霧の向こう 4
 
 
「オスカー!」
肩を揺さぶられ、オスカーは目を開けた。
そこは彼が最初に招かれた部屋。
オスカーは剣を支えに片膝を付き、目を閉じていたらしい。
傍らを見ると、リュミエールが自分の手を彼の肩にかけ、不安の目でオスカーの顔を見つめている。
 
「…大丈夫ですか?オスカー」
その言葉に、オスカーは薄く笑った。それはこっちの台詞だ、とでも言いたげた。
「俺は平気だ。…お前はどうだ?どこか痛いところは?」
「わたくしは大丈夫です…ありがとう、オスカー」
ようやくホッとしたように、リュミエールが微笑む。
オスカーは彼を守るように自分に引き付けると、例の老人の姿をさがした。
リュミエールが切なげに顔を顰め、目線を動かす。
その先に老人はいた。
 
立ち上がったオスカーは、その老人のあまりの変わり様に、さすがに驚いた。
巨大だった体は、今はもう朽ちる寸前の枯れ草のように小さくしなび、ローブの中に埋もれるように蹲っている。
「こいつ…」
思わずうめいたオスカーの袖をリュミエールが引く。
彼は顔を上げ、その室内を見回し、呟いた。
「…ここは、崩れます…」
その言葉の意味をオスカーが問う前に、大きな縦揺れがきた。
 
「彼の支配が途絶えたから、ここに私達を止めておけるだけの余裕が失われたのです」
「落ち着いてる場合か!こい!」
オスカーはリュミエールの手を引くと、揺れ続けるその場から駆けだした。
リュミエールが蹲ったままの老人を振り返る。
「あの方は――」
その目前で天井が崩れ、彼と老人の間に粉塵をまき散らした。
白く霞む視界の中、リュミエールの腕が強い力で引っ張られる。
その直後、背後で起きる轟音と衝撃に、オスカーはリュミエールをかばって地に伏せた。
ばっと辺りが朱色に染まった。
 
 
気が付くと、リュミエールの身体は静かな雨にしっとりと濡れている。
リュミエールは顔を上げ、自分を支えて隣で片膝をついて前方を見据えているオスカーの顔を見た。
その彫りの深い横顔を、雨の滴が伝って顎の先から落ちてゆく。
火のはぜる音。
霧から変わった雨の中、聖地の森の一番の巨木が真っ二つになって燃え上がっていた。
 
 
◆◆
 
 
「そう、すっかり燃えてしまったのね。残念だわ」
女王は昨日の森の火事についての報告に息を付いた。
「ですが、あの木だけで他に類焼がなかったのは幸いでしたわ」
補佐官の言葉に頷きながらも、女王はなおも残念そうである。
「あの木はこの聖地が誕生してから、ずっとあの森の中心にあったと言われているの。それは大げさとしても、
長い長い間、ここで生きてきた木なのよ。やはり少し寂しいわ。それにしても原因はなんだったのかしら」
 
エルンストが調査データをめくる。
「炎が確認される直前、落雷に似た音を聞いた者がおります。もともとすでに寿命が付き、いつ倒れてもおかしくない状態でしたし、おそらくその落雷に撃たれ、燃え上がったのでしょう」
アンジェリークはもう一度頷いた。
「他に被害がでなかっただけでも、良かったと言うべきなのでしょうね」
 
 
◆◆
 
 
昨日からの雨は、今日の午後になっても降り止まなかった。
慈雨というにふさわしい、静かで優しい雨である。
オスカーはリュミエールの部屋でゆっくりとくつろいでいた。
「昨日のあれは、本当になんだったんだろうな…」
コーヒーカップをテーブルにおいたオスカーが、外の雨を眺めながら呟く。
並んで座っているリュミエールが躊躇いがちに言った。
「…わたくしの推測ですが…、よろしいですか?」
 
「わたくしはわずかな間ですが、彼と同化をしていました。その時に感じたのです…、あの老人の正体は、
おそらく、燃えた木の精…樹霊だったのだと思います」
オスカーは黙ってリュミエールの言葉を聞いている。
「彼は寿命を迎え、死を待つばかりでした。…そして、それをとても恐れていました。炎のサクリアは、破壊と共に再生を司ります。彼はあなたを取り込むことで、再び生命力を取り戻せると思ったのではないでしょうか?」
そう言われ、オスカーは困ったように顎に手をやった。
「木がか?マルセルなら言いそうなことだが…」
「あの木は聖地が誕生した頃よりこの地にあると、そう伝えられています。私達よりもはるかに長い長い時間、
ここに満ちたサクリアの中で生きてきたのです。その中に何らかの世界を内包していたとしても、
あながち不思議ではないと思いますが」
 
自分自身が神秘の存在でありながら、どうにも現実主義のオスカーは今一つピンとこない様子だった。
「木がか…木がね…」
「…ですから…推測です…」
あまりにも疑い深そうなオスカーに、リュミエールは消え入りそうな声で言う。
ついでに眉を八の字に寄せて、ひどくいたたまれなさそうなリュミエールに、オスカーは急いで手を伸ばした。
「いや、お前の言葉を疑っているわけじゃない。確かに、あり得るかもしれないが、今一つピンとこなかっただけだ。…木が…、死を恐れたのか」
オスカーはリュミエールの髪を撫でながら、自分に言い聞かせるようにぶつぶつと言っている。
 
「…いずれにしろ、わたくしが簡単に虜になったことで、あなたに危険なことをさせてしまいました。
とても申し訳なく思っております」
しょんぼりと謝るリュミエールに、オスカーは唇の端を上げて笑う。
「気にすることはない。今の話を聞いて納得した。なぜお前があんなに簡単にとらえられたか、それが不思議だったんだ。お前は死に怯え、必死になっていたあいつに同情したんだ、そうだろ?」
その通りだったのか、リュミエールの顔がぱっと赤くなく。
「申し訳ありません」
恥ずかしそうに蚊の泣くような声で言うリュミエールに、オスカーは今度は大きく笑った。
「なんの。この上なくお前らしい。…あいつも他のやり方だったら、俺も力になってやったかもしれんが、
なにしろ、お前を質にとられて頭に血が上った」
そう言って額にキスされ、今度は違う理由でリュミエールは真っ赤になる。
 
雨は降り続いている。
オスカーは窓際に立つと、雨にけぶる森の方に目をやり、ぽつんと言った。
「いずれにしろ、あいつと俺は相性が悪かったと言うことか。なんといっても火は木を燃やす。
ある意味、見えていた結果だったな」
その隣に立ったリュミエールは、少しの間黙って森を見つめていたが、やがて何かに気が付いたように一点を見据える。やがて、その頬にゆっくりと笑みが浮かぶ。
「そうかもしれないし…、そうでなかったかも知れませんね…」
どことなく嬉しそうにそう言う人に、オスカーは不思議そうに肩を竦めていた。
 
◆◆
 
森の中心、太古よりそびえた巨大な木が倒れ、燃え尽きた跡地に、小さな芽が顔を覗かせていた。
 
――森の木の中には、固い殻で種子をくるみ、山火事の火の熱によってのみ発芽するものがあるという。
 
浄化の炎によって芽吹き、恵みの雨をうけてそだってゆく新しい若木。
長い長い時の果て、この木も内に世界を宿すことがあるのだろうか。
それは誰にも判らない、遠い遠い時間の向こう。
 
 
 
 
キョウコさん、いかがでしたでしょう。「リュミ様絡みでマジ切れオスカー様」お題はクリアできたでしょうか?
神話っぽい…という事で、ファンタジー(?)な雰囲気を狙ってみたのですが…ははははは…(乾笑)