神経質そうにジュリアスが見つめる。ルヴァが心配そうに見ている。
クラヴィスは――クラヴィスはいつもと変わらない。ロザリアがさり気なく皆の顔を見回す。
「――私が聞いているのはそんな事ではない」
「それ以上の事は、何もお話できません」
青筋が立ちそうな顔で詰問するジュリアスに、リュミエールは静かに答える。
 
「あー、ちょっと、落ち着いてくださいね。そんな言い方ではちょっと」
「この一件については、オスカーやヴィクトールからの報告書で十分ではありませんか?」
「十分でないから聞いているのだ。リュミエール、あの騒動は結局どういった理由で引きおこされたものなのか、納得のいく説明が何もなされていないのだ」
ルヴァやロザリアのとりなしをそっけなく撥ね付け、ジュリアスはきつくリュミエールを睨め付けた。
 
「グランブルーのサイノス、この男との関係は?何も知らないとは言わせぬぞ」
ロザリアが助けを求めるようにクラヴィスを見たが、そちらは目を半眼にしたまま、何も言う気配がない。
「私が不用意だったのではないかと仰られるのならば、弁解はいたしません。
どのようなお咎めも甘んじて受けましょう。ですが、これ以上はあの子と私の問題です。
あの子はもうこの世におらず、自分の口から何も言う事ができない以上、私からも何も言う事は出来ません」
物静かながらきっぱりとリュミエールが言い切る。こうなるともう梃子でも動かせない。
 
聖地に戻って二週間、そろそろ落ち着いたものとジュリアスは事情説明を求めたものの、返ってきたのはすでに報告書で確認済みの話だけで、肝心の事については何も言おうとしない。
温和しそうな顔つきながら小癪な、とジュリアスが思うのは、こんな時である。
「リュミエール、ジュリアスも落ち着いてください。この件については、女王陛下よりも穏便にと申し遣っております。話せないというのであれば、致し方ないでしょう」
ロザリアの言葉に、渋々ながらジュリアスが口をつぐむ。
 
「ご苦労でした。リュミエール、もう休んでくださって結構です」
「失礼いたします」
リュミエールが立ち上がって頭を下げる。部屋から出ていこうとしたとき、ロザリアが思い出した様に言った。
「この件について、女王陛下はある程度、察しておられます。一人で抱えているのが辛くなったら、いつでも話にいらっしゃいと仰っていました」
振り返ったリュミエールが、ここの所癖になったようなあえかな微笑みを浮かべる。
今にも消え入りそうで、後は何も言えなくなる。
「……お心遣いに感謝いたします」
それだけ言って、リュミエールは退室していった。
 
「……」
「あー、リュミエールはまだ完全に体調が戻っていないんです。あまり高圧的な言い方はどうかと思いますが」
「完全ではない?あれだけ強情を張れれば、十分ではないか!」
憤然と言い立てるジュリアスに、突然クラヴィスが口をはさんだ。
「……あのような言い様で、リュミエールに話をさせることは出来ぬぞ」
「ではどうしろと言うのだ」
「……あれに何かをさせたいのであれば、泣いて縋るのが一番だ。そなたに出来るか?」
「できるわけがなかろう!」
思わず声が大きくなるジュリアスに、クラヴィスは落ち着いて付け加える。
「ではこれまでだ」
「・・・・・・・・・・!」
 
くっきりと青筋を浮かべ、今にも怒鳴りだしそうなジュリアスに、ルヴァがまあまあと割って入る。
ロザリアがため息を一つはいて、お茶の用意を始める。
クラヴィスは相変わらず何を考えているのかわからない。
まったくいつもと変わらない、聖地の日常のひとこまである。
 
◇◇
 
「・・・・・リュミエール」
部屋の外に出ると、ドアの所にオスカー、そして廊下の影にオリヴィエと年少の三人が潜んでいるのが判った。
「ジュリアス様はなんと」
「……サイノスとの事をちゃんと説明するようにと言われましたが、さあ、何と言えば良いものか……」
「なんて言ったんだ?」
「結局何も。言い様がありませんから」
そう言ってリュミエールは微かに笑った。体調が回復していないのは隠し様もないが、精神的にはもう大丈夫な様に見える。年少組の前ではとくに、傷ついている素振りは何も見せない。
いつもと変わらない、穏やかな微笑みと話し方で接している。
 
「今日はもう、帰るのか?」
「ええ、少し疲れてしまって」
「送っていければ良いんだが」
「……まだお仕事が残っているのでしょう?大丈夫、一人で帰れますから」
そう言ってリュミエールはにっこりとした。隠れたふりでこちらを窺っている四人にもしっかり声をかける。
「ご心配おかけして、申し訳ありません。でも、大丈夫ですから、もうお気遣いなく」
照れ臭そうに四人が顔を出す。マルセルが心配げに見上げる。
「そんな顔をしないで。いつも綺麗なお花をありがとう。とても慰められました」
言われてマルセルはにっこりした。
 
「ランディとゼフェルにも、グランブルーでは本当にお世話になりました。
お礼が遅くなって申し訳ありませんでしたけど」
「い、いえ、俺は別に何も」
「そうそう、この馬鹿は何も。俺は忙しかったんだぜ」
「何だよ、その言い方」
「ちょっとやめてよ、二人とも」
いつものたわいのない喧嘩が始まり、リュミエールはくすくすと笑った。
 
「リュミちゃん、ねえ・・・」
「はい?」
「ま、いいわ」
何か言いかけて途中で止めたオリヴィエに、リュミエールは首を傾げた。
「いいから、いいから。とにかく休みな。今はそれが一番よ」
「ええ、ありがとう。それでは」
リュミエールは立ち去った。
まだぎゃんぎゃんとじゃれあいをしている年少の三人を置いて、オリヴィエはオスカーに目配せをする。
人気の無いところに来て、単刀直入に言ってきた。
 
「ちょっと聞くけど、あんた、ちゃんと上手くいってんの?なんか、他人行儀じゃない?」
「なんだ、いきなり!」
「だって、結構まだしんどそうじゃない。それなのに、大丈夫なんてあんたの前でさえ言って。
ちゃんと抱いて慰めてんの?」
「当然だ!そんな」
「じゃ、何!他人じゃなくなっても、あれなの?」
 
率直すぎる言葉に、オスカーは思わずショックを受ける。
背中に「ガーン」という効果音を背負い、突然、頭上に石が落ちてきたような引きつった顔つきで、
オスカーはふらりと近くの壁になついてしまった。
「……ありゃ、気にしてたんだ……」
オリヴィエは失言だったかと、口元に手を当てた。
「いや、確かに・・・あれは俺の前でも、あまり辛そうな顔をしなくて・・・そんな筈無いのに、結構笑ってみせたりして、いや、辛そうなのは分かるんだ。しかし・・」
 
壁に手をついて項垂れるオスカーに、オリヴィエはさすがに可哀相になった。
「ごめん、ごめん、言いすぎたって。気にしないでいいってば。リュミちゃんって、ほら、もともとあんまり感情を顔に出さないじゃん」
「慰めてくれなくてもいい。確かに俺は、無神経で無骨者で、あいつの相談相手にはならんだろうし・・・」
「ちょっと、あんたが落ち込むとうっとおしいのよね。はっきり言って可愛くないし。あの子が人に愚痴こぼし!なんて今まで聞いた事がないじゃないの。あんたがそんなじゃ、ますますこぼしようが無いでしょう!」
「う……」
「うだうだしてないで、ほら、しゃっきりおし!あの子が落ち込んでるときに、あんたまで落ち込んでどうすんの!」
ドンと背中を叩かれた。
 
「おい、爪が刺さったぞ」
「あら、ごめん。マニキュア塗りなおさなきゃ……って、そうじゃなくて。なんか、ほら、あの子の気を引き立たせるようなこと、考えなきゃ。可愛い恋人の為なんだから」
「ああ、そうだな」
そう言ってオスカーは一つ思い出した。
「忘れてた。あれがあったんだ」
「なによ」
「なんでもない。じゃな」
肩をすくめるオリヴィエを置いて、オスカーは早足でその場を去っていった。
            
◇◇
 
日が暮れた頃、水の守護聖の私邸に、突然客が訪れた。
「オスカー、どうしたんですか?」
まだ宵の口、といってもいいくらいの時刻だが、リュミエールはもう休むところだったのか白い夜着に大きめのショールを羽織った姿で出てきた。
今日来るとは聞いていなかったのだが、突然の訪問はいつもの事なので、家人も気にせずリュミエールの居間に案内してくる。
「ちょっとな。これから家にこないか?見せたいものがあるんだ」
「……え?」
「そのままでいいから、さあ」
 
返事を待たずオスカーは自分のマントをリュミエールに巻き付けると、さっさと背中を押して連れ出した。
見送りに出た家人に、臆面もなく言ってのける。
「帰りは明日になるから、お前たちは休んでいいぞ」
呆れて言葉もないリュミエールを馬に乗せ、オスカーは自宅へと向かう。
「見せたいものってなんですか?」
「見てからのお楽しみだ」
そう言って、オスカーはリュミエールを一室へ案内した。
 
中は暗い。照明は部屋の中心に置かれた丸いライトだけ。
家具は一切取り払われ、部屋の中はがらんとしている。カーテンはすべてしっかりと閉じられ、厚めの絨毯の上にライトを囲む様にして、大きいクッションがたくさん並べてある。
その一つにオスカーはリュミエールを座らせた。
怪訝そうに見つめるリュミエールににんまりと笑うと、自分も隣に座り、ライトのつまみを調節する。
ぱっと部屋の様子が変わり、リュミエールは息を飲んだ。
 
部屋の中が海の中に変わっている。
一面の深い碧。
潮騒の音が低く聞こえ、ゆらゆらと海藻が揺らめき、音もなく泳いできた銀色の小さな魚が、
リュミエールの胸の辺りを素通りしてゆく。
見上げると遠く頭上に光が透け、様々な魚が群れを成して泳いているのが見えた。
波が弾けるのが見える。岩の間を生物が行き来している。伸ばした手が魚に触れる瞬間、向こう側に透ける。
海底を映す、見事なホログラフィ。
 
リュミエールが目を見張ると、オスカーは自慢そうな顔をした。
「土産だ。ごたごたしてて渡すのを忘れてたんだが、どうだ、凄いだろ?あと、『南国ハーレムパラダイス風』とか、『ロマンチックお花畑』とか、色々なシリーズがあったんだが、これが一番お前の気に入ると思って」
そう言って横を見ると、リュミエールはすっかりこの光景に魅入ってしまって、まるで話を聞いていなかったようだ。
ちょっと頭を掻きつつも、リュミエールが気にいったのが判って、オスカーの機嫌も良くなる。
そのまま、邪魔しないように静かに様子を見守った。
ゆらりと水が動く気配とともに、なめらかに体をくねらせた大きな生きものが、優雅にリュミエールの前に近付いてきた。
まるで本当に生きているかのように、リュミエールの目の前でぴたりととまり、柔らかな瞳でじっと見つめてくる。
自ら吐きだした気泡に真珠の飾りのように愛らしく縁取られ、優しく微笑んでいるような表情のイルカ。
その優しい瞳と見つめあうだけで、リュミエールは豊かな想いが自分の中に満ちてくるのを感じた。
 
愛されている・・・守られている・・・、そう信じられる。
 
ふわりとリュミエールは微笑んだ。
月光に浮かぶ人魚のような、神秘的な表情で。
感謝の気持ちを表すようにそっと手を伸ばすと、幻影のイルカは再び優雅な動きで向きをかえ、
ゆっくりと海面に向かって去っていった。
ゆったりとした表情でリュミエールがそれを見送る。           
それを静かに見守りながら、オスカーはふと、自分も今までになく落ち着いた気持ちになっているのに
気が付いた。
 
考えてみれば、最近、リュミエールと一緒にいるときはいつも、自分に何が出来るか、何をすればいいのか、
と焦っていたような気がする。
(余裕が無かったのは、俺の方かもしれんな)
そんな事を苦笑混じりに考えた。
しばらくそうしていると、リュミエールがこっちを見て嬉しそうににっこりとする。
「ありがとうございます。こんな素晴らしいもの、本当に嬉しい」
その顔にオスカーもにっこりと頷く。
そして長い髪の一房を手に取って唇を寄せながら、躊躇いがちに言いだした。
 
「俺はここにいるから」
意味が判らないというふうに、リュミエールが首を傾げる。
「俺は、その、見た目道理、無神経なところがあるし、おそらくおまえは、俺とは比較にならないくらい複雑な感受性を持っていて、俺では多分、それを聞いてもすべてを理解する事ができず、おまえの相談相手としては、
不足かもしれん。でもいつでも傍にいる、・・・・・・いつでも、いるから…」
不意に、リュミエールが微笑んだ。何かがこみあげてくるのを、隠せないというような、とても嬉しそうな、
目を奪われるほど鮮やかな微笑み。
驚いて見返すオスカーの首にリュミエールは自分から腕を回すと、なお嬉しそうに笑みを深くし、
ごく間近で囁いた。
「あなたがいてくれるから、笑えるんです」
 
何かとんでもない聞き間違えをしたように、オスカーの顔が奇妙に歪んだ。 
それを見て、ますます可笑しそうに、リュミエールの笑みは大きくなった。
「あなたがいてくれるから笑えるんです。あなたがいるから、私は強くなれる。どんな事でも耐えられるのですよ」
知らなかったんですか?と言外に問うているような、悪戯っぽい表情でリュミエールはオスカーの瞳を覗き込む。
 
愛していると――リュミエールがオスカーに告げたのは、基地内で眠りについたリュミエールが
再び目覚めた直後。
リュミエールが「恋人」であることを疑いはしないオスカーだが、素直に口にだして言われると、
何だか妙に慌ててしまったものだった。
その時のオスカーに対して見せたのと、同じリュミエールの表情。
 
何だろう、リードしているつもりだったのに、とオスカーはいささか情けない気分で考える。
いつだって意表を衝かれる。そしてますます惹かれる。
この誰よりも儚げで、そして強い意志を持つ人に。
 
「…俺でいいのか?」
呟くように言ったオスカーにリュミエールは掠めるように口付け、そして黙ったまま肩に頭をすりよせるようにして、しっかりと抱きついた。 
なつかしい海の気配と、何よりも安心感を与えてくれる力強い腕。
 
(ここが私の故郷です)
私はここへ――帰ってきたのです。
 
「あなたでなければ、駄目なんです」
その言葉に誘われるように、オスカーはしがみつく身体をさらにしっかりと抱き締めた。
揺らめくような碧の室内、二つの身体が重なる。
原始の海に生まれた、最初のつがいのように。