なんとなく近しい気分になってほのぼのしていたリュミエールだが、笑い出したままいつまでも笑っている
オスカーを見ているうちに、だんだん腹が立ってきた。
 
(…人が真面目に言っているのに…、この人は結局それを笑っているのでしょうか?いつのもように
わたくしがお人好しすぎるとか、綺麗事を言っているとか…)
 
だんだん表情が険しくなってゆくリュミエールに、こっちも妙にほのぼのと楽しい気分になっていたオスカーは
気が付かない。
なおもしつこく笑っているオスカーとは逆に、リュミエールの方はどんどん不機嫌な顔つきになっている。
もともと少し情緒不安定気味だったリュミエールは、どうやら抑えがきかなくなっていたようだ。
眉を険しくしたまま、低い低い声で、むっつりと言った。
「いい加減に笑い止んだらいかがですか?」
その声音に、ぴたりとオスカーが止まる。
 
真っ正面から睨み付けてるリュミエールの怒り顔。
よく言い争いをしてはしていても、リュミエールは怒る前に悲しそうに黙りこくってしまうことが多い。
すぐに笑いすぎを謝れば良かったのかもしれないが、オスカーは珍しいリュミエールの怒った顔に、
逆にじいっと見入ってしまったのである。
 
青ざめて見えるほどに白い顔に、頬の辺りだけが紅潮してわずかな薔薇色に染まっている。
女性のつきあいなら山ほどあるオスカーでも、これほどまでに微妙な肌の色にお目にかかったのは、
実に初めてだった。
 
ますますじいっと見つめてくるオスカーに、リュミエールはからかわれていると思ったらしい。
ふいっと顔を背けると、冷たく言い放った。
 
「あなたとまともに話をしようと思ったわたくしがバカでした。今夜はご自分の部屋にお引き取り下さい。
わたくしはもう休みます」
こう言われ、ようやくオスカーは状況を理解したらしい。
自分がぼーっとリュミエールに見とれていた、という事。
 
(見とれていた?俺が?リュミエールに?男のこいつに?)
うち消してみても、自分でも事実だと判っているだけに、オスカーはパニックに陥りかけた。
(そんな馬鹿なことがあるはずがない。俺が男に見とれるはずがない。いくら『妊娠』してたって、これは男だ、
れっきとした)
そう思いながらも、気が付けばオスカーはリュミエールを見ている。
ますます怒りが募ったらしく、剣のある目つきで、文字通りオスカーを睨み付けている精緻な顔。
普段のお人形のような愛想のいい表情よりも、ずっと人間らしく美しかった。
 
「いい加減に出ていって頂けますか?わたくしは、休むと申し上げたのです!」
彼にしては荒っぽい口調でいうと、リュミエールはバスルームに向かおうと立ち上がった。
その時である。
 
急に立ち上がったことと、興奮したせいなのか、ぐらりと視界が回る目眩と同時にこみ上げてきた嘔吐感。
リュミエールはその場に膝をつくと、服の袖で口元を抑えて蹲った。
 
「おい、大丈夫か」
オスカーが焦った声をあげ、傍らにきたらしいが、きつく目を閉じたリュミエールにはそれを確認する余裕はなかった。
 
(絶対にこの人の前で無様なところを見せたくない…絶対に…)
そう意地をはる思いとは裏腹に、熱く焼けるような胸の苦しさと、のどの奥からこみ上げてくる苦しさはいっこうに治まる様子がない。
立ち上がって洗面所に向かおうにも、目を閉じていてもグルグルと回っているような目眩に、身体を保つことも出来ない。
 
「吐きたいのか?どうなんだ?」
オスカーが彼の身体を支えながら、しきりにそう訊いてくる。
 
(見たら判るじゃないですか)
どうして自分だけこんなに辛いのか。そう思うと、リュミエールは彼を心配するオスカーの存在自体も
鬱陶しく感じられた。
涙を滲ませたまま首を降るリュミエールに、オスカーはついにまどろっこしくなったらしい。
 
「吐きたいなら、そういえ!」
いうなり、リュミエールを抱き上げて洗面所に駆け込んだのである。
咄嗟のことにリュミエールは何がどうなったのか判らなかった。
気が付くと洗面台の前にいて、オスカーが自分の身体を支えながら背中を撫でさすっている。
 
(絶対にこの人の前では戻したくない)
そういうやせ我慢も、もう限界だった。
蛇口からあふれ出た水音に誘われるように、リュミエールは殆ど何も食べていない空っぽに近い胃から、
胃液だけを吐き出したのである。
 
 
★★
 
一度吐き出してしまうと、あっけないほどに胸の痛みは和らいだ。
だが、身体が楽になるのとは逆に、気分の方は最低最悪である。
よりにもよって、オスカーの前で嘔吐するという、恥をさらしてしまった。
リュミエールは悔しくて恥ずかしくて洗面台の前に俯いたまま、顔を上げることが出来なかった。
 
「…もう落ち着いたのか?」
「…」
「大丈夫か?」
「…」
オスカーが何を言っても、リュミエールは無言のまま顔を上げる気配もない。
 
 
「横になって休んだ方がいいんじゃないか?連れて行ってやるから…」
おそるおそる言いながらオスカーがリュミエールの肩に腕を回す。
リュミエールはそれを振り払った。
 
「大丈夫ですから、出ていってください」
強い拒絶の口調だった。
「…でも、まだ辛いんじゃないのか?」
「大丈夫ですから!」
言葉はきついが、掠れた声はかなり疲れていることを示している。
 
オスカーはため息を一つ付くと、ひょいとリュミエールを抱え上げた。
「何をするんですか!」
リュミエールが蒼白な顔でじたばたするが、抵抗する手足に力はろくに入っていない。
「無理するな、辛いと顔に書いてある」
オスカーの指摘に、リュミエールの色を無くした顔が赤くなった。
それきり、嫌そうに眉をしかめたまま、抵抗が止む。
 
大人しくなったリュミエールをオスカーは丁寧にベッドにおろしてやった。
それからそっぽを向いてる人に向かい、なんとも困ったように声をかけた。
 
「ハーブティーって、どうやって煎れるんだ?」
「え?」
かけられた言葉に、リュミエールは一瞬虚をつかれたように、目を丸くした。
オスカーは照れくさそうに繰り返す。
「ハーブティー…、好きなんだよな。どうやって煎れるんだか教えてくれ」
リュミエールは目をまん丸くしたまま、意外そうにオスカーの顔を眺めている。
 
「…あなたが煎れるんですか?」
あまりの意外さに、思わずリュミエールはそう言った。
オスカーはよく彼の口にするものなどに、ああだこうだと口を挟んだが自分で何かを作ってくれたことはなかった。
厨房に用意を頼み、それを運んでくるだけだった。
それを別におかしく思ったこともなかったのだが。
 
「…やったことがないんだ。入れ方を教えてくれ」
困ったようにそういうオスカーが、妙に可愛らしく見えてくる。
 
リュミエールは、さっきまでの反発心が綺麗にぬぐい去られていくのを、苦笑気味に感じていた。