水の勢いに飲み込まれたオスカーに、リュミエールは口を押さえて立ち上がった。
瞳を見開き、そのまま広間を駆け出していこうとする。
 
その時今まで目を閉じていたクラヴィスが、低く声をかけた。
「あの先は前庭の池に繋がっている。溺れることもあるまい」
立ち止まったリュミエールが心配げに両手を組合せる。
「ですが…」
碧い瞳が落ち着かなげに動くのを、クラヴィスは可笑しそうに見た。
 
「座るがいい。そなたはこのゲームの戦利品だ。それが勝手に居なくなっては、話に収拾が付かなくなろう」
言われて仕方なくリュミエールは椅子に座りなおした。
クラヴィスがモニターをいくつかに分割し、その一つを前庭のカメラにあわせる。
流されてくるところを、確かめろというのだろう。
 
勇者たちの動きそっちのけで前庭を見ていると、やがて池の表面が大きく動き、文字通り水をしたたらせた(?)いい男が、河童のように池の中央に立ち上がった。
池というより、もともとは馬達の水場として使われていた場所なので、深さはそうはない。
オスカーは重そうなマントを捌きながら池からあがり、ぐったりと傍らの石に座り込んでいた。
それを見届け、クラヴィスがカメラを勇者たちに戻す。
 
「魔将軍殿はこれで退場だな…」
まだ心配げな顔つきで、リュミエールがうわの空のまま頷く。
此処にいると気が付かないが、外はもう陽が落ちていた。
おぼろげな外灯の灯りの中、濡れたオスカーがひどく頼りなげに見えた。
 
 
「やった!後は魔王の広間に行くだけですね!」
改めて水門を閉めた後、厨房に流れこむ狭い水路を這いながらようやく城内に侵入する。
厨房といっても古いもので、現在は使われておらず、竃や木のテーブルも蜘蛛の巣が張っていたりして、不気味なムードはたっぷりだ。
濡れた裾を気にしながら、一行は廊下に出た。
 
プライベートエリアは最新設備に改造したものの、一応ゲームの舞台となる部分は昔のままなので、所々の蝋燭だけの灯りの中、薄暗くひんやりした石造りの廊下を歩いていく。
足音だけが響くのが何とも不気味だ。
 
途中、鍵の空いている部屋に入ると、いかにもな宝箱を発見した。
中には思いっきり不似合いなマ○ドナ○ドセットが4人分。
「ここで休憩しろって事かしらね」
「不気味ですよ〜〜」
古い甲冑やら、斧やら、埃だらけの武器庫の中でハンバーガーやポテトをかじりながら休憩するご一行様。
「これって嫌がらせだよね〜」
マルセルの膨れっ面の言葉に、無言でメンバー全員頷いた。
そこから離れた魔王の広間では。
 
「…あれは、少しかわいそうでは…?」
「用意したのは、ロザリアの筈だが…」
わびしい食事をするランディ達をモニターで見ながら、リュミエールとクラヴィスがそんな事を話していた。
 
 
(やられた…)
たっぷりと水を吸ったマントや、もう必要のない鎧を脱ぎ捨て、身軽な格好でオスカーは座りなおした。
下に着ていた胴衣は特殊合成繊維なので、水は吸っていない。
軽い小道具の剣が水面に浮いているのを、ほとんど無意識のうちに拾い鞘に収めた。
ぽたぽたと赤い髪の先から雫が落ちてくるのを、うっとおしく払う。
(油断したつもりはなかったんだが…、いや、やはり油断か…)
 
これで退場となった自分に、くっと自嘲気味に唇を歪め、オスカーは最終舞台の魔王の広間のある棟を眺めた。
あそこは元々の城主、昔の炎の守護聖の鍛練場だった場所だ。
時には剣の試合なども行われたらしいそこは、城の再奥の塔、4階にあり、唯々、だだっ広いだけの装飾もなにもない広間だ。
 
戦いのない聖地には必要のない監視塔に直接登れる階段もあり、その城主がいかに戦いに明け暮れていた自分の時代を懐かしんでいたかが、偲ばれる。
決して乱暴者というものではない。勝利の行方を肩に背負っていた武人とは、そういうものなのだろう。
オスカーはゆっくりと立ち上がった。
 
一度の敗北で諦めるのは、・・・・そう、諦めが良いのは、武人にとって決して美徳ではない。
足掻いて、足掻いて、足掻きぬく。最終的に手にする、勝利のために。
「畜生、ゲームだからなんだと言うんだ!俺はこんなところで退場する気はないぞ!」
こんな所で座り込んでいる場合じゃない。
完璧、マジになったオスカーがほえる。
踏み出されたオスカーの足は次第に早くなり、すぐに駆け足になっていた。
 
勇者たちはご機嫌だ。城内での妨害は一切なかった。
それどころか、終盤のご褒美なのか、あちこちにコーヒーだのサンドイッチだのが用意されており、「おわった後は『フルコース』が出るのかな〜」なんて期待も出てきたりして、鼻歌混じりに進んでゆく。
もっとものんきなのは魔王様達も一緒で、姫君お手製のスコーンに数種類のジャムでティータイムなど、優雅に時間を過ごしていた。
 
「クラヴィス様、ランディ達が下の階までまいりましたよ」
「…それではそろそろ準備をするか…」
面倒臭そうな魔王様の言葉に、リュミエールは手早く不気味なデザインの魔王様の机の上の茶器を片付けた。(ここでお茶会してたのか?)
それから少しの後、ランディ達は最終決戦場(になる予定)の広間の前に到達した。
さすがに少し緊張した様子で、4人は扉をゆっくりと開けた。
広い広い、広間の奥。壁一面は黒いカーテンで覆われ、均等に置かれた足の長い燭台の灯りが、
ぼんやりとその奥の人影を揺らめくように浮かびあげさせる。ゴクリとランディは唾を飲み込んだ。
礼儀正しく、一番後のマルセルが扉を閉める。
 
(ほら、あんたが主役なんだから、何かおっしゃい!)
オリヴィエが強引にランディを前に押し出す。
クラヴィスは背後にリュミエールをひっそりと立たせ、机に両肘を突いて指を合わせながら、じっとランディを見つめているだけだ。
どっとランディの背中に汗が流れた。
 
(ク…クラヴィス様…すごい演技力です…。まるっきり魔王そのものです!)
(何にも演技なんてしてないってば!)
辺りの闇に溶け込んだようなクラヴィスの視線に、ランディはまたもや及び腰だ。
ほとんど押しつけあうような格好で、ランディとオリヴィエがじりじりと広間中央に進み出て、そのまま動かないクラヴィスの様子を窺っている。
 
「ルヴァ様、これからどうするんでしたっけ?」
「え〜と、まずは魔王相手に、宣戦布告して頂かないことには、どうにもなりませんね…、クラヴィスの方から動かないでしょうしね…」
実際クラヴィスは動かない。
さて、どうしたものかと、ランディは蛇に睨まれたカエル状態で、オリヴィエはしばし思案する。
ぴーんとはった緊張感のなか、ついに均衡が破られた。
荒々しく開かれた扉の音に。