白いカーテン、絹のベッドカバー。
天蓋から降りる紗の淡いピンク。
恥ずかしくなるほどの乙女の寝室そのものの室内に、乳母役のリュミエールは軽い目眩を感じた。
 
「あの…オリヴィエ?必要なのはバルコニーだけだったのではありませんか?何も室内までこのように飾り立てることはなかったのでは…」
おそるおそる言い出したリュミエールに、これまた乙女の夜着をイメージした清らかな純白の長衣を着たオリヴィエはびしっと指さした。
「何を言ってるの!気分の問題!これ位しなきゃ、とても乙女の気分に浸れるわけないじゃないさ!」
「は、はあ…」
180センチの長身に細身とはいえ男の肩幅。
似合わないとは言わないが、やはり「乙女」には無理があるような気もする白のネグリジェ姿にリュミエールは額を抑える。
「あんたねぇ…誰のために私がこんな女役やってると思ってる?」
恩着せがましい口調でオリヴィエが言う。
元々最初はリュミエールにふられる筈だった役を「やってあげてるんだ!」と言いたげだが、そもそも成人した男性に「少女」役をさせること自体が無理なんじゃないか、という今更の疑問を口にすることはリュミエールは避けた。
女王のお楽しみ企画に理屈や道理が入り込む隙はない。
 
 
「…それでオリヴィエ…手に持っているものはなんですか?」
ぐったりとしたリュミエールの問いに、オリヴィエは今頃気が付いたような顔つきでてにした人形を持ち上げた。
「キャピュレット先祖伝来の恋のおまじないグッズ!その名も『わら人形君!』」
ばーんと効果音でもついてそうな示され方で目の前に掲げられたのは、文字通り掌サイズのわら人形。その腹の部分に「オスカー」と書いた紙が赤い髪の毛と一緒に括られてあるのがなんとなく涙を誘う。
「どこからそんな物を持ちだしたのですか?」
「クラヴィスのコレクションの一つ。どっかの辺境の国での呪いを掛けるときの道具だったんだってさ」
「の、呪い?」
そんな物にオスカーの名を張り付けたのかと、リュミエールは涙目になる。
「あー安心して。正規の手順を踏まないと、これだけじゃ意味無いから。クラヴィスの話によるとこれは念はこもってないし素材も合成のレプリカだって言うしさ。本物はね、持ってるだけでもっとどろどろした物を感じるらしいよ」
 
(クラヴィス様……)
そんな恐ろしげな物をコレクションしてたのかと、リュミエールはため息混じりで泣けそうに思う。
もっともオリヴィエはあっさりとしたもので、「恋のおまじないに使うには丁度いい小道具じゃない?呪いもおまじないも神頼みという点では似たような物でしょう」などと言い放つ。
夢と闇の守護聖の手にかかってはそれだけで効果がありそうな気がするリュミエールだったが、かけられる方も守護聖なのだから大丈夫、と強引な理屈で自らを納得させる。
オリヴィエは額を抑えて俯いているリュミエールに、意味ありげな笑い方をした。
 
「さて、乳母リュミエール!恋する乙女ジュリエットは、これから愛しいロミオ様へと恋のおまじないをかけます。その間、邪魔が入らないように外で見張っていてくださいませ」
しおらしげな口調で言うが早いが、オリヴィエはリュミエールを外へ押し出した――なぜか窓の外へ。
バルコニーに追い出されたリュミエールは、眼下に並ぶ様々な角度のカメラとスタッフ、そして見物人を目の当たりにして思わず壁に張り付く。
 
「オ、オリヴィエ!中に入れて下さい!」
「ダメだよ。これから、おまじないをするんだから」
「それならばわたくしは廊下の外に出ております!」
「何いってるのさ!聖地の水の守護聖様ファンのために出番の少ないあんたに出番を増やしてやろうというオリヴィエ様の優しい心遣いを無駄にする気かい?」
「無駄とは、そんな…」
窓の向こうから聞こえるオリヴィエのよく通る声に、リュミエールは絶句する。
どうやら中に入れてくれる気はないらしい。
だからといってここに一人いてどうしろというのか。
ちらりと階下を見下ろし、そして自分を注視する人々にリュミエールはバルコニーの隅に張り付いた。
 
(わたくしを見たところで楽しくもないでしょうに、陛下に解散をお願いするわけには…いかないのでしょうね…)
憂いげにため息を付くリュミエール。
モニターに映るその姿に、男女関係なくうっとりとため息を付く。
夜の色に溶け込むような濃い灰色の髪を包むケープ。そして飾り気のない同色の長衣。
白い顔とケープから僅かに見える額の水色の髪が、禁欲的な美しさを浮き上がらせるように強調する。庭の隅で待機していたオスカーは、思わずモニターの前に張り付く人々を吹っ飛ばしそうになった。
 
「オスカー様!暴力はいけません!」
「放せ、ランディ!武士の情けだ!」
「ダメです!こんな所で騒ぎを起こしたら撮影が延びるだけです!」
赤い髪が怒髪天をつくオスカーを必死でランディが止める。
オスカーは悔しそうに握り拳を振るわせると、きっと女王を睨んだ。
「一旦解散させてください!その間に俺がオリヴィエの野郎をバルコニーに引きずり出します!」
「ジュリエットをバルコニーに引っぱりだすロミオがどこにいるのよぉ」
怒りのオスカーに、さすがの女王も常識的な台詞を返す。
 
「オリヴィエも何か考えがあるんじゃないの?さっきさんざん好き放題やったんだから、今更我が儘言わないの」
映画監督風にジャケットとジーンズ、そしてメガホン片手の女王がからかうように言う。
「ブーブー言ってないで、憂いげなリュミエールの顔でも久しぶりにじっくり眺めていたら?」
「それは望むところですが俺以外の男がリュミエールの顔をじっくり眺めているのが我慢なりません!」
「だったら声を掛けたらー?顔隠しておけって」
「オリヴィエの馬鹿がバルコニーに追いやったんです!リュミエールにそんな事を言うのは筋違いでしょう!」
必死の形相のオスカーに、アンジェリークはしみじみとため息を付いた。
 
「ほんっと、リュミエール以外どうでもいいって感じがにじみ出てるわ〜〜〜〜…」
当然です!と言いかけてオスカーは女王をはばかり口を閉ざした。でもそのうろつく視線にオスカーの真意を察し、アンジェリークはぷっと唇をとがらす。
「……否定しないって事は肯定って事ね。女王を前にしてそういうこと考えるか…」
「女王陛下には命を懸けてお仕えし、盾となって果てるも本望の覚悟でおります!ですが、それとこれとは…」
慌てて言いかけるオスカーを女王は指をふって黙らせた。
「言い訳は良いの、それは信じてる。でもさーーー、宇宙の一大事って時じゃなくても、たまには恋人より優先して、私を楽しませることを気遣って欲しいときもあるのよね。何たって私、独り身だし」
「……陛下…」
女王候補時代の頼りない少女の面影が垣間見え、思わず口ごもるオスカーに女王はにかっと元気のいい笑顔を見せた。
「ま、いいわ。私はみんなで楽しみたいのであって、オスカーを苛めて楽しむなんてつもりはないの。それより、リュミエール、何か言ってない?」
オスカーはぱっと顔を上げた。
 
バルコニーの隅でリュミエールは暗闇に顔を向け目立たないようにしているが、モニターに映る別角度の映像で小さく動く唇が見える。
オスカーはマイク担当に聞いた。
「リュミエールは何か言っているのか?」
「はい、言葉ははっきりと拾えませんが」
「マイクの感度を上げて話してる内容を聞けるようにして欲しい」
「はい、少しお待ちを…」
渡されたヘッドフォンを耳に押し当て、オスカーは困り顔で呟くリュミエールの声に神経を集中する。
 
『…なぜあなたがロミオなのでしょう…今更こんな事を言っても遅いのですけれど…』
オスカーはその言葉に息を飲み込んだ。
『あなたがロミオでさえなければ、こうやって逢えない、などと言うこともなかったはず…一秒がまるで一時間のようにも長く思える…そんな思いをしなくてもすんだのに…』
 
切々と綴られるリュミエールの寂しさを吐露する言葉。
オスカーは胸が詰まるような気がする。
(寂しかったのは…俺だけではなかったのだな)
オスカーは気持ちを切り替えると、毅然とした顔つきでヘッドフォンをマイク係におし当てた。
そして未だジュリエットが登場しないバルコニーの前に姿を現したのである。