その日ジュリアスはくつろいでいた。
モニター室でイベントの進行具合を横目で眺めつつ、薫り高いエスプレッソを優雅に味わい、執務室同様に書記官が運ぶ書類に目を通し、順調に日課をこなしていく。
宇宙は平穏。
問題も無し。
女王のサクリアは宇宙を調和で満たし、民達も日常を謳歌している。
まことにもって結構なことである。
前回のように彼1人が目を血走らせて仕事を片付ける、という事もなく、女王補佐官と補佐官に首根っこ掴まれた女王も普段通りの職務を果たしている。
まあ、年少、年中の若い者が浮き足立って仕事を滞らせがちではあるが、それも問題にするほどひどくはない。
ジュリアスの出番も当分無いだろうし、彼は落ち着いていた。
だが――スキップしながらやってきた女王の一言で、彼の落ち着いた時間は全て失われてしまったのだった。


「パリス?それは何者ですか?」
「あー、やっぱり忘れてる」
実は自分もすっかり忘れていた役名だったのだが、それを棚に上げて女王アンジェリークは自慢げな顔をした。
「ジュリエットの婚約者よ。ジュリアス、二役だったでしょ」
「……そう言えば、その様な話もあったような…」
生真面目に考え込むジュリアスに、女王はいそいそと派手な縁飾りの帽子やらマントやらシャツやらを出してきた。
「モンタギュー卿と違ってパリスはこれから花嫁を迎えようって人だから。少し派手な若向き衣装を用意しといたの。ささ、着替えて、着替えて」
女王は嬉しげにジュリアスの長衣を引っぱり始める。
そのはしたない行為に、ジュリアスは眉を寄せるとさっそく説教モードに突入した。

「陛下。いくら守護聖相手とは言え男子の服を引っ張るなど、淑女にふさわしいとは思えぬ行いでありますぞ」
「いやあね、ジュリアスったら!今の私は衣装係よ。舞台とかじゃ、出演者は早変わりなんかでその辺で服を着替えるなんてざららしいの。意識する方がはしたなくてよ」
にこにこと断言する女王に、ジュリアスは一瞬「その様な物なのか!」と納得しかけてしまった。何しろジュリアスと女王では生まれ育った時代が100年単位ではきかないほどに隔たっている。
自分の頃ははしたないと言われていた行為も、女王陛下の生まれ育った時代では問題にならないのだろうか、それならば現在の価値観を受け入れなければ、統治する上で問題が起きるかも知れない――などと一瞬でそこまで考えるあくまで律儀で真面目な光の守護聖。

だがしかし、どれだけ時代が変わろうとも、少女がいきなり男の服をひっぺがそうとする行為はやっぱり間違いなくはしたないのである。
もちろん女王にはやましい意識など無い。女王になった時点で、どれだけ威厳あふれる光の守護聖も彼女にとっては「ちょっと厳しいけれど、我が儘聞いてくれる優しい近所のお兄さん」くらい親しい存在になっているのだ。
だが、例えどれだけ無邪気な親しみの表現であっても、ジュリアスとしてはやっぱり着替えまで手伝われたくはない。
というより、少女に長衣を引っ張られ、「さあさあ、早く脱いで!」等と急かされたあげくに帯まで解かれかかると男としてのプライドもへったくれもない!という虚しさまでわき上がってくる。いくら相手が女王でも、ここは最後の防衛線なのだ。

「陛下!着替えが必要なのであれば控え室に参ります」
「急ぐんだってば!モニター見てなかった?」
強引な女王にジュリアスは押し切られそうになる。だが次の瞬間、女王の頭上に聖地最強の噂も高い補佐官の怒りの声が降ってきた。
「陛下!というか、あんた!なんてはしたない事をしているのよ!」
「きゃあああ!びっくり!」
「びっくりしたのはこっちよ!どこの世界に衣装係を喜々としてやってる女王がいるのよ!あんまりふざけた事をしてると、いくら寛大なわたくしも怒るわよ!」
「もう怒ってるくせに〜」
頭を抱えた女王がガミガミと叱られている間、ジュリアスは乱れた衣装を無意識に直しながら「やっぱり私の常識は正しかったのか…」と妙な感慨を覚えていた…。


★★


暗い地下室に無機的に光るモニター。その前で1人の少年がほくそ笑む。
「……なんか色々と面白い事になってんな…」
にやりと策士めいた笑みを浮かべる銀髪の少年の背中に、金髪の少年が呼びかけた。
「ねえ、ゼフェル。ここって、他の食べ物無いの?」
マルセルが不満そうに抱えているのは、いかにもゼフェルらしいスパイスの利いたクラッカーやカロリー○イトなどの栄養補助食品。たまに食べるには良いが、そればかり食べていると味覚がバカになりそうだとマルセルは思う。

「クッキーとかビスケットとかでもいいんだけど。どうせならプリンとかパイとか、もっと美味しい物置いておけばいいのに」
「んな甘いモンばっかり喰ったら、舌がバカになっちまう」
たった今マルセルが思ったのと同じ事を、ゼフェルが言う。
ここは鋼の守護聖の地下研究室。イベント撮影用のカメラを一括管理しているコンピューターと密かに繋がれたモニターには、どたばたする年中組の様子がはっきりと映し出されていた。
ゼフェルの台詞にプリンをバカにされたと思ったのか、マルセルはむっつりとしたままミネラルウォーターのボトルをランディに渡す。
「コーラはないの?」
爽やかに聞くランディに、ゼフェルは呆れ顔になった。

「なんだよ、てめえら。さっきから喰う物だの飲む物だのそんなのばっかり気にしやがって。文句があるなら、自分ちに戻りやがれ!」
「だって屋敷に戻ったら、すぐに見つかっちゃうってゼフェルが言ったんじゃないか」
「そうだよ。それに俺達の屋敷にはモニターがないし」
二人揃って反論され、ゼフェルは憮然となる。
「てめえらの食料はてめえ等で用意させとくんだったぜ」
「それよりさ、俺の書いた書き置きの台詞、誰か気が付いてくれたかな」
ランディがわくわくとした口調で言う。ゼフェルは面倒くさそうに言った。
「ヴィクトールのヤツが気が付いたみたいだぜ。あいつがまさかSFアニメオタクだったとはな」
「失敬なこと言うなよ!あれは名作だぞ!子供の頃、友達と一緒にあれの真似をして地球を守るヒーローごっこなんてよくやったんだ!」
勢い込んで言うランディに、マルセルがぼそっと突っ込みを入れる。
「ヒーロー願望は昔っからなんだ…」
「そんな事言うなよ、マルセル!争いじゃ何も変わらない。お互いを理解し、愛し合うことによって未来が作られるという、深い深ーい意味のある台詞なんだぞ!」
「真顔でそんな事語れるてめーの事なんか、俺は一生理解できなくていいや…」
「あ、そういう言い方はないと思うな」
続けて何か言おうとしたランディを、ゼフェルは無造作な手つきで黙らせた。

「おい、面白そうなもん、見つけたぜ」
「え、なに?」
マルセルが身を乗り出してモニターを見る。
どうやら浮遊カメラが一台、出番が無いためにどこかに着陸して固定で移しているらしい映像が映っている。場所はどこかの建物の裏側。そこにゲスト参加中のヴィクトールの部隊らしい数人の男達が、慣れた手つきで何かの手入れをしている。
「何あれ」
「ボウガンだが変な改造してやがる…なんだ、あの鏃の部分…」
「普通の鏃じゃ危ないから、吸盤か何かに変えてあるんじゃないか?」
「いや、そうじゃねえ。ちょっと待てよ、場所はどこだ…」
ゼフェルは浮遊カメラのナンバーを割り出し、それが今どこにあるのか場所を調べ始めた。

「何やってるの?」
マルセルが聞くと、ゼフェルは妙に楽しそうな弾んだ声で答える。
「きまってんだろーが。場所を探して、確かめるんだよ!」
「ボウガンを確かめてどうするんだ」
年長ぶった窘めるような言い方のランディ。
ゼフェルはにやっと笑う。
「ばーか、よく見ろよ。あいつ等の後ろに、なんかでかい物があるだろ?幕掛かってるって事は、見られたくないような物って事だろ?あいつ等が、何用意してるのか興味ねぇか?」
「それは…」
ランディはぐっと言葉を詰まらせマルセルと目を見合わせる。そして、渋々認めるといった顔で頷いた。
「……興味ある…」
「だろ?…よし、場所が割り出せた!」
ゼフェルが見ているモニターにぱっと聖地の地図が現れた。
「……ようし…あいつ等の隙をついて、見に行こうぜ」
ゼフェルは今回のイベント中で一番嬉しそうな顔……というよりも、どこからどう見ても悪巧み満載な顔つきで笑った。