あの人が来てくれる――。
サイノスは緊張の面もちで、聖地からの船が着くのを待っていた。
宮殿の裏手にあるVIP専用のエアポート。
背後には、警護のための大勢の武官。そしてお付きの侍従達。
(きっと驚くだろう。あの私を、こんなに人が取り巻いて)
苦笑混じりながら、少し自慢に思う。そして、ついと眉を寄せた。
(あの人は私が判るだろうか?もう二十年も経っている。私はもう大人だ)
ドキドキしながら、空を見上げる。
予定到着時間は、もう十分後。
 
 
聖地からの船は、全く呆れるほど正確に着いた。ドアが開き、あの人が下りてくる。
背後に控えた者達が息を飲むのが判り、サイノスは自分も興奮しているのを自覚していた。
(綺麗だ)
第一印象は、まさにその一言だった。白い長衣。水色のケープ。
服装はむしろシンプルで、神官を思わせる。しかし、その、なんと言えばいいのだろう?
常人とはまるで違う。単に外見上だけではない。その全身から漂う、優雅さ、優美さ、そして内から輝いて見えるような、独特の雰囲気。
戴冠式に2度続けて守護聖が出席するのは、グランブルー史上初めてのことなのだという。
この人が自分のために来てくれた。そう思っただけで誇らしい気分になる。
 
あの人がまっすぐにこちらを見た。ああ、にっこりと――微笑んだ。とても、嬉しそうに。
「サイノス――ああ、大きくなって」
あの人が近付く。サイノスはうっとりとそれを見つめた。
なんて細くて、白くて、綺麗なんだろう。それに全然変わっていない。
いや、むしろ、ずっと綺麗になったみたいで、ドキドキする。
あの頃はとても大きく見えたのに、――いや、今でも背が高いのは十分判るけど、こんなに細い指だったのか?
こんなに綺麗な長い指、初めてみた。
「ようこそ――ようこそ、いらっしゃいました。リュミエール様」
ようやく声が出た。気の利かない奴と呆れていないだろうか?あ、笑っている。たのしそうに。
なんて可愛いんだろう―――可愛いなんて、何を考えているんだ?守護聖様相手に。
でも、あの頃は本当に大人で、年上で、しがみついた腕がこんなに華奢なんて、まるで気が付かなくて。
 
宮殿へと向かう道すがら、あの人は車を断って歩きたいと言った。
小道の両脇に植えている遅咲きの桜の並木道、それが今を盛りの満開であることに気が付いたのだ。
心持ち自分の目線の方が高いことに気が付き、流れた時間を考える。
あの頃は、あの人はかがんで話してくれていた。自分と目線を合わせるために。
思わず見下ろしてしまった自分に気が付いたのか、あの人はちょっと顔を上げて微笑んだ。
まるっきり昔と変わらない。あの人の中で、自分はいまだに子供のままなのだろうか?
立ち止まってしまった自分の2,3歩前で、あの人も立ち止まる。
 
「…覚えておられますか?この桜並木。以前も一緒にこの下を散歩しましたよね」
「もちろん覚えていますとも。あの時はそう――そろそろ散り際で、一面の花吹雪でした。あの時、貴方は
まう花びらを見て雪のようだと言ったのですよね」
「覚えていてくれたんですか?」
嬉しくなって声が弾む。あの人は、もちろん、という風に微笑んだ。
 
「私はあの時まで花を見たことがなかったんです。貧民街には、そんな物見当たらなくて」
「とてもはしゃいで、花びらを追いかけていました。声に出して笑う貴方を見たのが、そのとき始めてで、
私もとても嬉しかったのを覚えています」
サイノスはちょっと恥ずかしそうに微笑んだ。
「貧民街はどこも薄汚れて、人も建物も皆くたびれはてて、綺麗な物など、どこを探してもなくて――
それでも雪の降った朝だけは、とても綺麗でした。何もかも純白に塗り替えられて、光り輝くようで。
寒さも忘れて見入った物です」
 
今となってはそれしか覚えていない。遠い記憶。ぼろをまとい、薄くなった毛布にしっかりくるまり、
隙間だらけの壁越しにいつまでもいつまでも見ていた。雪かきを城と、大人達の声に追い出されるまで、ずっと。
 
ふんわりと軽い感触が肩に掛かる。あの人がいつのまにか隣にきて、自分の肩に手をかけているのだ。
優しい、気遣うような目で見ている。
 
「私は雪を見たことがないのです。そんなに似ているのですか?この花吹雪は」
聞かれて破顔した。
「それはもう、本当に。もっとも本当の雪はとても冷たくて、とてもいつまでもその下で見惚れている、というわけにはいきませんけど」
「そうなのですか」
くすっと笑った。小首を傾げる仕草が少女のよう……って、女性と比べてはいけないのだろうな。でも自分の回りにいる男連中は、とても比べ物にならないし、ああ、でも女性ともやはり違う。
いや、誰とも違うんだ。こんな不思議な、暖かくて、そして透明で、ふれたら―――。
 
ふわっと目の前を何かが舞う。水色の長い柔らかい髪の一房。
思わず伸ばした手の中をすり抜ける。
 
ざわっと音を立てて風が吹く。桜の淡い色の花びらの群が風に舞うのを、あの人は見ている。
花吹雪の中、髪が乱れるのを白い指で押さえながら、あの人がじっと上を見上げている。
 
殆ど瞬きをせずに見つめる横顔が、まるで桜の精霊のように見えて、、信じられないほど神秘的で、
綺麗で―――触れたら、そのまま、花吹雪の中にとけ込んでしまいそうに、儚くて。
 
「いつか、一緒に―――雪を見に行きたいものです」
「そうですね。本当に――」
思いを込めた言葉に応える言葉は何気なくて、そこに特別な感情は含まれていない。
 
サイノスは今までと違う、泣きたいほどの切ない気持ちでその横顔を見つめる。
 
花に見入るあの人は気が付かない。私があの人に魅入られていることに、きっと、ずっと気が付かない。
 
それでもサイノスは見つめ続ける。
美しいという言葉を、始めて彼に教えた人の、その美しさを。
いつまでも、ずっと―――。