ウェディング・シンドローム vol.2

 
女王補佐官の執務室は、白の洪水であふれかえっていた。
最高級のシルク。
様々な模様の高級レース。
それは雪の結晶をかたどったものであったり、細かな蔓薔薇を編んだものであったり、
蝶の羽ばたきを再現したものであったり。
それらは吟味され、より分けられ、丁寧に裁断し縫い上げられ、その形を表そうとしている。
「模擬」とはいえ、やはり守護聖が身につける神聖なる結婚衣装。
眼が眩むほどに豪華にして華麗、かつ清楚なイメージを併せ持った見事なドレスである。
 
「はい、動かないでね〜〜。やっぱり、このレースはもうちょっと長い方がいいね」
「そうですわね。もう少し引いた方が優雅ですわ」
「袖はこんな物かな」
「いいですわね。見事な刺繍ですわ」
オリヴィエとロザリアの2人が、縫子に指図しながら感嘆のため息をもらしている。
「リュミエール様、少し腕を上げていただけますか?」
縫子のリーダー格が丁寧ながら、断固とした口調でリュミエールに言った。
彼女にしてみれば、最高の衣装を作るのがその仕事。
この段階では、守護聖といえども感覚的にはマネキンと一緒である。
 
言われるままに腕を上げ、背筋を伸ばし、一回転してみせるリュミエールがすでに2時間立ちっぱなしで疲れているなどという事は、「知ったことではありません」と言ったところだろうか。
仮縫いのため、ぴったりと身体にあったドレスを着たまま、すでに2時間。
リュミエールは疲労の限界に来ていた。
(何故、私がこんな事を…)と、いくら理不尽に思っても、口に出して憤ることが出来ない心優しい水の守護聖。
 
 
少し離れてその全身を眺めるロザリアは、満足そうなため息をついた。
すばらしく美しかった。
まだ完璧にドレスは仕上がってはいないのに、まさに芸術品の美しさだ。
 
胸元は開けられないので襟繰りは浅めのカット。そして胸元には細かな刺繍が一面に施され、
所々、白と透明の石が縫いつけられ、動きに合わせて光をはじく。
ゆったりめに膨らんだ肩から、しなやかな腕の線に沿って細くなる袖にも同様の飾り。
そして何より大胆に開いた背中!
 
背の半ばまでV字型に開いたドレスは、普段であればけして眼に触れるはずがない
リュミエールの白く美しい背を、人々の目に挑発するように見せつける。
本番では長いレースのベール越しに見えるそれは、いっそ直に見るより艶めいているかもしれない。
「髪はアップね。うなじから背中へのラインが、くっきり見えるように」
「首には3連の真珠のチョーカー。中心に大粒のピンクの真珠をあしらいますの」
オリヴィエとロザリアはめちゃめちゃはしゃぎながら、ポラロイド写真を何枚か撮っている。
きっとこのあと女王の所へ行き、また同じように騒ぐのだろう。
泣くに泣けないリュミエールが解放されたのは、それからさらに1時間ほどたったのちだった。
 
 
 
「大丈夫か?すごく張ってるぞ?」
「ヒールのある靴でなければ、駄目だと言われまして…」
突貫工事で結婚式の準備が進められてる中、主役の一人、花婿さんは花嫁さんの寝室のベッドの上で
慣れないヒールで立ちっぱなしだったために、張ってしまった花嫁の細い脚のマッサージにいそしんでた。
ベッドに俯せになり、白い脚を膝の上まで曝した格好など、はっきり言ってリュミエールは
今までオスカーに見せたことはなかった。(灯りを消してからでないと、肌をださない)
オスカーは明るい室内で、堂々、大胆に恋人に触れる事に、かなりな喜びを感じているらしい。
目を瞑っているリュミエールには見えないが、実に嬉しそうにせっせと脚を撫でさすっている。
気持ちがいいのか、リュミエールの声も心なしかとろんとしている。
「…あなたの衣装はできたのですか?」
「俺のは白いタキシードだからな。型は決まっているし、寸法さえきちんと採ってしまえば、
あとはそう面倒なことはない」
そう言いながら、足の裏からふくらはぎを揉む手は止まらない。
俯せのままのリュミエールが、何かを言った。
 
「何だ?」
と、オスカーがその顔をのぞき込むように訊くと、急にリュミエールががばっと起きあがる。
「不公平です!」
心なし涙目でリュミエールがそう言う。いかに彼が自分より他人を優先する質とはいえ、
恋人相手には時に駄々をこねることもあるのだ。
「不公平です。私は慣れないドレスにヒールを履いて、あと他にも美容マッサージとか、
ヘアスタイルを決めるだの、化粧の色を決めるだの、アクセサリー選びだのと
毎日毎日予定を入れられてるのに、あなたはもう衣装合わせが終わってしまったなんて!」
 
そう言われてしまえば、オスカーもいささか後ろめたい。
本当なら一緒に抵抗してやればよかったのだろうが、ついうっかり「リュミエールとの結婚式」
という言葉に夢を見てしまったため、あっさりとOKしてしまった。
リュミエールにしてみれば、オスカーも自分の不幸の共犯者かもしれないが。
 
「そう言うなよ」
オスカーはベッドの上にぺたんと座って拗ねてしまった恋人を、後ろからふんわりと抱きしめた。
「知りません」
拗ねた口調だが、リュミエールも別に振り解いたりはしない。
甘えているのだ。それがオスカーにはよく分かる。
だから抱きしめたまま、耳元で囁くように話す。
「お前に大変な思いをさせてしまったのは悪いとは思うが…、ちょっとだけ想像して見ろよ。
白いドレスに花束を持って化粧をしている俺の姿を。…こう言っちゃ何だが、…凄いぜ」
そのオスカーの言葉に、思わずリュミエールは想像してしまう。
たくましい身体にレースを飾り、精悍な男らしい顔に口紅を付け、髪飾りをあしらったオスカーの姿…。
 
ぷぷっとリュミエールは思いっきり吹き出した。
笑いの発作に襲われてしまったらしく、大きく肩を揺らし、オスカーの腕に抱かれたままで、いつまでもくっくっと笑い続けている。
自分がしむけた事とはいえ、やっぱり自分の姿を想像して笑っているかと思えば、さすがのオスカーもあんまり嬉しくない。
適当な頃合いを見計らって、抱きしめる腕にぎゅっと力を込めると、低い声で「笑うなよ」と
目の前にある柔らかい耳に向かって呟く。
それでもリュミエールの笑いの発作は治まらない。
止まりそうになると、また新たに笑い声がこぼれる。
 
もう一度、「次に笑ったら口をふさぐぞ」と、耳元で囁いた。
ようやくリュミエールは笑いを抑えて、オスカーの方に向き直った。
それでも、今にも吹き出しそうな楽しげな顔をしている。
 
(まあ、ご機嫌が治ったのなら、結構なことだ)と花婿さんは花嫁さんの笑顔にめっぽう弱い。
ごく間近で向かい合ったまま、オスカーはこつんと額をリュミエールの額に合わせる。
そして宥めるように、柔らかく言葉を紡ぐ。
「確かに、お前にとってはよけいな面倒だけかも知れないだろうが…、少し冷静になって考えてみてくれ。
たとえ形だけの「ごっこ」とはいえ、…結婚式だ。
お前は俺と結婚するのはいやか?永遠の誓いをたてるのは、煩わしいか?」
 
そんな風にしみじみと問われると、リュミエールも困ってしまう。
「そんな事はありません…、あなたと本当に結婚できるなら、もしも本当に…」
本当に永遠の誓いをたてることが出来るのであれば、リュミエールだって喜んでする。
でも、これは「ごっこ」だ。あくまでも、偽物…。
リュミエールは黙って下を向いてしまった。
 
想ったことをうちに秘めてしまうリュミエールの瞳は、その言葉よりよほど雄弁だ。
本来神聖であるべき筈の儀式を、まるで体験コーナーのイベントのように行ってしまう事に
かなり抵抗があるらしい。
オスカーは間近で、静かに囁く。
「確かに式自体はごっこの偽かも知れない。…でも、そこで誓われる事は真実だ。
誰がなんといっても、誓いをたてる俺達本人はそれを知っている。
それに、俺は芝居であろうとお前と結婚できるって事が嬉しくてウズウズしてる。
本音を言えば、俺がドレスを着てもいいかな、って思うくらいだぜ」
最後の台詞はちゃかすような口調。
それを聞いて、リュミエールはまたドレスを着たオスカーを想像してしまったらしい。
子供のような顔でまた吹き出してしまった。
今度はオスカーも止めず、一緒に笑い出す。
ひとしきり2人で笑い合ったあと、唇と唇が触れそうな程近くで、まだおかしそうなリュミエールが、声を潜めるようにして囁いた。
 
「あなたは本当に私を笑わせるのがお上手です」
「当然だ、お前が本気で笑うのは、俺の前だけだと決まってるんだ」
次の言葉を言わせずに、オスカーがキスをする。
 
 
あとはお決まりの恋人達の夜が、静かに更けてゆくだけ。
 
 
珍しくラブラブ。でもまだ続いてる。