大広間いっぱいに楽団の演奏する音楽が流れる。
弦楽器をふんだんに使った荘厳にして哀愁のある名曲が参加者全員を昂揚させる中、モニター室のカメラ係は浮遊カメラ「メダちゃん」と固定カメラを次々と切り替えながら、始まったこのイベントを余すことなく撮影しようと努めていた。
 
「ああ、一号カメラはもう5p右で10度左下に傾けてください。2号カメラは焦点を30pほど後ろに。それから…」
細かすぎる指示を出すエルンストに撮影班は深くため息を付きながら、カメラの位置を調整する。映し出される映像にニコニコしながら、ルヴァは真剣な顔のジュリアスを見た。
「いよいよですねー。なかなか、面白そうです」
ジュリアスの返事はない。
「ジュリアスー、開幕ですよ」
「気が散る。話しかけるな」
モニターの前で生真面目に背筋を伸ばして画面に見入っているジュリアスに、「ジュリアスも意外とこの催しを楽しみにしているんですねー」と見当違いの感想を覚えるルヴァだった。
 
 
 
 
大きく開いた広間の扉から、それぞれの扮装をして入ってくる客達。
ここはキャピュレット家の館。この館の主=クラヴィスの客を迎える第一声から、このイベントは始まる。
黒衣の主は、ずらりと勢揃いをし、己を見守る「客」達に向かい、たった一言。
「楽しんでいかれるがよい」
次に言葉が続くかと人々が固唾を飲む中、役目をすませたとばかりにクラヴィスはさっさとその場から離れて行ってしまった。
 
「まあ…クラヴィスらしい挨拶ですわね」
「あはは…」
顔を見合わせて苦笑いをするアンジェリークとロザリア。
アンジェリークはくすくす笑いながら、楽団に向かいさっと手を挙げた。
それを合図に、楽団はこのために書き下ろされた舞踏曲を力強く演奏し始める。
今度こそ――アンジェリークの夢のイベントは始まったのだ。
 
 
★★
 
 
「はあ…」
広間の片隅で、仮面を着けたロミオことオスカーと、マキューシオことランディは出番を待っていた。その間もオスカーはため息を突き続けている。
ランディは口の中で自分の役割を復唱しながら、きっとした目でオスカーに向かった。
 
「さあ、ロミオ。いい加減つれないロザリンデのことなど忘れて、新しい恋を探そう。この舞踏会には、ヴェロナ中の美女が集まっているのだ」
女王から渡された本によると、マキューシオというのはロミオの友人で、ロザリンデというつれない美女に叶わぬ恋心を抱いているロミオの気持ちをはらすために、他の女性に目を向けさせようとここに連れてきたらしい。
オスカーはロミオそのままに「恋人恋しや、ほーやれほ♪」と謎の歌を歌ってしまいそうな程に憔悴している。ランディはどんよりしているオスカーを元気付けるためにも、と、元気よくその腕を引きながら声を張った。
 
「ほら、ロミオ!ロザリンデなんてまるで相手にならないような美女ばかりだよ!」
でかすぎる声に、ロザリンデ役のロザリアがぎっと鋭い睨みを利かせた。いくら役柄上のこととはいえ、自分の美貌に自信を持っているロザリアとしては聞き捨てならない台詞である。
広間の端と端だというのに、その地獄耳にランディはびくっと体を竦ませた。
 
「ランディ、今、なんと仰いました?わたくしが相手にならないですって?」
「ロザリア、じゃなくてロザリンデ!あれは方便なのよぉぉ」
ランディの方に詰め寄りそうになるロザリアへ珍しく止めに入る女王アンジェリークに、ランディはぼーっとため息を付いているロミオの後ろに隠れた。そこへすかさずクラヴィス登場。
「…ふ…そなたの美しさを理解するには、あれらはまだ幼すぎる…」
「クラヴィスがそう仰るなら…」
「…もう出番終わりでいいよ…」
いきなり見つめ合い始めるクラヴィスとロザリアに、アンジェリークは手を振ってそう言った。
 
「私、不倫の仲立ちしてる気分だわ」
「不倫だなんて、人聞きの悪いこと」
上品に文句を言うロザリアの背中をぎゅうっと押し出しながら、女王は頭をふる。
「ここじゃ、クラヴィスは旦那様でロザリンデは独身美女。立派なエンコーもどきよ。さ、逢い引きは外でやってちょうだい」
「…エンコー??」
謎の言葉に首を捻りながら、ロザリアはクラヴィスと共に広間を出ていった。
二人が消えたのを見届け、アンジェリークはくるりと広間に視線を戻すと、「よっしゃー」とばかりに握り拳を握る。
「さ、お目付役は居なくなったところで、楽しむわよ!」
にっこり満面の笑みでそういうアンジェリークの姿をモニターに見つけ、ジュリアスは額を抑える。
「…目付として、やはり私もあの場にいるのであった」
「でもですねー、対立する家の当主と息子があそこにいたら、物語がその場で崩壊すると思いますよー」
何下に鋭い意見を述べるルヴァであった。
 
 
★★
 
 
ロザリアが退出したところで、ランディも気を取り直し、棒読みながらオスカーに誘いを掛ける。
「さあ、ロミオ。並み居る美女達を見に行こう」
オスカー=ロミオは哀愁漂う息を吐く。
 
「ふ…世界中の美女がこの場に集うた所で、愛しきあの人以上の美しさを持った者など、いる筈もない…ああ、愛しのリュミエール…」
「オスカー様、…台詞違いますよ…」
「五月蠅い、ランディ。お前こそ役名が違う…」
「オスカー様も間違ってますってば」
「ああ、愛しのリュミエール…」
「あんまりしつこいと、放送禁止音が入りますよ。終わらせないと、いつまでもリュミエール様に会えないって判ってます?」
焦れたランディにそう言われ、オスカーは急にその事に気が付いたようにぱっと顔を上げた。
 
「ああ、そうだった、俺としたことがうっかりしていた。この祭りが終われば元通りなんじゃないか!」
「そうですよ!何もかも、今オスカー様がジュリエットに恋しないと始まらないんです!天井見ながらでもいいから、ジュリエットに恋してください!」
 
えらい言われようだと思いながら、ロザリア並みの地獄耳を誇るオリヴィエはパタパタと羽根扇を揺らした。
「あの炎の直情馬鹿と、風のアホ勇気小僧…あとで覚えておいで〜〜〜」
「オリヴィエ…落ち着いてください…あの様子では、あなたがしっかりしないと物語は進まないかと…」
「判っちゃいるが、ちょっとむかつくね、あの言い方は」
ヒロイン、オリヴィエ=ジュリエットは険のある目で変な力の入ったオスカーとランディを見据えている。その隣でリュミエールはハラハラとした視線を向ける。
「ま…しゃーないか…これもすべて女王陛下の思し召し。そのおこぼれで楽しませて貰ってる身としては、せいぜい頑張るしかないか」
「…やはり楽しんでいたのですね…わたくしとオスカーの間を邪魔することを…」
リュミエールにしては低いドスの利いた声に、オリヴィエはぴくりと耳をそばだてた。
おそるおそる表情を伺うと、にっこりと穏やかな笑みを浮かべながらその背後からはおどろ線が迫ってくるような殺気を感じ、オリヴィエは引きつった顔にむりやり笑顔を作った。
 
「やーね、リュミちゃんったら。お邪魔虫なんて無粋な真似、私が喜んでしてたわけないじゃん、これもすべては女王陛下の思し召し…お仕事なんだって」
「そうですよね、すべては女王陛下の御心のまま…ふふふふふ…」
その底冷えするような笑い声に、オリヴィエは背筋がぞうっと凍り付きそうになるのを感じた。
「お、おっと〜〜私の出番だ、行かなきゃ…」
コソコソとドレスの裾をつまみ上げて広間の中央に出ようとするオリヴィエに、リュミエールはにこやかに声を掛けた。
「頑張って下さいね…なんと言っても、これからが本番なのですから…」
(やっばー。リュミエールって…けっこう根に持つ方だったりして…)
冷や汗を流しながら、オリヴィエは表情を作る。
そう、これからが本番。
女王陛下のイベントは、これから始まるのである。