えることを、リュミエールは心から愛しいと思う。
「それなら、お訊きします。もしもわたくしが、あなたが今仰ったような表情をしたら、それは嘘だと思います?」
「ああ、それは思わない。お前が真実悲しんでると思うよ」
「どういう理由で?」
膝の上に乗せられたまま、リュミエールはオスカーに顔を寄せる。その楽しそうに光る綺麗な水色の瞳に、オスカーは極上の笑みになる。

「決まってる。俺が口の使い方を間違えてるからだ。今、俺がしなきゃ無いのは、ぐだぐだお喋るする事じゃなくて……」
オスカーは間近なリュミエールの唇に口付ける。
それから低く囁く。
「……これで正解だろ?」
「そういう事にしておきましょう…」
リュミエールは薄く頬を上気させてそういうと、さらに深く抱きしめようとしたオスカーの腕の中からさらりと抜け出した。
「今夜は早く休みましょう。明日、出発をぐずぐずしていたら、また邪魔が入りそうな気がいたしますので」
「おい」
「客間を用意させておりますから。では、おやすみなさい」
そう言って手を小さく振るリュミエールに、オスカーはまた苦笑いをする。
「また騙された」
否定も肯定もせずにただ掛け値なしに美しい笑みを見せるリュミエールに、オスカーは一生騙されていてもいいかな、と思っていた。

★★


4月1日の朝。
朝議の席でオスカーとリュミエールの休暇を知ったオリヴィエと年少組は案の定舌打ちをした。
「あーもう、先手を打たれたか!」と悔しがるオリヴィエ。
「残念、今度こそ完全に騙せる嘘をと思って、徹夜で考えたのに!」
「で、思いついたの?」
マルセルに訊かれたランディは口ごもる。
「……思いつかない。どうしても、女性関係絡みになりそうだし」
「そうなんだよね。そうでなきゃ、リュミエール様絡みとか?本当にオスカー様、それ以外のことは隙がないし」
唸るランディとマルセルの隣で、ゼフェルがルヴァに言う。
「図書館の床が抜けそうだから、お前が寄贈した分の蔵書、引き取ってくれって言ってきたぜ」
「おや、それは困りましたね。私の館の書庫もかなり一杯で」
「……嘘だよ。毎年毎年、同じネタで引っかかるなよ」
等という呑気な会話が繰り広げられている中、威風堂々とした立ち居振る舞いのジュリアスが現れた。
その後ろからは少し青ざめた風のロザリア。そして相変わらず影のようなクラヴィス。
女王アンジェリークは姿を現さない。
それぞれの位置に整列しながら、呑気な守護聖達も一瞬緊張の色を走らせる。
ジュリアスが厳かに言う。
「心して聞くように。女王陛下は体調不良でふせっておられる」

一瞬の沈黙。ついで、年少組が大声でジュリアスに詰め寄った。
「ジュリアス様!不謹慎です!」
「いくら何でも、こんなのはいけないと思います!」
「全くだ、見損なったぜ、ジュリアス!」
「……なに?」
突然の非難にジュリアスは眉を寄せた。
そのジュリアスに、オリヴィエも窘めるように言う。
「いくらエイプリルフールだからってさ、ついていい嘘とついて悪い嘘があるだろ?あんた、ユーモアセンスがないどころか最悪だよ」
ジュリアスの額に青筋が浮いた。
「誰がエイプリルフールの話をしておる!」

雷のような怒鳴り声に、ようやくその場の面々はそれがジュリアス一世一代の嘘ではなかったことに気が付いた。
「……まさか、本当に?本当に女王陛下が?」
一転して心配そうになる年少組に、青ざめたままのロザリアが告げる。
「心配するほどの不調ではございません。ですが、本日一日は療養が必要と思われます。女王陛下の不調が宇宙にどの様な影響を及ぼすかは判りません。皆様、今日は一日、気を引き締めて、何が起きてもすぐに対処が出来るようお心がけ下さい」
さっきまでの呑気な雰囲気はさっと消え、一同は緊張の面もちで会議室から退出していく。
その真剣な様子を見て、ロザリアはほうっと長い息を付いた。


★★


会議室を出た後ロザリアは女王の寝室に向かう。深呼吸をして心を落ち着かせた後、控えめなノックをして中にはいる。ベッドの中から真っ青な顔のアンジェリークが顔を向けた。
「……ロザリア〜〜〜、…みんなにちゃんと説明してくれた?」
「……説明してよろしいのですか?真実を」
「……やっぱりまずいような気がする…」
青い顔のまま小さくなる女王を、ロザリアはきっと睨め付けた。
「まずい所じゃないでしょ!まったく、女王が事もあろうに腹痛で起きあがれないなんて、しかもそれが、わたくしを引っかけるための嘘を徹夜で考えて、その間にアイスクリームを食べ過ぎた結果だなんて!一体どこの誰に説明できるって言うの!ああ、もう!」
一気に言うと、珍しく駄々をこねるようにロザリアは座り込んでしまった。
「……ごめんね。反省してます」
アンジェリークはしょんぼりして言う。自分のお馬鹿な行動はさすがに身体にも堪えたし、この潔癖で真面目なロザリアにへんな誤魔化しをさせてしまったことも心に堪える。

「嘘、付かせちゃったね…本当にごめんなさい」
そう殊勝に頭を下げる女王に、ロザリアは達観の表情で立ち上がった。
「もう、いいわ…それに嘘もついていない。説明をするところを少しはしょっただけですもの」
ロザリアは起き上がりかけた女王を寝かしつけ、掛布をかけ直してやると、いつもの落ち着いた笑顔を取り戻した。
「クラヴィスが早朝からリュミエールの処へ使いをやり、消化をよくするお茶を取り寄せてくれましたの。今からそれを煎れて差し上げますね。それから、ぐっすり眠って、楽になったらわたくし特製のスープをお上がりになって下さい」
「ロザリアが作ってくれるの?」
ベッドの中で嬉しそうなアンジェリークに、母親を思わせる笑顔でロザリアは言う。
「……ええ、もちろん。わたくしが作って差し上げますから。ゆっくりおやすみなさい」
嬉しそうな顔ですぐに眠り込んでしまったアンジェリークを見守りながら、ロザリアはゆったりと呟く。

「本当に、どうしてこんなにお馬鹿さんなのかしら?あなたが宇宙を統べる女王陛下だなんて、今も信じられない気分よ。騙されているのかしらってくらいに。でも、こうやってお馬鹿なことをしていても宇宙は健やかで元気だわ。あなたの無邪気で前向きな明るさは、こんなにも宇宙を幸福に包み込んでいる。だから、私達はまた騙されてしまうの、本当はこの子、とっても偉大なお方なんじゃないかって」

女王の乱れた前髪を整えてやると、ロザリアは静かに立ち上がった。
「おやすみなさい、アンジェリーク。あなたが眠っている間に、私はこの部屋を良い香りのする花で埋め尽くしましょう。あなたが楽園に迷い込んだと騙されてしまうくらいにね」


聖地の4月1日。
嘘が苦手な人々の住まう地では、無意識の惑乱が出来る者こそが最強であるらしい。