所はなぜか闇の守護聖邸。
庭に面した一階の今はガラス戸を大きく外に向かって開け放たれ、清々しいほどの光に満ちている。
白いテーブルクロスをかけた丸テーブルには、香り豊かな紅茶と品よく飾られた一輪挿しのクリスタルの花瓶。生けられた花はロザリアが持ってきたピンクの薔薇が一輪。
一瞬新婚さん家庭を思わせる清楚なテーブルに付いているのは、眩しげに目を細めている闇の守護聖事キャピュレット卿と、派手な金の端飾りの付いた長衣を纏った光の守護聖事、モンタギュー卿、もとい、ジュリエットの許婚パリス卿。
クラヴィスはそのジュリアスを横目で見ると、わざとらしく眉間にしわを寄せた。
「……いくら光の守護聖だからと言って、衣装までも綺羅綺羅しく飾り立てるとは悪趣味な…」
「私の趣味ではない!」
女王の趣味で飾り立てられたジュリアスは、クラヴィス以上に眉間にしわを作り鋭く言い放った。
「うふ、それって、私の趣味が悪いと言いたいのかしら?」
侍女に扮した女王が、さりげなく皮肉めいた笑顔でいいながら、お茶のお代わりを運んできた。
「ねえ、ジュリアス。その衣装、気に入らない?」
万が一頷いたりしたら後が怖いわよ、といわんばかりの笑顔で女王は光の守護聖の顔を覗き込む。
忠実なる女王の守護聖ジュリアスは、ゆっくりと息を吸うと引きつった顔ながら「いいえ」と答えた。
闇の守護聖が、可笑しげに低く笑っていた。


「さて、ところで陛下。一度、きちんと状況を説明していただきたいのですが」
嫌みなクラヴィスの笑いを無視し、ジュリアスはあえて事務的口調で問うた。
キャピュレット夫人役のロザリアも席に着き、その隣に腰を掛けた女王は目をくりんとさせて首を傾げる。
「説明って?」
「わたくしも今一つ状況が飲み込めないのですが、陛下?なぜいきなりこうなっているのですか?」
「ジュリエットがー、旦那様になったロミオを紹介に連れてくるから、そのためでしょ?」
「それで、何故私も居なければならないのでしょう」
慇懃に聞くジュリアスに、アンジェリークは指をちっちっと横に振った。
「だって、パリスはジュリエットのお婿さんになるはずの人よ。それなのに、そのお相手がいきなり旦那様を連れてくるのよ?これはやっぱり、三角関係のもつれの修羅場にならなきゃ、おかしいじゃない」
「?」
一瞬真剣に考え込んだジュリアスが、やがていやいやといった風で訊いた。
「それは、私がオリヴィエを巡ってオスカーと対立すべき状況ということですか?」
「実名で言うと凄い話だけど、そういうこと」
ピーンという、耳が痛くなりそうな音が聞こえてきそうな沈黙。
ジュリアスは臨終直前のリア王よろしく青ざめ、苦悩の顔つきで額を抑えた。
「……陛下…申し訳ございませんが、頭痛と目眩と立ちくらみがいたします。席を外させていただいてよろしいですか…」
「……そのタイミングが仮病見え見えなんですけど」
女王陛下に忠実な光の守護聖も、さすがに仮病使っても逃げ出したい状況とはどんな物だ…とロザリアは1人静かにジュリアスに同情する。
だいたいにして、今の今まで名前だけの登場人物だと誰もが思っていたのに、いきなり三角関係(それも男を巡って)の修羅場をやれと言われても、心の準備は「受験までまだまだ三年もあるもん♪」と油断している新一年生以上に出来てはいる筈がない。生真面目でプライドに高いジュリアスにしてみれば、「出来ない」事自体が屈辱だろうが、やっぱり負けても悔しくない勝負というのもある物である。

「陛下…ここは潔く、慶事を迎えた二人を祝福する方向で行きたいと存じますが」
「えーーーー、そんなのつまらない!」
つまるつまらないの問題ではない。
ジュリアスはオスカーとオリヴィエが訪れたら、さっさと祝辞を述べてその場を辞去する事に決め、何喰わぬ顔で告げた。
「陛下の御心のままに」
そして――いよいよ、主役二人が登場。
さささっと部屋の隅にメイド面で引っ込む女王。
先程からの騒ぎをなんと思っているのかまるで素知らぬそぶりにクラヴィス、常識人らしく少し緊張の面もちのロザリアとジュリアスの前に、オリヴィエの華やかな姿が現れた。
そしてその後ろには屈強な武人に囲まれ、護送中の囚人のように悔しげな顔のオスカー。ジュリアスは、もっとも信頼の置ける炎の守護聖のその情けない姿に、思わず天を仰いでいた。

★★


「さーて、父上様!母上様!あなた方の義理の息子を紹介に参りました!」
情けない顔のオスカーロミオとは逆に、オリヴィエジュリエットは意気揚々として弾けそうな程の明るさでそう言った。
衣装もちゃっかりと着替え、赤をベースの長衣に銀と金で派手な縁飾りを刺繍してある。眼が眩みそうな派手さ加減に、女王アンジェリークが1人納得で頷く。
「やっぱりジュリアスも着替えさせておいてよかったーーー。貧弱な恰好じゃ、並んだときに絵にならないものね」
ジュリアスは恨めしげに女王を横目で見る。
両親役のクラヴィスとロザリアは、第一声が出ずにポカンとオリヴィエを凝視していた。

「ほら、早く何かお言い!私1人がノリノリじゃ、ばかみたいじゃないか」
「……ばかみたい、じゃなくて、ばかなんだ」
「お黙り!」
オスカーの減らず口を黙らせ、オリヴィエは両親役の二人をせっつく。
「なんか言いなさい」
ロザリアとクラヴィスの機先を制し、ジュリアスが先に口を開いた。
「ジュリエット嬢はすでに婚姻をすませ、人の妻となった様子。では、私は潔く身を退こう。これからの二人の行く末に祝福のあらん事を」
口早に言い、完璧なレディに対する礼をする。
「え?」
アンジェリークが変な顔をした。
「三角関係になるんじゃないの?」
「互いへの愛情に基づき永遠の誓いを交わした者同士に横やりを入れるなど。真に誇りを知る者であれば己の心を殺してでも潔く祝福するのが正しき姿と私は考えております」
ジュリアスは胸を張って堂々と答える。
「……さすがはジュリアス様…なんという潔く気高いお言葉」
「オスカー、お前ならば分かってくれると思っていた…」
両腕をジュリエット親衛隊に取られながらも感動するオスカーと、その言葉を満足そうに受け止めるジュリアス。
通常ならばそこで終わるのだが、今回は続きがあった。

「その高潔さに打たれました。ジュリアス様、ではなくパリス殿!ここは私が身を退きますゆえ、どうぞジュリエット姫とお幸せに」
「いや、すでに婚姻のなった身。二人で幸福を掴まれよ」
ジュリエットの押し付け合いに、オリヴィエは渋い顔になる。
「あんた等、すごく無礼な事してないか?」
頭痛を覚えつつ、ロザリアは隣のクラヴィスを突っつく。
「……何か仰いませんの?」
「ふむ」
無言で女性1人を押しつけあう恋敵同士を見ていたクラヴィスは何事か考えていたようだが、不意にポンと手を叩いた。
「では、こうしよう。決闘をして勝った方が正式なジュリエットの夫になる事」
「クラヴィス!貴様、何を考えてる!」
「なんでオリヴィエのために決闘なんぞしなきゃいけないのだ!」
途端に揃って反論を始めたロミオとパリスに、ジュリエットは引きつった凄みのある顔で笑った。
「あんたら、ものすごーく無礼者だね。温厚な私も腹が立った」
ジュリエットはつかつかと父親のキャピュレット卿の横に並ぶと、押し付け合いをしている無礼な本来ならば求婚者の立場である二人を指差した。

「決闘決定!どうしてもしないっていうなら、あんたら二人が泣いて嫌がるようなモノローグで決闘の様子を説明させてやる」
「……ふむ、そっちの方が手っ取り早くて良いかも知れぬ」
「でしょ?じゃ、この二人ほっといて、泣いて嫌がるようなモノローグを考えよう。始まりは『ロミオとパリスはジュリエットの可憐な姿を前に跪き、水一滴分だけでも隣にいる男以上の関心を得ようと、競って褒め称える台詞を口にした。そしてジュリエットが戸惑い選べないことを知ると、どちらからともなく剣を抜き、そして向かい合う。そう、二人は今、この美女の愛を得るために互いの命をかけようとしていた…』」
「……やめてくれ!鳥肌が立つ、耳が腐る!」
陶酔しまくりのオリヴィエの台詞に、冗談抜きでオスカーは鳥肌が立った。
ジュリアスは当然の事ながら、無言のまま『忍耐』というタイトルでも付きそうな仮面めいた顔になっている。
「それがいやなら、あんた等で決断して。でなきゃ、本当にいつまで経ってもシナリオの先に進まないし」
「ここで二人が決闘して、ロミオがパリスを傷つけたら〜〜とりあえず追放シナリオには戻れるね」
納得顔のアンジェリークが頷く。
オスカーとジュリアスはまたもや苦悩の色が濃くなった。

「俺が…ジュリアス様と決闘して勝つというのか……いや、形だけとはいえ、ジュリアス様をうち倒せるというのも、それはそれで気持ちよい状況な気がしないでもない…」
「オスカー…何を考えている」
ぶつぶつと脱線したことを考えているオスカーに、ジュリアスは非難の目を向けた。
「いえ、あくまで冗談です」
慌てて言いつくろうまでも、どっちにしてもこのままでは収まらない。
決闘シーンを演じてジュリアス演じるパリスをうち負かすか、それともモノローグに任せて寒気がするようなジュリエット礼賛をきかされるか。
文字通り究極の選択――それほど深刻になるような選択ではないが、オスカーとジュリアスの気分はまさしくそうだった。

「……ああ、これがリュミエールの愛を得るためなら、俺はあえて鬼にもなれるのに」
「情けない泣き言を言うな…今はリュミエールは関係ない」
ごもっともなジュリアスの言葉に、ますますオスカーは情けなくなってきた。
「いっそ…ここで自害して果ててみようか…」
あらぬ方向を見ながらオスカーが虚ろに呟く。
「ちょいとあんた、そこまで嫌がるか」
「いやに決まってるだろうが」
「話が進まない〜〜〜〜」
「もともとキャスティングに無理がありすぎたのですわ」
「ロザリアだって納得したくせに」
雑談だけで無駄な時間が過ぎてゆく。
謹厳実直なジュリアスにしてみれば、この無駄な時間の使い方自体も拷問かも知れない。
膠着しきった事態がどうすれば先に進むのか。
ここまで来て終演宣言するのももったいないし、と女王がせこい事を考えている所へ、ようやく乳母リュミエールが到着。
とりあえず、現場を見た彼の最初の言葉は――。

「何がどうなっているのですか?」
確かに――現在の状況を筋道立てて説明できる人物は誰もいない。
それくらいに本筋から外れてこんがらがりつつも進行中のイベントとは、一体いかなるものか。一体、誰がそれを楽しんでいるというのか。
女王に問うのは、まったくもって無駄な話だった。