「結婚してください」

何故この言葉の前に、「ジュリエット様と」の一言をつけなかったのだろう。
やはり、内心ではこのようなことを言いたくなかったのだろうか。
それともたんに焦っていたからだろうか。
自分の手を握るオスカーの目を見ながら、リュミエールは半分涙目でそんな事を考えている。

「オスカー、冗談は止めてください」
小声で訴えてみると、オスカーは意地悪くにやりと笑った。
「先に求婚してきたのは、乳母リュミエール殿だと思ったが」
「オリヴィエ…ではなく、ジュリエット様と結婚してください、と言いたかったのです」
「さあ、しらんなぁ、俺が聞いたのは、『結婚してください』の一言だけだ」
そんな事をしらっと言うオスカーをリュミエールは睨んだ。
(本当にふざけるのは止めてください。このままでは、本当に先に進みません)
(そうかも知れんが…生憎、俺は傷ついた。簡単に頷いてやりたくはない)
小声で言うリュミエールにやはり小声で答え、オスカーはぐいっと顔を近づける。
(芝居でもな、別の奴と結婚してくれ、何て言われると俺も傷つく。もう少し困ってもらうぞ)
(そんな……)
自分だって言いたくて言った台詞ではないのに……そもそもオスカーとオリヴィエが段取り通りに進めてくれれば、こんな風になりはしなかったのに、とリュミエールは思う。ここまで事態がこんがらがっているのも、結局はオスカーとオリヴィエが張り合い過ぎているからではないか、とまで思う。
両手をオスカーに握られたまましゅんとなるリュミエールにたまりかねたのか、ヴィクトールが二人の間に割って入った。

「失礼、オスカー様、ではなくロミオ様」
さりげなくリュミエールを背後の回したヴィクトールに、オスカーは剣呑な顔つきになった。
「無礼だぞ」
「無礼は承知の上ですが」
ヴィクトールは声を潜める。
(失礼ですが、この役割を引き受けた以上、オスカー様には役割を果たす義務があるかと存じます。これ以上、事態を引き延ばして悪化させるのは、ご自分の首を絞めるようなものかと思いますが?)
年長らしい真っ当なヴィクトールの意見をもっともだと思いながら、オスカーはむっとする。だいたいにしてヴィクトールがリュミエールの後見人面してこの場にいるのも気に入らない。

(あんたに言われる筋合いはない。そもそもこれは女王陛下と守護聖間のお遊びのようなものだ。余計な口出しは止めてもらおう)
軽そうに見えても本来は自己抑制が利いているオスカーが、このような子供じみたことを言う訳は分かる。というか、オスカーが駄々をこねるのはいつでもリュミエール絡みの時だけだと、ヴィクトールも承知しているからだ。
ヴィクトールは仕方なく言い方を変えた。
(リュミエール様がなぜこのように必死になられるのか、その訳はオスカー様が一番ご存じでしょう。リュミエール様はこのイベントを早く終わらせ、元の生活に戻りたいと思っているからです。その為にご自分の心を抑えてあのような台詞を言ったのです。そのお心をお汲み下さい)
オスカーがぐっと言葉に詰まる。ヴィクトールはさらに畳みかけるように言った。
(オスカー様、ここが男の度量の見せ所です!ここはオスカー様が大人になり、オリヴィエ様に主導権を譲ってでも予定通りにイベントを終わらせるように努力して差し上げるべきではありませんか?リュミエール様のために!)

リュミエールのために、というのは完全なる殺し文句だった。
オスカーは渋い顔をしたが、ふと目に入ったリュミエールの心配そうな顔にふうっと息を吐く。
そして頷くと、呟いた。
「……判った。リュミエールのためなら、俺は相手がコブラだろうが、大熊だろうが、潔く結婚してみせるぜ」
「なんかさあ、随分な言われようだねぇ」
オスカーが答えを出したのを見計らっていたオリヴィエが、トゲのある声で言った。
だがすぐに表情を和らげ、やはり心配そうなリュミエールを見ながら優しく言う。
「でも、まあ、私だってリュミちゃんを悲しませたくはないからね。オスカーで遊ぶのはこの辺で止めといてあげるよ」
「オリヴィエ…」
感極まった風のリュミエールの髪をオリヴィエは親しげに撫でた。
「ああ、よしよし。悪ふざけが過ぎちゃったね」
「まったくだ」
悪態を付くオスカーを軽く睨み、オリヴィエはリュミエールに笑いかけると、次いでルヴァに向き直った。
ルヴァは完全に本を読むことに没頭していて、一連の流れにはまったく気が付いていない。
オリヴィエはその本をいきなり取り上げた。

「おや、何をするんですかー」
「何もないだろ。結婚式始めるよ」
「おや、話は付いたんですね」
ルヴァはニコニコしながら祭壇の前に立った。
「不本意ながら、このオスカー、ジュリエット姫との婚姻を承諾した」
「って事だから、ちゃっちゃと誓いの儀式を終わらせてね」
一メートルくらいの間隔を開けて並んだオスカーとオリヴィエが、神父ルヴァの前に立つ。
そして本格的に安堵の顔になったリュミエールとヴィクトールは、立会人の場所へ。
ルヴァは目の前に立つ若者二人の前に手を翳し、婚姻を認める儀式を始めた。
「えー、では、ではロミオはジュリエットを愛することを誓いますか?」
「……誓います」
いかにも言いたくないけど言ってやる、といった小さな声でオスカーが答えた。
次にルヴァはオリヴィエに向かって同じ問いを発する。
「えー、ではジュリエットはこのロミオを…おや?」
突然ルヴァは言葉を切り、首を傾げ、それから急に思いだしたといった顔で何度も1人頷いた。
「なに、どうしたのさ」
オリヴィエが焦れて言うと、ルヴァは顔を輝かせて言った。

「いえですね。今、思い出したんですよ。ロミオとジュリエットのだいたいのあらすじ。確かジュリエットには親の決めた許婚が他にいたんじゃありませんでしたっけ?」
そういった途端、オスカーとオリヴィエが同時に怒鳴った。
「そんなモン、今更思い出すなーーーー!」
「ようやく話がまとまったんだ!これ以上ややこしくするな!」
「お、おや〜〜〜〜?」
思い出したのになぜ怒られなければならないのだろう?ルヴァはそんな顔つきで眉をつり上げた二人を交互に見つめる。
「……ルヴァ様……」
完璧に疲れ切った顔でリュミエールは項垂れた。
何はともあれ、まったく人の話を聞いていなかった神父の祝福を受け、まったく目出度くなさそうな新郎新婦は無事にウェディングベルを鳴らしたのである。


★★


「あーーー…疲れた…」
「誰のせいだ、誰の…」
とりあえず結婚式のシーンを終え、素に戻った年中組三人とヴィクトールは教会もどきの建物から外に出た。
ヴィクトールはげんなりと疲れた風の三人に労るように声を掛ける。
「ですが、これで一つの山は越えましたな。後はクライマックスに向けて一直線では」
「……ああ、そうだな。後は決闘シーン、そして追放だ…お前と関わるもの終わりだな」
オスカーが言うと、オリヴィエが意地悪げに答えた。
「甘い。追放の前に初夜明けの別れのシーンがあるだろうが…」
「そんなもん、暗転、朝チュンの演出で終わりだ」
「ま、いいか、そういう事にしといてあげるよ」
初夜明けのシーン、という言葉に俯いたしまったリュミエールを気遣うように、オリヴィエは笑いかける。
「さーて、それじゃ、決闘シーンをさっさと済ませるか。あいつ等の準備はどうなってるんだか」
オスカーはようやく割り切れたのか、さばさばとした口調で言った。
だがそこに、焦った顔で駆けつけてきた者がいる。
年少組に段取りをつける演出担当係だ。
あたふたと息を切らすその男の尋常ではない様子に、オスカー達は嫌な予感を覚えた。

「……おい、いったいどうしたんだ?」
男はゼイゼイとする息を抑え、一枚の紙を指しだして悲鳴のように訴えた。
「た、大変です…ゼフェル様、ランディ様、マルセル様、控え室に書き置きを残して行方不明に……」
「ぬぅわに〜〜?」
「ちょっと、その書き置きお寄越し!」
置き手紙をひったくるように奪い、急いで広げるオリヴィエの周りにオスカー達が集まる。
その手紙にはたった一言だけ書かれたった。

『僕たちに必要なのは戦う事じゃない。愛し合うことだったんだ』

「宇○戦艦ヤ○トとはまた渋い…」
「え?」
ぼそっと呟くヴィクトールを、守護聖三人が同時に見る。
ヴィクトールはこほんと咳払いをし、オスカーが一番考えたくない事をさらりと言った。
「決闘シーンが撮れないとなりますと…どうなさいますか?」
「そりゃ…」
息を飲むようにして押し黙ったオスカーはオリヴィエの顔を窺った。
眉を顰めた考え込むそぶりのオリヴィエは、強ばったオスカーの顔を確認し、そして青くなっているリュミエールの顔も確認し、不意ににかっと笑う。
「ごめんね、リュミちゃん。どうやら、単純に話を進ませちゃつまらない、という事らしい。って事はだね…」
オリヴィエは右手を高々と上げると、小気味よく指を鳴らした。
「ジュリエット親衛隊の面々!新郎ロミオを両親に紹介しに行くよ!移動準備!」
どこに待機していたのか、臨時雇いの武官達がシュタッと素早く現れ、そして教会に運んだ時のようにオスカーの腕を両側から掴んで抱え上げてしまった。
「おい、オリヴィエ!じゃなくてジュリエット!」
焦るオスカーにオリヴィエは華やかに笑う。

「だってさー、結婚式上げたら両親に紹介ってのは当然じゃない。決闘しなきゃロミオが追放されることもないんだし。これで両家が縁付いて八方丸く収まりさ。さ、みんな行くよ!」
オスカーを抱え上げた武官達は一糸乱れぬ足取りで走り出した。
「じゃ、先に帰ってるねーーーー」
華やかな投げキッスをリュミエールに飛ばし、オリヴィエもまたその場から立ち去っていく。
再び取り残されたリュミエールは呆然と立ちすくんだ。
「こ、これはいったい…」
「いったい、何がどうしたのか…」
ヴィクトールもかける言葉が見つからない。
決闘シーンがない。つまり、追放になる理由がない。と、いう事はつまり…。
「このイベントに終わりが無くなる、という事ですか?」
落ち着いて考えればいつまでもお祭りが続くわけはないのだが、とにかくリュミエールは段取りが完璧に変わってしまった事に気を取られ、冷静な判断力は完璧に吹っ飛んでしまっていた。
ふうっと意識が遠のきかけながらも慌てて手を差しだしたヴィクトールに抱えられる前に、なぜか1人で立ち直る。
リュミエールは似合わない握り拳を作り、毅然として前を睨んだ。
「こ、こうしてはいられません!後を追わなくては!」
「そ、そうですな」
リュミエールを抱え損ねた手を残念そうに見やりながら、ヴィクトールもそう頷く。
急転直下の物語は、余韻も何もなしで次の舞台へと移っていくのだった。