「最近、よく妙な夢を見る物で」
茶飲み話のついでのように、リュミエールがそんな事を言った。
別に本人笑顔混じりで聞き流しても良いようなことだったのだが、そこに突っ込みを入れたのは、
言わずと知れた「夢」のエキスパートのオリヴィエ。
 
「へえ、どんな夢?なんなら、私が夢占いをしてあげるよ?」
「たいした事ではないのですよ」
妙に興味を示したらしいオリヴィエに、リュミエールが困ったように答える。
「たいした事かどうかは、私が判断するの。さあ、専門家に任せない」
どう見ても面白がっているようだが、同席しているルヴァも興味を持ったらしい。
それこそちょっとした座興の気分でリュミエールは話し始めた。
 
 
「夢の中で、わたくしは出かける用意をしているのです。支度を終わらせ、さあ、出かけましょう、という段になって、なぜか、やり忘れていたことを思い出すのです。
 
急いで、それを片付けようと思うのですが、なぜかやり方を忘れていたり、なれているはずなのに
上手くいかなかったりで、なかなか終わらなくなり、それでどこかに連絡をしようと思うのです。
すると今度は、その連絡手段が思い出せず、どうしようとおろおろしているうちに目がさめるのです」
 
夢の中なのに要領が悪いですね、と笑い混じりに言ったリュミエールなのだが、それを聞いていたオリヴィエが
なぜか真剣な顔つきになっているのに気が付き、少し不安げな表情になった。
 
「オリヴィエ…何か気になる点が…?」
おそるおそる問うと、しかつめらしい顔つきのオリヴィエが首を振る。
「これだけじゃ、まだ判らないね。他に、気になる夢は覚えてない?」
「あ…こういうのも…」
「話してごらん」
完全に不安になってしまったらしいリュミエールは、言われるままに別の夢のことを話し始める。
 
「わたくしは1人でどこかに用事があって出かけています。でも、その用事をすませる前に時間がきてしまい、
結局帰らなければならなくなるのですが、今度は帰り方がわからなくなり、
道に沿っていつまでも歩いているのです…そのくらい…ですけれど…」
オリヴィエはますます真剣な顔で聞いている。
完全に不安になったリュミエールは、おそるおそるといった風にオリヴィエの言葉をまった。
 
 
「――あんた、何か不安になってることない?」
「はい…?」
「日常的に何かに不安を感じてるんだよ。たとえば人間関係とか。心当たりは?」
リュミエールは少しの間頬に手を当てて考えていたが、ゆっくりと首を振った。
「いえ…別に心当たりは…」
「いーや、絶対にあるはずだ!それもごく身近なところに」
「本当に、そんな事は…」
「いいや、気が付いてないだけさ。最初の出かけようとして出かけられないっていうのはさ。
『出かけた先』つまり、約束相手にたいする不信感。こっちがいっても相手がいないんじゃないか、来てないんじゃないか、実は、嫌がってるんじゃないか?って不安が、出かけられない、連絡つけられない夢に繋がってるんだ」
決めつけられ、リュミエールが青ざめる。
 
「そんな事…一体誰に、そんな…」
「次の帰れない夢も、その通り。いっても無視されるんじゃないか、誰も待ってないんじゃないか、って不安が
いつまでも1人でさまよう夢になるのさ。ちょっと考えてみれば判るはずだよ。
 
誰にそんな事をされたら、一番自分がショックを受けるか――その相手にたいする不安感さ。
きっといるはずだよ、一言くらい、何か言ってやりたいって思うほど、自分に不安を与える相手」
自信満々なオリヴィエの言葉に、リュミエールは衝撃を受けたようだった。
 
誰にそんな仕打ちをされたら一番堪えるか――考えるまでもない。
「あ、リュミエール、顔色が悪いですよ、大丈夫ですか?」
ルヴァが心配そうにいうが、リュミエールは聞こえていないようだった。
青ざめたまま立ち上がると、挨拶もそこそこに席を立って行ってしまった。
 
 
「…今の夢占い、本当ですか?」
立ち上がってリュミエールを見送ったルヴァが、まったく信じてない口振りでそう言った。
「冗談に決まってるじゃない」
お茶を口に含んだオリヴィエが、あっさりとそう答える。
 
「リュミエールにああいう事を言うのは、感心しませんねぇ」
「たまにはいいんじゃない?どーせ、今日は週末であの炎の直情馬鹿が訪ねてくんだろうし、
ちょっとした刺激になってかえっていいんじゃない?」
けらけらと笑うオリヴィエに、ルヴァはため息を付きつつ言った。
「あなたなら『ちょっとした刺激』ですむかも知れませんが、リュミエールはどうでしょうね…」
 
ぎょっとしたオリヴィエが声を潜める。
「ひょっとして、痴話喧嘩で終わらないかな?」
「痴話喧嘩になれば、まだいいんですけどねぇ…」
これもなぜか声を潜めたルヴァの言葉に、オリヴィエは「やりすぎたかも知れない…」と1人青ざめた。
 
★☆
 
 
確かにやりすぎだった。
リュミエールの思考は、痴話喧嘩とはまったく違う、とんでもない方にいっていたのだ。
 
(オスカーに不安を感じるなんて…)
あんなにいつも自分のことを考えてくれる優しい人に不安を持つなんて、わたくしはなんという
どん欲であさましい人間なのでしょう。
わたくしは心の中で、オスカーに対して、まだ不満を持っていたのでしょうか。
 
それは確かに、以前のオスカーはわたくしの顔を見る度、嫌みや皮肉を言っていたし、
からかってばかりいたし、よく冷たい目で睨まれたし。
それから、もともと、女性好きで宇宙の全ての女性の恋人を自認していたし、
同性に関心を持つなどと、あり得ないと誰もが思っていたし、
自分に思いを寄せていたなどと、実際に告白されたあともしばらく信じられなかったし、
ひょっとして、からかわれているのではないかと、かなり疑いを持っていたことも確かであったけれども。
 
今はオスカーの思いを疑うなど、考えたこともないはずなのに。
それなのに――。
 
心の奥底では、まだ、疑いを捨てきれずにいたという事でしょうか。わたくしは、なんと、なんという…
「なんという、罪深い、愚かな人間なのでしょう。オスカーの真心を疑っていたなどと!」
 
勝手に自己嫌悪に陥ったリュミエールは、当然のごとくどっぷりと落ち込んでしまい、
その夜、バラの花束を抱えて訪れたオスカーは、「合わせる顔がない」という訳の分からない理由で、
玄関払いを食らってしまったのだった。
 
★☆
 
 
「…あらら…」
深夜、顔面を引きつらせまくったオスカーの訪問を受けたオリヴィエは、事情を聞いて二の句が継げなくなってしまった。
 
「さて、オリヴィエ。説明して貰おうか。お前んとこのお茶会から帰ってから様子がおかしい、とリュミエールの
館の者が言っていた。お前、また、何か変なことを言ったんだろう」
決めつけられたが、その通りなのでオリヴィエは反論の仕様もない。
 
一通り白状したあと、ますます顔が硬直したっきりのオスカーに向かい、オリヴィエは取りなすように言う。
「別にね、悪気はなかったのさ。あのいつもぽやっとしたリュミちゃんに、ちょっと危機感というか、
そういうの感じさせたら、あんたに向かい自分から甘えてみるとか、ヤキモチ焼いてみるとか、なんかいつもと
違うことするんじゃないかと思ってさ。
 
そうなったら、楽しくない?ほら、ちょいと想像してみなよ。リュミちゃんが上目遣いに甘い声で
『わたくしを不安にさせないように、もっと優しくしてください…』なんて言って、しなだれかかってきたら、
あんただって喜ぶでしょう?」
「それは…喜ぶが…」
 
一瞬、妄想して鼻の下を延ばしかけたオスカーだが、現実は甘い声どころか、落ち込みすぎて
顔も見せてくれないのだ。
なんというか、腹ただしさが一気に燃え上がった。
 
「とにかく、お前の責任だからな!責任とってもらうぞ!この週末のうちにリュミエールが俺に顔を見せてくれるようにするんだ!それができないときは、深夜にお前の寝室に忍び込み――」
「やだよ、オスカー。いくら欲求不満でも、私に夜這いをかけるのだけは、勘弁して」
オリヴィエは冗談で誤魔化したかったのだろうが、オスカーは当然誤魔化されなかった。
 
「軍事用の、絶対落ちない特殊塗料で、お前の顔面に「マヌケ」と書いてやる!」
完全にやばい色合いに座ったオスカーの目に、オリヴィエは冷たい風が背筋を音を立てて通り抜けるのを
感じたのだった。