ロミオと乳母リュミエールの結婚宣言。
一瞬場が鎮まった後、ぴきっと額に血管を浮かび上がらせたジュリアスの怒号が響き渡る。

「ならぬぞ、オスカー!場をわきまえよ!巣の己の都合を持ち込むとは、今のこの状況をなんと心得る!」
「…そなたこそ、素に戻っておるぞ」
鋭いクラヴィスの指摘にギロリと鋭い視線を送り、ジュリアスは渋面の説教口調になった。
「オスカー、そなたのことだ。この物語を知らぬとは言わぬだろう。その上でいうのか?物語をねじ曲げ、ジュリエットではなくその乳母と結婚すると」
「はい、俺はもう心を決めました」
オスカーは毅然として答えた。見せつけるようにぐいっとリュミエールを引き寄せ、そして女王に向き直る。
「女王陛下企画のイベントを台無しにしてしまった罰はいくらでも受けます。ですが、俺はもうこれ以上は耐えられません。例え一時の芝居であれ、俺は他の人間に愛を誓うことも、そして――」
オスカーは不安げなリュミエールを見た。
「一番大切にしなくてはならない相手にこれほどの不安を与えるなど、炎のオスカーの名にかけて忌避すべき事。例え追放の憂き目にあろうとも、このような顔をさせるよりはマシという物」
現実と芝居がごっちゃになった台詞を芝居っけたっぷりに語り、オスカーはオリヴィエを睨み付けた。
「そういうわけだ、ジュリエットよ」
「何がそういう訳だよ。突然芝居に戻るなって」
オスカーの恰好つけを軽くいなし、オリヴィエ・ジュリエットは腕組みをした。

「オスカー、がっかりだよ。あんたは無神経がさつな好き者男に見えても、その実は公私のけじめをきちっと付けられると思ってた。それがなんだい?いくらおちゃらけたイベントとはいえ、これは女王陛下の勅命。仕事なんだよ、判ってる?」
「……おちゃらけイベントって、みんなそう思ってる?」
「あら、違いましたの?」
オリヴィエの言葉に恨めしそうに呟く女王にロザリアが追い打ちをかける。それは聞こえなかったふりで、オリヴィエは今度はリュミエールを見た。普段の剽軽な笑顔は消え、むしろ剛直な男臭い視線である。リュミエールは背筋がきゅっと引き締まる心地がした。
「リュミエール、あんたからもちゃんと言っておやり。場をわきまえよ。我が儘言ってないで、さっさと物語の本筋に戻りなさいってさ」
リュミエールは眉を寄せ、横に立つオスカーの顔を見る。オスカーはそれを見ると、優しく笑った。自分に気を遣うな、言いたいことを言え、そう促しているように。
リュミエールは少しだけ視線を足下に下ろし、じっと自分の心に問いかける。

――今、わたくしは何を望んでいる?
――何を言えば後悔しない?

答えが決まり、リュミエールは真摯な顔をまっすぐに上げ、そして落ち着いた声ではっきりと言った。
「わたくしもオスカーと同じ気持ちです。罰を与えるというのであれば、どうぞ、一緒に与えてください」
言った瞬間に既視感を覚え、リュミエールはちらっと目を泳がせる。
(……前も確か、このような展開になったような…そして確か……)

――後で死ぬほど後悔したような?

最終的な答えを口に出してから頭をよぎる不吉な考えにリュミエールがさぁーっと青ざめると同時に、それは現実になった。
剣呑に二人を睨んでいたオリヴィエが、ぱっと破顔したのである。
(まさか――)
思わずリュミエールはオスカーの腕に縋り付いた。
オリヴィエはにんまりとすると背後の女王を振り返ると、大仰に腕を開く。
「お聞きになりましたか?陛下!ついにこの頑固者が折れました。ロミオとの結婚を承諾、つまりはヒロインである事を承知したのです!」

ジュリアスはもちろん、クラヴィスも当然、そしてロザリアすらもポカンとする。
「陛下?これはどういうことですの?」
今にも躍りあがりそうな程嬉しそうな女王に、ロザリアは言う。
女王は喋りたくて仕方がなかった、と言わんばかりの勢いで万歳しながら言った。
「だーかーら!これはね、オリヴィエとこっそり計画してたことなの!普通に言ったらリュミエールは絶対にジュリエット役を承諾しないから、芝居の途中でそれなりに誘導して、自分からオスカーの相手役を認めるように持っていこうって!オスカーが辛抱たまらん!ってくらいになって切れたら、絶対、ぜーったいリュミエールも一緒につきあうって思ったのよ!やりぃ!」
「やりい!だね」
オリヴィエと女王は小気味のいい音をたてて掌と掌をぱちんと打ち合わせた。
そしてまだ呆気にとられている状態のオスカーとリュミエールに笑いかける。
「安心おし、丁度上手い具合に、バルコニーでも酒場のお使いでも教会でも二人で意味深に見つめ合ったりしてる映像があるから、台詞だけ後で入れれば取り直しの手間もないし。あー、良かった良かった。これであとはスムーズに進むよ、私はもう肩凝っちゃった」
悪びれの無いことを言ってオリヴィエは方をコキコキと鳴らした。
唖然とした顔で呆れているロザリアはまだ声にならず、クラヴィスは面白がっている風でこの場を見守っている。
苦々しげなジュリアスは説教口調を女王に向けた。

「女王陛下、悪ふざけが過ぎます」
「あら、だって、どうせやるなら、ベストな配役でやりたかったんだもの」
女王はそう微笑むと、オスカーを見た。
「オスカーだって、本当はそれが一番、って思ってたでしょ?リュミエールが相手役じゃなきゃいやだって」
「そ、それは…確かに」
思わず素直に答えるオスカーの肩に腕を回し、オリヴィエはウィンクする。
「感謝して欲しいねえ、私はあんたのために道化をかってでたようなものさ?」
「そ、それは確かに…」
同じ言葉を呟いた後、オスカーは大きく納得顔で頷いた。
「そうだ、まったくその通りだ!俺はリュミエール以外の相手役などごめんだった!だから最初からやる気もなければ、こんなイベント早く潰れてしまえばいい、などとずっと心の中で呪い続けていたくらいだ!」
「……呪うほど嫌だったのかい、私が相手役やるの…」
それはそれで傷つく告白だと思ったが、オリヴィエはオスカーが吠えるに任せておいた。

「だが、これで気が晴れた!やはり俺の相手役はリュミエールしかいない!リュミエールのためなら俺は例え天が相手でも決闘し、そして勝利してくれよう!毒の樽を飲み干すことも厭わないぞ!」
ぱあっと輝くような笑顔でオスカーは言う。
「オリヴィエよ、俺はいっそのことお前が階段からひっくり返って顔面を殴打し化粧しても人前にでられないような青あざだらけの顔になるよう画策してみようかと真剣に考えたこともあったが、実行しなくて良かったとつくづく思うぞ!お前は俺の心の友だ」
「……あんた、ジャ○アンかい。って言うか、そんなろくでもない事考えていたわけ?」
「まあ、気にするな、もう終わったことだ」
渋面になるオリヴィエの肩を叩き、オスカーは爽やかに笑った。
「これで全てがいい方に向かう。クライマックスももうすぐだ、陛下!すぐに撮影を終えてしまいましょう!」
威勢良く言ったところで、オスカーはオリヴィエ以外の面子が全て部屋の隅に移動していたことに気が付いた。
女王陛下は青ざめた顔でロザリアの背後に隠れ、ロザリアは頭が痛そうな表情でクラヴィスの後ろに隠れ、クラヴィスは面白そうな顔でジュリアスを盾がわりにし、ジュリアスは厳格な表情のまま真っ白な顔で固まっている。
オスカーは不審げに眉を寄せた。
「おい、みんなどうしたんだ?」
「いや、私にもよく分からないんだけど」
脳天気に盛り上がっていたオスカーとオリヴィエの二人だけが不思議そうに顔を見合わす。そしてさっきから黙っているリュミエールに意見を求めように同時に顔を向けた。
「おい、リュミエール……」
見た瞬間、オスカーとオリヴィエの二人も凍り付いた。
二人が見た物は――。

このイベント中のオスカーとリュミエールに対する仕打ちの全てが計画的だったという事、騙されていたという事。しかもその事実を知ったオスカーが、明るく前向きにそれを喜んでいるという事。
それら全てがリュミエールの逆鱗に触れた。
前回のコスプレイベント、それも本来予定のラストと大きく替わった。やはりオスカーの自分に対する熱情ゆえに、そして自分がそれを受け入れたがゆえに。
聖地中の人々を前にラブシーン披露という、普通なら到底考えられないような姿を曝して貰った。
それを自分がどれだけ恥じ、そして同じ轍を踏むことを怖れ、拒んでいたか。
それを誰よりも知っているはずのオスカーが、自分がその状況にまた陥ってしまったというのに喜んでいるのだ。

リュミエールは切れた。

今まで誰も見たことがないほどに、暗く激しく切れた。

繊細に整った顔が冷たく凍り付き、目が据わり、顔色は怒りで真っ白なのに目元だけが赤くなり、握った手は小刻みにふるふると震えている。
その姿は壮絶に美しく、そして――壮絶に恐ろしかった。
ぴーんと張りつめた冷たい空気が室内を覆い尽くし、無駄口一つ許さないほどの圧迫感をその場の者全てが感じていた。