監視塔を上る螺旋階段を、人間一人を肩に担いだまま、オスカーはかけ登ってゆく。
両側を石壁に囲まれた狭い階段を、荷物のように担がれたまま運ばれてゆくリュミエール。
呆然としていた彼は、やがて我にかえると焦ってオスカーの肩を叩いた。
「オスカー、オスカー。下ろしてください」
 
その声にようやくオスカーも脚を止め、静かにリュミエールを床に下ろす。 
思い出したように大きく息を弾ませるオスカーに、リュミエールは何とも言えない視線を向けた。
いくら骨細のリュミエールでも、身長がある分体重もそれなりにはある。 
それを担いだまま一気に階段を駆け登るなど、日頃のオスカーからは考えられない。
ついでにいうなら、担がれて運ばれる方だって、それなりにしんどいのだ。
 
息を荒くしたまま、オスカーは自分を見つめるリュミエールの白い顔をじっと見つめている。
ややあって、オスカーは確かめるように訊いてきた。
「呆れているか?」
「呆れています」
そうはっきりとリュミエールも答える。これで順調にすべてが終わるはずだったのだ。
勇者は姫を連れ戻し、王の賛辞をうけ、そしてめでたしめでたしでストーリーは終わる。
安直なラストだが、これもRPGのお約束な王道というものである。
何よりもシナリオ設定は女王自らなのだ。
それを最後の最後で打ち壊すようなマネをした恋人に、リュミエールは何というべきか悩んでしまった。
 
「…これはお芝居なのですよ」
「わかっている」
答えるオスカーの顔は殊勝極まりない。叱られるのを恐れているように、生真面目な顔で答えてくる。
「分かっているが、納得できなかった」
「…何をですか?」
いささかリュミエールは疲れた態で答えた。
乱れて顔にかかる細い髪を、片手で後に撫で付ける。
急にオスカーはリュミエールの両肩を掴んだ。
その力の強さと、覗き込んでくる瞳の真剣さに、リュミエールは圧倒されてしまった。
「お前が離れていくことに」
 
これはお芝居だ。
きょとんとしたまま、その言葉を言おうとして、リュミエールの唇は動きを止めた。
「たとえ芝居であろうとも、お前が俺の目の前で、俺の腕の中から擦り抜けてゆく。手の届かない場所へ行ってしまう。それがどうしても我慢できなかった。…お前は平気なのか?」
真剣に問われて、リュミエールは口篭もった。
 
「…お芝居です…」
「…それでも…俺は嫌だ。…どうしても、嫌だった」
目の前で見つめてくる視線が語っている。
嘘だろうが、冗談だろうが、別れる事など、出来ないのだと。
冷たい炎を思わせるアイスブルーの瞳が、妙に気弱に揺れている。
それを見てリュミエールは、胸の奥の熱さに何も言うことができなかった。
(…いいえ、もう何も言いますまい…)
 
うっとりと彼はオスカーの首に両腕を回す。
女王の余興をぶちこわしたとして、咎めをうけてもかまわない。
外壁にあけられた小さな覗き窓から、夜明け前の白い光が差し込み、
リュミエールの髪を、表情を透明に見せる。
 
(この人と二人ならば、たとえ夜明けのない闇の中にあっても、幸福でいられるでしょう…)
どちらからともなくうすく唇を合わせた後、二人は手をつないで階段を昇っていった。
監視塔最上部に辿り着くと、今まさに朝日が昇るところだった。
 
薄い青に染まった世界の地平から、黄金の帯が長く伸びてゆく。
目も眩むような光の塊がゆっくりと姿を現し、かすかに残った闇を追いやり、世界を輝かしく包んでゆく。
その光の帯は二人のいる塔にも届き、見つめ会う二人の姿も黄金の彫像めいた姿に変えてゆく。
オスカーは朝日を浴びて神々しいほどに輝くリュミエールの姿に、初めて見るような感動を覚える。
それはリュミエールも同様だ。
 
黎明の黄金の光を纏い付けたまま、二人はそっと互いをだきしめ、ゆっくりと、そして深く唇を重ねた。
その姿はまさしく、ねらってもうまくはいかないような程に、
絵に書いたようなハッピーエンドの光景そのものであり・・・・・・。
 
 
「いやー!すごい、すばらしいわ!」
女王アンジェリークは、魔王城大広間のワイドスクリーンの前で、感動に瞳を潤ませながら、
小さな両手を胸の前で握りあわせた。
 
「ね、見た?ロザリア!感動的だわ、こんなにすばらしいラストシーンを迎えられるなんて!
こんなに美しい光景…、私、今まで見たことがない…」
少々大げさすぎる言い様だが、そういっても可笑しくないほどに、映し出された恋人同士の抱擁は美しかった。
 
「ええ、本当ですわ。オスカーが乱入した折りはどうなることかとも思いましたが…、
こうなってみると正解でしたのね。真実愛し合うもの同士の姿ほど、感動を呼ぶものはありませんわ」
そう答えるロザリアの声も、かすかに震えているようだ。
 
フィールドカメラを通し、この光景は聖地中のモニターに映し出されていた。そしてクライマックス間近としった参加者全員が、一睡もせずにモニターの前に釘づけになっていた。
聖地中のほぼ全員が、この魔王の騎士が美しい姫君との禁断の愛を成就させた瞬間を目撃し、
全員が感動に惜しみない拍手喝采を送った。
そして魔王の広間では、女神が大感激のあまりにただちに大宴会に傾れ込もうとしていた。
 
「はー、何だか分かりませんが、とにかく終わったんですねー」
「ハッピーエンドで、良かったんじゃない?」
「ぼく感動しちゃった。ね、ランディ。お二人をお迎えにいこうよ」
「そうだね、行こうか、マルセル!」
 
メイド達が運んでくる料理や酒にすでに舌鼓をうつルヴァ、オリヴィエに、塔の上にいる二人を呼びにいこうかとはなしあう、ランディ、マルセル。
自分の仕事に満足そうに、こっそりビールのグラスを持っているゼフェル。 
クラヴィスさえロザリアの酌で、ちゃっかり杯を手にしている。(うちのお二人は出来てます)
言いたいもやもやを胸のなかに抱え込み、黙って立ち尽くしているジュリアスの元に興奮したままの女王が駆け寄り、さっとジュリアスの両手を握り締めた。
驚く彼に気付かずに、女王は瞳を潤ませたまま、ジュリアスに話し掛けてきた。
 
「楽しかったね、ジュリアス。こんなふうに笑えて良かった。みんなと一緒にいろんな事を考えたり、
企画したり、お芝居したり。こんなふうにみんなと一緒に過ごせて、本当にうれしかった。
無駄な時間だったかもしれなかったけれど、私…、本当にうれしかったの」
 
その言葉にようやくジュリアスも女王の真意に気が付いた。
ただ遊びたかっただけではない。
戻ってきた平和な時間を、彼女はこんな形で確かめ、そして噛み締めていたのだ。
言いたいことは沢山ある。ジュリアスはこんなばか騒ぎはもう2度とゴメンだと思っている。
それでも今こうして喜んでいる女王の嬉しそうな笑顔の前では、そんなことは些細な問題のような気がしてくる。
ようやく厳しい顔をほころばせ、ゆっくり頷いたジュリアスに、女王もまた愛らしい笑顔を向けた。
そしてくるっと踵を返すと、モニターのコントロールパネルの前にいき、マイクのスイッチを入れた。
 
 
口付けの後、塔の上からオスカーとリュミエールは朝日が完全に登りきるのを抱き合ったまま眺めていた。
「叱られるかもしれんな…」
そうオスカーが呟くと、リュミエールがくすりと笑った。
「二人一緒です。恐いですか?」
「いいや」
軽く言って、オスカーが再びリュミエールの唇に軽く口付ける。
幸せな甘い時間。
その時、聖地にウェディングベルを思わせるふくよかな鐘の音が響き、
驚く二人の耳に女王の声が聞こえてきた。
 
『皆様、ご協力を感謝します。たったいま、「RPG・イン・聖地 天空の恋人たち」は大円団を迎えました。
このイベントに参加されたすべての方々に、この幸福が伝わりますように。ありがとう、皆様!』
 
その言葉を合図に、宮殿から、また、あちこちに作られた『町』の方向から、いくつもの花火が打ち上げられる。
オスカーもリュミエールも呆気にとられ、その女王のハッピーエンド宣言と華やかに空を彩る花火の意味に、
しばらく気が付かなかった。
ふと、頭をめぐらしたオスカーがあるものを見付け、その場に硬直してしまう。
少し遅れ、リュミエールもそれに気が付いた。
塔の付近をさまよう浮遊カメラ。
それは二人をしっかりレンズにおさめたまま、今回は逃げ出す気配もなくその場に漂っている。
 
ようやく情況を理解したオスカーの顔が、さすがに青くなる。
恐る恐る傍らで固まっているリュミエールの顔を見ると、彼は文字通り顔面蒼白になって、
息をすることすら忘れているようだ。
中継されていたのだ。
今のキスシーンが。
聖地中に。
しかも女王達が目撃したのは、ワイドスクリーン画面いっぱいの大アップキスシーンだ。
理解すると同時に、リュミエールの中に堪えきれない羞恥の嵐が襲ってきた。
 
「い…や〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!」 
エンディングを飾るテーマソングのように、リュミエールの絶叫が長く長く聖地中に響き渡った…。
 
 
後日談として。
今回の一大イベントの記録を編集したゼフェルが、宮殿で試写会を開こうとしたところ、
前夜に何者かの襲撃を受け、マスターテープを含めた全記録が綺麗さっぱり消え去ったと
女王に報告をしに来た。
ちなみにその数日後、館に閉じこもったきりだった水の守護聖殿が、宮殿に姿を現すようになったとの事である。
テープ紛失事件の調査は炎の守護聖に命じられたが、いつのまにやらうやむやになってしまった。
 
 
さらに後日談。
今度の事で味をしめた女王と補佐官が、乙女の夢と憧れをこめて「RPG版ロミオとジュリエット」の企画を密かにたてはじめ、それを耳にした光の守護聖の館に胃薬、頭痛薬、養毛剤のたぐいが運び込まれたという話が聖地中に広まったが、いずれも無責任なただの噂話である…。
 
何はともあれ、ご一同様、お疲れさまでした!