大きな音をたてて魔王城広間にあらわれたのは・・・・・。
「ジュリアス様!」
勇者ランディが素っ頓狂な声で、王様の名前を呼んだ。
「えー、ジュリアス…王?確か貴方は、最後は城で皆を迎えるんじゃありませんでしたっけ?」
賢者ルヴァが、シナリオを反芻しながら質問した。
ジュリアスは厳しい視線を一同に向けると、ずかずかと広間中央、魔王クラヴィスの正面にまで進みでる。
「そのつもりであったのだが、モニターで見ていた魔王の腑甲斐なさに、どうあっても一言もの申そうとここまで来たのだ!」
 
ビシッとジュリアスはクラヴィスを睨めあげた。
「そもそもクラヴィス!そなたは魔王という役をなんと心得る!それはこの世界においての悪の権化!
すなわち、絶対正義の化身である勇者たちと対極の関係にあるものなのだぞ!」
(…そんなに重大な事のように言われなくても…)
クラヴィスの背後で(つまり、ジュリアスの正面位置)で聞いているリュミエールは思わず呟いたが、
ジュリアスは大真面目である。
「それを何なのだ!勇者一行が眼前にあらわれ、姫を取り戻そうとしているのに何の行動も起こさない!
それでは姫を攫った意味が成り立たず、ひいては、そのために艱難辛苦を乗りこえ今ここにいたる勇者たちの行為を否定する行いでもあるのだぞ!」
ほとんど一息で言い切ったジュリアスに、一同思わず拍手。
 
(魔王に説教する王様なんて…)
(あー、さすがにジュリアスですね…)
呆れているマルセルに、どこかずれた感心をするルヴァ。
ランディはオリヴィエに首を傾げて質問する。
(でもカンナンシンクって何ですか?)
(とりあえず、チョー大変!って事よ)
(そんなに大変でしたっけ?)
そう、お遊び気分の、ピクニック感覚だった勇者様ご一行は、取り立てて苦労とは思っていなかった。
『チョー大変』な日常を送っていたのは、ジュリアスの方だったのだ。
一日中モニターを見ながら、女王達がほっぽり投げている書類を処理し、本来の光の守護聖の任務をはたし、それこそ普段の3倍は働いていたのだ。
それにひきかえ、うるさく言われることもなく、堂々と仕事をサボりまくり
(送り付けた書類の束は、封も解かずに返送された)、のんきに毎日お茶会に昼寝で過ごしていたクラヴィスが、この最後の最後になっても何もせず「はい、終了」では、あまりにも不公平ではないか!
せめて役相応の苦労はしてもらわなくては、ジュリアスの腹の虫がおさまらない。
 
「クラヴィス!私の言っていることが聞こえているか?ならば、せめてそのヌリカベのような体躯を生かし、
勇者達の前に立ちはだかる壁のフリでもしてみてはどうだ!
立ち上がって、一歩前に進むくらいはそなたにもできよう!」
(余談ですが、ヌリカベ、好きです。四角な体がとってもラブリー )
ビシッと指を突き付けられても、クラヴィスは物憂げに机に肘を突いたまま、微動だにしない。
ジュリアスの怒りがますます燃え上がる。
しかし、どうにもならないと思ったルヴァが、宥めるように声をかけた。
 
「まあ、まあ、ジュリアス。貴方の言う事はもっともです。ですがもう深夜を回り、子供たちは疲れています。
せっかくのラストシーン何ですから、ここは一つ先を進めて、後の説教は打ち上げの時でもいいではないですか」
そう言われてしまうと、あくびをして柱にもたれているマルセルの姿が、目に入った。
苦虫を噛み潰したような顔で、ジュリアスはランディを促した。
一応、勇者なのだから、姫を連れてこいというのだろう。
おっかなびっくり、ランディは前に進み出た。
座ったきりとはいえ、おどろおどろしい広間の雰囲気に、はまりすぎの黒衣の魔王。
突然その後から鎌を持った死神なんかがあらわれても、ちっとも不思議ではない妖気が漂っている。
「…クラヴィス様…」
背後に黙って控えていたリュミエールがクラヴィスに確認するように小さく声をかけると、顔を上げ、なにか意味ありげな視線を向けたが、言葉を発する気配はない。
諦めてリュミエールも前に足を進める。
 
とりあえず、これで終わりなのだ。
終われば、各自自分の館に戻れる。
そしてまた自由な自分の時間も戻ってくる。いい潮時だろう。
オスカーだって、ほっとするに違いない。
そんな気持ちで進み出たリュミエールが、差し出されたランディの手を取る。その時クラヴィスが動いた。
立ち上がり、開け放されたままの扉の方を見やり、一言呟く。
「間に合ったようだな…」
石の廊下を蹴立てて駈けてくるブーツの音が、間を置いて響いてきた。
「リュミエール!」
前庭から駆け上がってきたオスカーが、息をきらしながら叫んだ。
 
 
すでに退場したはずの魔将軍の再登場。
一同驚きに、その場で固まってしまった。
しかしオスカーの目は、リュミエールの手を取り、連れていこうとするランディの姿がしっかりと映っている。
オスカーの喉から、唸るような音が漏れた。
そのまま、突っ立っているジュリアス達の傍らを駆けぬけ、ランディの元へと突進する。
「ちょっとオスカー、もう終わりなんだよ!」
それを見たオリヴィエが、とめようと両手を広げて立ちふさがり…、ひゅっと息を飲んで大きく後に仰け反った。
オスカーが脚を止める気もないまま一気に飛び込み、抜き打ちざまに剣を横殴りにふるったのだ。
まさに間一髪。もちろん芝居用の小道具の剣なので、当たったところで痛くはあっても、
服の上からでは怪我をすることはないだろう。
しかし、剣を抜いたオスカーの眼光と剣筋は、まさしく本気の殺気がこもっていた。
「オスカー!洒落になんない!」
バランスを崩して後手を着いたオリヴィエを一顧だにせず、オスカーは抜き身を下げたその勢いのまま、
ランディ達のもとに駆け寄る。
 
圧倒されたランディは、オスカーが駆け寄る前に数歩、後に下がった。
訳が分からず立ち竦んでいるリュミエールの腰に腕を回し、オスカーは勢いを付けて肩に担ぎ上げた。
リュミエールはいきなり逆さまになった視界に口をぱくぱくさせるが、状況が理解できずに声が出ない。
オスカーはそのまま広間の奥にある塔最上部への隠し階段の入口へ移動し、
ようやくジュリアス達の方へ視線を向け、一礼する。
「申し訳ありません。…このシナリオ、どうしても納得できません!」
言いざま、階段をかけのぼってゆく。
 
我に返ったジュリアスがぎりっと眉を絞った。
「この期に及んで、何をいったい錯乱しておるのだ!勇者ランディ!王の命令だ!
ただちにあの不心得者をひっ捕らえ、姫をこの場に連れ戻すのだ!」
ちゃんと役名で命令を下すところが、完璧主義者のジュリアスらしいが、本気のオスカーの恐ろしさを身に染みて知っているランディは、いつものように能天気な返事を咄嗟に返す事はできなかった。
何しろリュミエールがらみのオスカーは、繁殖期のオス鮭並みに気が荒くなっているのだ。
苛立ったジュリアスが自ら広間奥に脚をふみいれようとする。
その前にクラヴィスが立ちふさがった。
 
「この期におよび、そなたまで何のつもりだ」
そのきつい声音に怯む事もなく、クラヴィスは口元にかすかに笑みを刷かせる。
一瞬ジュリアスがたじろいだ隙に、クラヴィスは傍らにある天井から下がっているカーテンの飾り房の
一本をひっぱった。
ガクンとジュリアスの足元が抜ける。
広間中央一帯、落とし床のトラップになっていたのだ。
 
ジュリアスだけではなく、それはランディにオリヴィエ、ルヴァまでも巻き込んで派手に床下に水音を響かせた。
「ジュリアス様、ルヴァ様、オリヴィエ様、ランデェ〜(言い間違いではない。べそをかいてるので発音がおかしい)…」
一人だけ難を逃れたマルセルが、落とし床の縁に手を着いて覗き込むが、
その目と安否を気遣う声がすでに潤んでいる。
それは落とされた連中も同じだった。
落し穴自体はさほど深くはない。せいぜい深さ1メートル半、その内半分程の深さまで水が張られ、
その下には柔らかい水草が厚めに敷き詰められている。 
怪我をするほどのものではないが、深夜、ラスト間近とほっとした瞬間の罠。
そのうえびしょぬれの水草まみれときては、さすがに精神的ダメージMAX である。
ジュリアスをのぞく一行は、惚けたように水中に座り込んでしまった。
 
立ち上がったジュリアスが、泣きじゃくるマルセルと反対側に膝をついてこちらを見下ろしているクラヴィスを、
はっしと睨み付けた。
「そなた、最後の最後に何をしてくれる!」
「そなたの忠告に従い、勇者一行へ嫌がらせをしてみたのだ。文句はあるまい…?」
明らかに面白がっているクラヴィスの言葉に、ジュリアスは言いたい文句を飲み込んだ。
ここでクラヴィスを面白がらせるなど、プライドにかけてしたくはない。
ぐっと唇を引き締め、縁に手を掛けたジュリアスの耳に、可愛らしい声が響いた。
 
「クラヴィス、クラヴィス!いよいよクライマックスよね!我慢できなくて来ちゃったの〜!モニター、早く出して〜」
そういってから、女王は初めて気が付いたように落とし床のジュリアスに声をかけた。
「ご苦労さまでした!ロザリアがタオルや暖かい飲み物なんか用意してるの。夜食もあるから、早く上がってね」
どこから一体わいてきたのだ?と考えかけ、女王の声が広間の逆側の奥から聞こえてきたことにジュリアスは気が付いた。
そちらはプライベートエリアからの入口なのだ。
一階からの直行エレベーターもそちらにある。律儀に階段を使ってきたジュリアスと違い、女王は直接そちらのエリアから広間に入ってきたのだろう。
 
びしょびしょのまま、なんとか4人が床上に上がると、再びクラヴィスが別のヒモをひっぱり、床を元どおりにする。
ジュリアスが察したとおり、奥の壁の一部が隠し回転扉になっており、
タオルや夜食を乗せたワゴンを引いたメイドと、ロザリア、ゼフェルがそこから入ってきた。
「お疲れ様です。さ、よろしければ、シャワーをお使いになっても結構ですわ」
ぐったりとした勇者様一行に、美しい青い髪の精霊はチェシャ猫めいた笑顔でタオルを手渡した。
へたり込んでいる彼らの傍らでは、女王のちょっとどころではなく浮かれた声が響いている。
 
「クラヴィス、クラヴィス!早くモニターを見せて!2人は階段?」
だが壁にあらわれたワイドスクリーンに映し出されたのは、塔最上部の光景だ。白み始めた空が、妙に平面的に当たり一面を青ざめた色合に染めている。
「クラヴィス!階段にカメラはなかったの?」
少し不満そうに唇を尖らせる女王に、クラヴィスはいとけない存在を見るように優しい視線を向ける。
「…彼らはいずれここに出てくる」
「それはそうだけどぉ」
自ら手をのばしてカメラをかえようとする女王を、クラヴィスは止めた。
「真実は人目に触れぬ所にこそ存在する…、我らはその結果を知ればよい…」
その口調に、女王はなにかを感じ取ったようにクラヴィスの顔を見上げた。 
彼は預言者のごとき底の見えない瞳で、じっとアンジェリークを見つめている。
ややあって、女王は明るくにこぉっと笑った。
「そうね、待ちましょう?彼らが作り上げるエンディングを」
クラヴィスがかすかに微笑んでうなずき、女王の後ではロザリアが肩を竦めるようにして小さな笑い声をたてた。
 
「…あの…、主役って俺じゃなかったんですか…?」
頭からタオルをかぶったランディが、小声で隣のルヴァに聞く。
オリヴィエが面倒臭そうに答えた。
「シナリオの変更があったんでしょ」
疲れきったジュリアスが苛立ちもあらわに、それでも女王の御前を憚ってか、鋭く低い声で言い放った。
「敵を前に臆したそなたは、すでに勇者としての資格を失っておる!」
(…そんな事を言ったって…)
勇者ランディは、呟きとともに大きな溜息を吐いた。