「女王陛下――」
「は、はい!」
リュミエールの穏やかで優しい声に呼ばれ、女王は飛び上がった。
「は、はい、なんでしょう、リュミエール?」
猫なで声で答えながら、女王アンジェリークは引きつった笑顔を向けた。
女王を見ている水の守護聖は、声と同じく穏やかで優しい笑顔。
だが、その目が笑っていない。
女王はビクビクとしながら、かろうじて「何かしら、リュミエール」と聞いた。

「女王陛下にお伺いしたいことがございます」
相変わらず表情と同じ穏やかで優しい口調。だが、その声音は瞳と同じく笑っていない。冷たく硬質で、女王の耳にはジュリアスの叱りつける声より恐ろしく響く。
「な、何かな〜〜〜私に答えられること、あるのかしら」
すっとぼけた答えで場を和ませてみようかと思ったが、雰囲気はますます強ばって行くばかりだ。リュミエールはにっこり笑顔のまま冷たく言った。
「わたくしは、このたびのイベントでオスカーの恋人役はお断りしますと、そう申し上げたはずですが?」
「そ、そうよね〜〜忘れてないわよ〜〜〜だから、ジュリエット役はオリヴィエになったのよね〜〜」
「おや、それでは先程聞こえたのは空耳でしたのでしょうか?わたくしが、自らオスカーの相手役を承諾するように、オリヴィエと何やら画策していたと?」
「そ、そんな事無いわ!きっと気のせいよ!」
無責任なことを言って女王は金髪の頭をぶんぶんと横に振った。
「リュミエールは人前でのラブシーンは恥ずかしいから嫌なんだものね。十分承知してるわ。そんな事、無理にやらせるはずがないじゃない!」
「さすがは女王陛下でございます。よもや、守護聖の意志を無視して、ご自分の道楽のために嫌がることを無理強いなどと…そのような無体な真似は、絶対になさりませんね」
「も、もちろんよ。そんな無体な真似、絶対になさりません!」
にこにこと恐ろしくも美しい笑顔で迫るリュミエールに圧倒された女王は、追従の台詞を並べ立てた。
「さすがは女王陛下……よくご理解下さっておられます…」
リュミエールはさらに笑顔を深くした。完全に怯えきった女王はロザリアの後ろに全身を隠してしまう。いったい、何が「さすが」なのか、何を「理解した」というのか、説明して欲しいところだが、聞いてはいけない!という意識の方がその場の全員を支配する。
今のリュミエールに下手なことを言ってはいけない、という事だけはとにかく判った。
女王は無責任と言われようとも、もうこの件に関しては口を拭ってしまうつもりだった。

リュミエールは続いてオスカーに目を向けた。
当然のように表情は凍り付いた笑顔のまま。唇の色が僅かに青みがかっているのが、なお一層怒りの度合いを強調して恐ろしい。
「オスカー。…前回のイベントの後、わたくしがどんな状態だったのか、貴方が一番ご存じだとばかり思っておりましたが、どうやら違っていたようですね」
その言葉に一瞬ずきんとする棘を感じ、オスカーは血相かえて言い訳を並べ始めた。
「何を言う、リュミエール!前回のイベントの後、お前が大きすぎるショックのために食事の量が激減したり、情緒不安定になって不眠症になりかけたり、挙げ句の果てに引きこもりになりかけたのを必死で宥めて看病したのは俺じゃないか!」
「……それを承知の上で、今さっきの言葉を発したと仰るのですね?わたくしにヒロイン役を演じろと…」
墓穴を掘りまくったことに気がつき、オスカーは口をつぐんだ。口をぱくぱくさせ、なんとか言い訳しようとするオスカーから目を背け、リュミエールはオリヴィエを見る。
オリヴィエも、女王、オスカーと同様、背筋がすくみ上がる妖気にも似た凄みを感じ、直立不動になった。
「……悪気はないんだよ?ほら、やっぱり、恋人同士の役は恋人同士がやった方が自然だしさ…それに、今度は大アップのキスシーンなんて無いかも知れないし…」
ピシッとリュミエールの眉間が引きつる音が聞こえたような気がした。
空気も凍る笑みに、オリヴィエは自分の軽口が墓穴どころではなかったことを察した。

「……ヴィクトール…?」
妙に優しい声でリュミエールは背後のヴィクトールに呼びかける。
「はっ!」と直ちに返事が来た。ヴィクトールはびしっと敬礼を決め、微動だにせずリュミエールの次の言葉を待っている。
「ヴィクトール。あなたの部下は、確かなにがしかの武器を持っていたようですが、それはいったいどの様な物なのですか?」
「は!あれはボウガンを小道具用に改造したもので、矢の先端は守護聖様に怪我をさせぬようはずされ、代わりにペイントを詰めたカプセルが装着されております」
「カプセルとは?」
「本来、未開地で獣などの捕獲に使うトリモチ状の物に色を付けたものが詰め込まれた物です。オリヴィエ様のご要望により、色は七色、粘着力はかなり強くなっております」
「オリヴィエ〜〜〜」
ヴィクトールの説明に、オスカーは同僚の名を責任を追及するかのように呼んだ。オリヴィエは素知らぬそぶりで、「一応、ポーズだけの予定だったんだってば」と告げる。
ただ、それをわざわざ聞いたリュミエールの意図をあれこれと推測し、ほぼ同時にたどり着いた結論に二人は青ざめた。
「リュ、リュミちゃん?まさかさ、そのボウガン、私達に向かって使う気…なんて言わないよね?」
「おや、よくお分かりですね」
リュミエールは天使の笑顔で肯定すると、部屋の隅にいるクラヴィスに向かって丁寧にお伺いを立てた。
「クラヴィス様、お屋敷を多少荒らしてしまうことになりますが、よろしいですよね?」
お伺いではなく、確認だった――。
クラヴィスは薄く笑うと黙って頷く。珍しいリュミエールの怒る様子を、彼だけは実は楽しんでいた様子だ。
「クラヴィス様、屋敷の片づけは王立宇宙軍が責任を持っていたします」
「……承知した」
「承知するなーーーー!!!!」
クラヴィスの返事に、オスカーとオリヴィエの二人は揃って声を荒げた。
そして、まさか本気で?――と言いたげな表情でヴィクトールの方を見る。
軍人の腕が上がった。
それを合図に、一糸乱れぬ動きで室内になだれ込んだ一個小隊分の兵がびしっと守護聖二人に向かって狙いを定める。

「ちょ、ちょっと待て…?まさか守護聖に武器を向けるか?しかも、今回の最高責任者は…」
最高責任者たる女王アンジェリークは、ロザリアの後ろで両手を合わせて、誤魔化し笑いをしながら二人を見ている。リュミエールとヴィクトールを止める気配はない。
恨めしげに自分を見るオリヴィエとオスカーにちょっと首を竦めて見せただけだ。

「へ、……へーか…」
引きつった顔で呟くオリヴィエを尻目に、オスカーはリュミエールに向かって懇願するように言った。
「ちょっと待て、リュミエール!確かに俺が不謹慎だったことは認める!謝る!だから、怒りを解いてくれ!おれ達は恋人同士じゃないか!すべてはお前一筋の愛のためだ、だから!」
「ええ、そうですとも……あなたがわたくしを思ってくださる気持ちを疑う気は毛頭ございません。ですが…」
リュミエールは冷静ににっこりと微笑むと、告げた。

「『愛』という言葉が全ての免罪符になりうるなどと、思わないでください」
その言葉が合図だった。
ヴィクトールの野太く響く声が、部下たちに下知を下す。
「第一隊、放て!」
ビン!と張りつめた弦が一斉に鳴り響く。
「うわああああ!」
オスカーとオリヴィエは同時に窓を突き破ると庭に飛び出した。
彼等がさっきまで立っていた場所に命中したペイント入りカプセルが弾け、研き抜かれた床に色とりどりの粘着液が飛び散る。
「追え!」
ヴィクトールは大きく腕を横に振るった。
完璧に訓練された動きで準備済みのボウガンを構えた第二隊が庭に走り出て膝立ちで構える。その背後には、立ったままでボウガンを構える第三隊。
僅かな時間差で撃ち込まれる矢に、オスカーとオリヴィエは瞬時に背を向け逃げ出す。

「おい!あのトリモチがくっついたらどうなるんだ!」
「そりゃー動けなくなるに決まってるじゃん!」
ひゅんひゅんと脇を掠めて飛んでくる矢。庭の木や花々がねばねばした極彩色に染まる。
「安心おし!あれは水をかければ簡単に溶けるようになってるんだよ。だから――」
「川か湖、もしくは噴水に逃げ込めば問題無しだな!」
「リュミちゃんがそこで機嫌を直してくれればね!」
怒鳴るように会話しながら、二人はとにかく水辺を求めて全速力で疾走する。
その前方から低く聞こえてくるエンジン音。
嫌な予感に襲われる二人の前に現れたものは――大きな固定式クロスボウを搭載したエンジン付き台車。方向操作をするのはゼフェル。そして、大きく引き絞られたクロスボウの引き金を持つのは、ランディとマルセル。
矢の先端は当然のごとく――かつ、クロスボウのサイズに見合う大きさのペイント入りカプセル。

「お、お前ら……」

ごくりと唾を飲み込む年長守護聖二人を前に、さんざん振り回され続けた年少守護聖の三人は悪党じみた笑顔を向けた。