3.
リュミエールが気が付いた時、彼は見知らぬ部屋にいた。
天蓋付きのベットにねかされており、サイドテーブル上に大きな百合の花束がかざってある。
身体を起こしてみると、そこはかなり贅沢なしつらえの広い部屋だ。
まったく見覚えが無い。宮殿の一室なのだろうか?いつのまに移動されたのだろう。
あの晩、自分のために用意された部屋で床についてからの記憶が、彼にはまったく無い。
一度サイノスに起こされたような気もするが、夢だったような気もする。
訝しげな気持ちのまま、ベッドを下りる。厚い絨毯が素足に心地よかった。 と、そこでリュミエールはペンダントを無くしたことに気が付いた。
オスカーにプレゼントされて以来、常にお守りのように肌身離さず身につけていたものなのに。。
不意にリュミエールは、ひどく不安な思いにかられ、辺りを見回した。
ドアが開いてサイノスが入ってくる。
 
「お目覚めですか?」
「サイノス」
いつものようにニコニコしながら近付いてくるサイノスに、リュミエールは何故か違和感を感じた。
……ここはどこです?」
「ダグラス山中にある私の城です。今ここにいるのは、二人だけですので、気兼ねがいりません」
サイノスは機嫌よく説明した。リュミエールの顔に浮かんだ不審の表情など、まるで気が付いていないようだ。
「いつのまに私をここへ連れてきたのですか
「リュミエール様、汗をかかれているのでは?そこのクローゼットに着替えを用意してあります。どれでも好きな物をお召ください」
「サイノス、私はいつの間にここへ連れてこられたのかと聞いているのです」
いく分強い口調で問われ、サイノスは困ったような笑みを浮かべる。
「隣室に食事を用意しておきます。まずはシャワーを使ってお着替えを。それから、ゆっくりと今後の事について話し合いましょう」
「今後とは?」
それにはサイノスは答えず、黙って部屋を出ていった。
後を追うリュミエールの目の前でドアが閉ざされ、外から鍵のかかる音がする。
「リュミエール様、用意がすみましたら、ドアの脇にある紐をお引きください。迎えにまいります」
遠ざかる足音。閉じこめられた。なぜ?何のために。
リュミエールは混乱した。いったい何がどうなっているのだろう。
 
とりあえず頭を冷やすためにバスルームに入る。頭から熱めのお湯を浴び、気を落ち着かせる。備え付けのソープもシャンプーもハーブの香り。
彼の好みにそろえてある。
どういう事だろう、彼は自分を最初からここへ連れてくるつもりだったのか?それなら正式に招待されるはず。いったいどうしてだろう。 
そろえてある衣裳はどれもゆったりとした長衣で、色は白に水色、それから淡い碧と若草色。靴も柔らかい布でできた物が揃えてある。
全て彼の好みどおり。
リュミエールは困惑しながらも着替えをすませた。飾り気のないシンプルな衣裳だが、生地も仕立ても上等なもので肌触りが良かった。
(彼は何を考えて、この衣裳を用意したのだろう)
直接聞かない事には埒が明かない。そう考えてリュミエールはドア脇の紐を引いた。
ややあって、サイノスが現われる。
「良くお似合いだ」
そう言って彼は磊落に笑った。ひどく楽しそうだった。
気難しいリュミエールの表情に気が付かないのか、知ってて無視しているのか、彼は食卓でこまめに給仕をしながら、嬉しそうに話し続けた。
城の説明や、今日これからの予定、手配してある船の事、そしてこれから二人で行く旅の話。
「ちょっと待ってください!誰と誰が旅にいくと?」
遮られて、かえってサイノスは不思議そうだった。なぜ当たり前の事を聞くのか、と言わんばかりに。
「無論、貴方と私です」
絶句したリュミエールに彼は気が付かない。
「貴方と私で旅に出るのです。女王陛下の統治下にない、別の宇宙に」
 
 
声が出ない。この子は正気でこんな事を言っているのか?この子はこのグランブルーの王で、私は守護聖だ。別の宇宙へなど、行けるわけがない。
……
「喜んでくれないんですか?大丈夫、ちゃんと手配済みです。偽名で別の通商惑星にちゃんと資産も移してあります。貴方に不自由なんて、絶対させません。幾つかの星を中継しますが、観光だと思えば・・・」
「私はどこへも行きません!」
リュミエールは喘ぐように言った。手配済み?ああ、何ということ。
「何処へも行けるはずがありません、貴方も私も果たさなければならない務めがあります。それを放棄して、いったい何処へ行くというのですか?」
サイノスは叱られた子供のように顔をしかめた。
……急な話です。驚かれた事でしょう。でも私は密かに賭けをしていたのです。自分自身と。この戴冠式、貴方が来てくれなければ諦めよう、王としての使命を果たそう、だがしかし、もしも貴方が来てくれたのなら、貴方が私を忘れずにいてくれたのなら、今度こそ離れない、ずっと一緒に居るのだと。そのためなら、私は何でもすると」
熱い眼を隠さずに、彼はリュミエールの両手を握った。
「貴方は来てくれた。私の勝ちです」
うっとりと両手を包む手の力は強く、リュミエールには振りほどく事ができない。
「貴方と共に過ごした一ヵ月、あれだけが私の救いでした。あの記憶があったからこそ、堪えられたといってもいい。それでも内心思ってはいたのです。この記憶はきっと美化されたもの、つらい自分を慰めるため、きっといろいろ自分の願望が付け加えられ、そしてこれほど美しくなってしまったのだと。
ところが、どうでしょう、貴方と再会して驚いた。
自分の記憶のなんと不確かだった事、貴方の声も笑顔も、覚えていたものよりはるかに美しい。はるかに優しい。これを再び失うなんて、耐えられない。夢は夢で終るはずだった、でも私は終わらせる事などできなかったのです」
一気にしゃべって、サイノスはリュミエールを覗き込んだ。どうか夢をかなえてと、懇願するように。
その言葉をリュミエールは呆然としたまま聞いていた。
「リュミエール様?」
返事を求めてサイノスが呼ぶ。だが何といえば良いのか。
……サイノス、聞いてください」
ようやく声を搾り出す。
「さっきも言いました……。私は何処へも行きません。貴方の気持ちは嬉しいというより、悲しく思います。貴方は自分が何を言っているのか、本当に判っていますか?貴方は今まで自分が必死で培ってきたもの、全てを捨てるといっているのですよ?貴方の民を
「民など関係ない!」
思いがけない激しい口調だった。
「民など勝手なもの、私が手を必要としていたときには眼もくれず、王太子として実績を上げると今度は持て囃す。結局誰でも良いのですよ、自分たちに都合良ければ」
彼は哀しげな目をリュミエールに向けた。
「貴方だって知っているはず。子供の頃の私を。誰にもかまわれず実の母にも放っておかれ、私は字も読めない犬のようだった。あの食物が溢れた宮殿でさえ、私は餓えかけていた。父ですら、何の関心も私には払わなかった。私はあの場所で、すでに役目を終えたものと扱われ、たとえ飢え死にしたところで涙を流すものは誰一人いなかったはずだ」
激情のあまり、握られた両の拳が震えている。リュミエールは思わずその手に自分の手をそえた。サイノスはふっと力を抜き、再びリュミエールの手を握る。
「あの時もそうだった。貴方だけが躊躇いもなく、いつもこうして、手を差し伸べてくれる……。貴方しかいないのです。私には」
「サイノス……
「一緒にきて下さいますよね」
「それは……できません」
「どうして」
「何度も言いました。私は自分の務めから逃げるつもりはありません。それに……
ふとリュミエールの頭にアイスブルーの瞳が浮かぶ。自分を待っていてくれる筈の人。
何も言わないまま離れ離れなんて、そんな事はできない。
黙ってしまったリュミエールに、サイノスは暗い目を向ける。
「どなたか待っていらっしゃる方がいる。そうでしょう?」
リュミエールは無言で唇を強くかんだ。
「あのお土産はどなたに?恋人ですか?」
恋人、そう、会いたい。もう一度。愛していると何度も聞いた。でも私からは一度も言っていない。向こうから口説かれたのだからとか、恥ずかしいからと、自分に理屈を付けて、自分の気持ちを口にする事を避けていた。
泣きたくなるほどの後悔。会いたい、今すぐ。
こんなにも強く願ったのは初めてだった。
「炎の守護聖様、ですか?」
ぱっと顔を上げるリュミエールを見て、サイノスは唇を歪めて笑った。
「正解ですね。今いらしていますよ。このグランブルーに、貴方を捜しに」
咄嗟にリュミエールは椅子から立ち上がった。
それを見たサイノスも無表情に立ち上がると、駆け出そうとするリュミエールの腕を乱暴につかむ。
「放してください!」
「放す気はありません。あなたは私と行くのです」
その傲慢な物言いに、リュミエールは見知らぬ人のような面もちでサイノスの顔を見つめる。
誰だろう、この子は?
私の知っているあの子は、素直で大人しかった。
私の話をいつも熱心に頷きながら聞いてくれていた。
誰なのだろう、この子は。
変えてしまったのは私?私が浅はかにもこの地を再び訪れたから。
私が―――この子を歪めてしまった…?
 
サイノスもリュミエールの顔を見つめている。
サイノスがリュミエールの動きを封じている。その力にようやくサイノスが大人になったことに気がついたような、
そんな驚きの表情。
全ては自分の独りよがり。それを改めてサイノスは思い知らされる。
それでもこの手を放すことは出来ない。
乱暴にしたくない、優しくしたい、あの頃、この人が自分に対してしてくれたように。
でもこの人にとって、自分は今でも、頼りない子供にしかすぎなかった。そんな事実を突きつけられても、それでも自分はこの手を離せない。
欲しくて仕方のない人だから。
永遠に側にいて欲しいと、20年もの間渇望してきた思いは、拒まれたらもう生きてはいけないだろうと思わせるほどに、せっぱ詰まったものになっている。
 
拒まれたら――この人を壊してしまう。
自分の側にいてくれないなら、誰の側にも置かせない。そんな凶暴な思いがわき上がる。
リュミエールの細い腕をつかんだ自分の大きな手に、じわじわと力がこもる。
目の前の瞳に恐怖の色が浮かぶ。
 
手を離せ。この人を傷つけてはいけない。理性の警告に、本能が抵抗する。
壊したくない――誰の目にも触れさせない――手を離せ――壊してしまえば――自分一人のものに――。
 
ビィーーーーーーーーー!
 
耳障りな警告音に、はっとサイノスは正気に戻った。
城に誰かが入ってきたのだ。
1つ舌打ちすると、サイノスはリュミエールの顔から目をそらしたまま、強引にその人を引きずるように、さっきの部屋へと戻った。
混乱しているリュミエールは言葉がない。
サイノスは部屋にはいると、乱暴にリュミエールをベッドの方に押しやり、ドアの近くの壁に手をかざす。
一部がスライドして、そこに監視用のモニターが現れた。
コンソールを操作して、サイノスは侵入者の顔を確認する。
彼はもう一度舌打ちをすると、リュミエールを振り返った。
「タイミングのなんと良い事、これも愛の力ですか?」
リュミエールが目を見張る。
オスカーが来てくれたのだと、悟った瞬間、泣きたくなるほど安堵の気持ちがわいてきた。
それを見たサイノスは、忌ま忌ましげな表情を隠そうともしない。
「どうやら私は守護聖というものを甘く見ていたようだ。とことん邪魔をしてくれる。この辺でけりを付けなくてはね。貴方と私の未来のためにも」
「サイノス、何をするつもりですか?」
不穏な言い方に、リュミエールはぞっとするものを感じた。
「貴方は此処でおとなしく待っていてくれれば良いのですよ」
猫のようにしなやかにサイノスは部屋を出る。
再び鍵がかかった音に、リュミエールは唇を噛む。なんとかして止めなくてはならない。
 
窓を開けると、この部屋が最上階に近い5階であることが判った。窓の外はこれといった足場もなく、何より眼下が崖になっていた。
外に下りて回りこむのは不可能である。
リュミエールは重い樫材の椅子を掴んだ。
サイノスは守護聖を甘く見たといったが、リュミエールについても間違いなく甘く見ていた。
深窓の姫君めいたリュミエールが積極的に自力で脱出をはかるなど、考えもしなかったに違いない。
しかし、あいにくリュミエールは姫ではなく男性で、見た目よりはるかに肝が座っていた。なんとかしてサイノスの暴走を止めなくてはと思っていたし、何よりオスカーと争うなど、考えるだに嫌だった。
慣れぬ行為に腕が痛む。それにかまわず、何度も椅子をドアに向けて叩きつけた。
椅子がはじけるように砕ける。思わず後ずさったリュミエールが前に視線を戻すと、ひしゃげたドアが蝶番を弾いて大きく歪んでいだ。その隙間から、転がるようにリュミエールは廊下に出る。
 
幸運だったのだと思う。
階下の最新式セキュリティのおかげで、かえって居住部分の造りは昔の木のままだったのだ。
左右を見回して、とにかくリュミエールは走りだした。下へ降りなくてはいけない。
いくつかの角を曲がり突き当たりの手前で一基のエレベーターを見付けた。
だがいくらボタンを押しても動く気配がない。
彼は知らなかったが、このエレベーターには個体識別センサーが入っており、今これを使用できるのは城の主人であるサイノスだけだった。必死で辺りのドアを調べ、用具室らしい部屋の奥に狭い階段を見つけた。
 本来、召使用の飾り気のない階段を、リュミエールは裾が乱れるのもかまわずに駆け下りていった。