5.
オスカーがぐったりとした足取りで階下に降りてくると、足を引きずったクロスが物問いたげにゆっくりと近づいてきた。彼の顔は真っ青だが、足からの出血は思ったより酷くはない。
 
どうやら彼も自分と同様、身体よりも精神の疲労の方が強そうだと、
オスカーは何故か笑いたくなるような気分で考えた。
 
そうだ、笑えるじゃないか。
リュミエールを助けるために来たのに、そのリュミエールに救われ、自分は無傷で、
彼は乱暴され気を失ってまた連れ去られた
 
何しに来たんだ、オスカー。
お前は強さを司っているはずなのに。
自嘲とともに、怒りがわいてくる。絶対に許さない、許せない、自分も、あの男も!
 
オスカーはクロスに手を貸して城の外に出ると、傷の応急手当をすませ、車にもたれるようにして座りこんだ。
クロスは何も言わずに膝を抱えて座っている。その様子を見てオスカーはため息を吐いた。無能なわけではないのだろうが、尊敬する主人に裏切られ、茫然自失状態で使いものになりそうにない。
 
彼は大きく息を吐いて、無線のスイッチをいれ、周波数をあわせはじめた。
原始的な作業をイライラしながら進めていると、突然クリアな声が聞こえる。
『あ、ようやく出やがった。おい、てめえ、通信チャンネルオフになんてするなよな、面倒くせー』
 
・・・この呆れるほどの口の悪さは・・・・
「ゼフェル!なんでお前がいるんだ」
『てめー、ご挨拶だな。ランディの馬鹿がコンピュータがいかれたの何のとさわいでっから、わざわざ来てやったのに』
「なおったのか?」
『直ったから喋ってんだろーって、とりあえず通信回線だけ最初に確保したんだ。後は最終調整中で、あと2、3時間もありゃー、完璧だぜ。ま、一般データの回復はあとでここの奴らがやるだろうさ』
口の悪さが今日は頼もしく、オスカーは素直に感謝した。
『よう、リュミエール、居たのかよ』
……居たが、又連れ去られた、そっちで行き先の予想はつかないか?」
『け、何やってんだよ。探査衛星がまだなんだ。直接宇宙軍の技術者が調整にいってんだけど、まだつながってなくてよ。とりあえずこっちも数時間待ちだ。どっちに逃げたか分かるのか?』
「この城から西北だ」
『んじゃ、つながったらその辺優先に探してみるぜ、なんか判ったらデータ送るから』
「此処じゃ……
受信できないと言いかけると、すかさず。
『親父が万が一に備えて、指揮車両っての?そう言うごついヘリ降ろしたんだ。直接もってったから』
「親父って誰だ?」
『ヴィクトールのおっさんだよ。此処の基地の責任者だろが、知らなかったのかよ。ま、てめえ、相当切羽詰まってなりふり構わずだったらしいもんな。すげえ無理させたって?あの後、付近を通過中だった連中から確認だの抗議だの凄かったって、あんた好みの可愛いオペレーター泣いてたぜ』
「う……それは悪かった。後で謝ろう」
『んじゃ、とにかくよ。おっさんが自分でそっち向かってる。なんかあったらそこへ連絡やるから待ってなよ。じゃあな』
「判った。ありがとう」
『素直じゃん。気持ちわりぃ』
憎まれ口を叩いて、通信は終わった。少し気が晴れてオスカーはクロスを振り返る。
「聞いたとおりだ。今後は宇宙軍主体の追跡になる。お前はヘリが来たら入れ代わりにこの車で首都に戻れ」
……
クロスは複雑な表情だったが、何も言わず首肯いた。
オスカーは空を仰いだ。陽が傾きかけている。今夜リュミエールはどうやって過ごすのだろうと思った。
傍にいたら一晩中でも抱いて、安心させてやれるのに。
「リュミエール…」
必ず救い出すからと、オスカーは新たな強い決意とともに、その名を呟いていた。
 
 
 
振動で目が覚める。頭が痛い、どうしたんだろうと思いながら、リュミエールは体を起こした。
王族専用機の客室内の内装は、狭いながらもは整えられており、彼は柔らかい長椅子に寝かせられていた。
身体を起こすと、ドアが開いたままのコックピットにサイノスがいるのが見えた。ふらつきながら、近付く。
彼はパイロット席に脚を投げ出すように座っていた。
「目が覚めたんですか?」
……操縦、いいんですか?」
「オートです。寝ててもつきますよ」
疲れているのか、声が投げ遣りだ。
「どこに向かっているのですか?」
いつもと変わらぬ口調で話し掛けるリュミエールに、サイノスは不思議そうな顔をした。
「私を怒っていないのですか?」
「質問しているのは私ですが」
……第9回開発地区跡です。といっても分からないでしょう。要するに海の埋立地ですよ」
リュミエールが彼の顔を見なおす。
「知っていますか?かつてグランブルーの地表は70パーセントが海だったそうです。今では約20パーセント強、両極点付近に慎ましく残っているだけなんですよ」
……どうして、そんな」
「ここの海水には特殊な成分が含まれていたそうで、精製すると高純度の宇宙航行用エネルギーの触媒が取れたそうです。当時の政府が調子にのってどんどん汲み上げ、それによって得た利益で、干上がった海底を陸地に変えはじめたんです。その後グランブルーは飛躍的に人口が増え、高度成長したそうですが」
……
「今から行くところは夢の跡です。誰も来ない、誰も知らない、もう百年近くも前に放棄された場所です。隠れ家にはちょうどもってこいの・・・」
それきりサイノスは黙ってしまった。リュミエールも何も言わずに客室に戻る。
小さな窓から外を眺めて嘆息をした。
(無くなった海、居なくなってしまった・・)
 眼下に広がるのは、森ばかり。
 
 
夕暮を過ぎた頃、小型機は静かに古びた基地の上空に着いた。窓から見てリュミエールは首を捻る。
妙な建物だ。あたり一面は灰色の荒野で、深い亀裂があちこちに走っている。
その亀裂の一つに跨がるように、その建物は建っていた。
着陸後、サイノスが顔を出す。
「着きました、どうかしましたか?」
……この建物は……
「ああ、大丈夫、小型艇が離発着できる程度の強度はあります。……亀裂が心配ですか?」
「いえ、あの」
サイノスがくすっと笑った。そうすると、子供の頃と変わらない。
「亀裂の上に建てたんじゃなくて、後から亀裂が入ったんです。埋め立ての土台に使った薬品が不良品でひどく脆くなっているんです」
降りてみると、亀裂からエアポート上に吹き上げる風は思いの外強く、吹き飛ばされそうになる。
ふらついた身体をサイノスがそっと腕を回してささえる。振り解かれない事に安心したのか、サイノスはそのままリュミエールを管制室へ導いた。
 
 
「明日の夜明け、迎えが来ることになっています。今夜はここに泊まります」 
サイノスは棚を開けて毛布を持ってきた。まだ新しい。
サイノスがここをたびたび訪れていたのが判って、リュミエールはまわりを見回した。
よく見ると、古くはあるがどの用具も手入れがされ、サイノスの私物らしい本や書類がきちんと整理されている。
「缶詰位しかありませんが、食べますか?」
リュミエールは首を振った。
……私は外で休みます。リュミエール様はどうぞ、ここでお休みください」 部屋に入ってからリュミエールがどことなく警戒しているのを察して、サイノスは自分から外へでて行った。
柱の陰の風のあたらない場所に腰を下ろす。 リュミエールはふっと身体の力を抜くと、長椅子に座り込んだ。
………一緒に宇宙にいくのは論外・・・でも、このままではどうにもならない。今自分は何をすべきなのか・・・。
疲労で痛む頭を振って、とりあえず目を閉じた。今は休むことが大事・・・そう思った。
 
 
座ったままの不自然な姿勢でも、いくらかの休息は取れたらしい。目を覚ますとすでに辺りは真っ暗だった。
明かりがついているのは部屋の中だけ。外に漏れる明かりの隅に、サイノスの大きな背中が見える。
リュミエールはそっと近付き隣に座った。      
しばらく黙ったままでいると、サイノスが独り言のように呟いた。
……ここに気が付いたのは、新しいシステムをチェックしていた時です。農業用地用に開発されたのに、例の欠陥薬品、あれが植物に有毒なガスを発生させていくら土を洗浄しても使いものにならなかったそうです。
莫大な費用、莫大な労力、そして莫大な時間を費やしてできた、人工の荒野。
……愚かしい事をしたと思いませんか?」
傍らを見やると、無言でリュミエールもこちらを見ている。
「貴方には私も同じように見えているかも知れませんね。
多くのものを賭けて不毛な行為をしている愚かな男と……
……
「私だって無駄になると思っていました。この計画を立てたときは。幼い時から繰り返してみていた夢、貴方と又会えたらこうしよう、あれもしようと毎日毎日考えて、それが唯一の慰めでした。王太子として、実績を上げて、裁量権がふえて、計画が実行できるだけの地位を確立して・・・。
無駄と思っていても、一つ一つ形になるのがとても楽しくて、あれもこれもと手配して・・」
静かにリュミエールが口を開く。
「私は行きません」
「貴方に選択権はないのですよ」
その言葉に寂しそうな笑みをうっすらと浮かべ、リュミエールはまっすぐにサイノスを見つめた。
「だとしても……私は行きません。たとえ身体は力付くで自由にできても、心は私のものです。私は心を聖地へ残していきます……脱け殻が欲しいのなら、それもよいでしょう」
リュミエールがすらりと立ち上がる。
夜目にも白い横顔は凛として、大理石の彫像めいて見え、サイノスには何も言えなかった。
「私はもう休みます。……貴方も中でお休みなさい。風邪を引くといけませんから」
戻っていく後ろ姿を眺め、サイノスは大きく息を吐いて膝に顔をうめた。
(欲しいものは・・・)
満天の星空の遠さを痛い程感じた夜・・・
                    
 
長椅子に横たわっての浅い眠りのなか、リュミエールは夢を見ていた。
昔の夢。華やかな人垣、歓談する人々。
その隅に、一人の少年がたたずんでいた。  
まるで存在そのものを忘れ去られたように、独りぼっちで。         
 
確か王子だと紹介された子供だ。
彼は近付いて声をかけた。少年が無表情に見上げる。
挨拶の口上だけは完璧だ。でもひどく痩せている。顔色も悪い。
リュミエールは自ら食べ物を取り分け、少年にすすめてみた。
一瞬の間、不思議そうにその皿を見つめた少年が、次の瞬間には一心に食べはじめる。
どういうことだろう?見たところ少年は爪の先から髪の先まで手入れが行き届き、衣服も立派なものである。
それがどうしてこんなに飢えているのだろう、仮にも王の跡継ぎがどうして?
 
彼らに気が付いた貴族たちがさり気なく、彼から少年への関心をそらそうとする。リュミエールはそれを無視した。
少年が満足するのを待って、庭に招いた。片隅に並んで座り、リュミエールは少年に話し掛ける。
はじめは警戒していた少年も、目線をあわせて丁寧に話し掛ける彼に安心したのか、ぽつぽつと聞かれたことに応えだした。
 
少年は母と二人、町の貧民街に居たとのこと。
ある日男たちが現れ、彼をここに連れてきたのだと。彼に与えられた部屋には、毎日決まった時間に召使が現れ、風呂に入れたり、髪や爪の手入れをしていくこと。年取った男が言葉使いの練習にくる事。
みんな決まった仕事しかしないので、彼がお腹が空いたと訴えなければ食事がもらえないこと。
一日一回食事するのが精一杯だという事。
彼は少年が哀れになった。まだまだ、親に甘えたい年頃なのに、放っておかれるなんて。
6歳の少年の話だけでは事情がはっきりしないので、彼はその夜、世話係の者を問い詰めて話を聞いた。
守護聖の立場をかさにきたのは初めてだった。
 
判ったのは、彼が本当に王の実子であること。
娘しか持たない妃が嫉妬し、母子共々追い出したのだが、王に子種の無いのが分かり、跡継ぎが持てない王太子など廃嫡すべきといわれ、慌てて追いだした子供を引取ったのだという事。
部屋のなかに押しこめられ、公式のときだけ王子と呼ばれる少年の哀れさに、彼は日程を延ばす事を決めた。
それから一ヵ月、毎日食事を一緒に取り、本を読み、字を教え、外に出て様々なものに触れさせた。           
頭の良い少年だった。初めて触れた知識に夢中になった。リュミエールは日がな一日一緒に過ごし、出来るだけ彼の質問に応えた。水の守護聖お気に入りという事で、少しは扱いが改まってくれればという期待もあった。  一緒にいると、やがてすべての大人が彼に無関心なのではなく、妃の手前遠慮していても、実は同情している者も何人かいることが判った。
リュミエールはそんな人々に対し、自分が帰った後、この子を頼むと一人一人頭を下げてもみた。
 
帰国の前夜、話が尽きない少年と一緒に寝た。彼のベッドで少年は、いつか勉強して聖地にいくと、約束するから待っていてと、聖地の意味も分からずそう言って指切りの約束をねだった。
彼は少年が眠りに就くまで頭を撫でて、ずっと囁いていた。
 
貴方のことは忘れません。たとえ離れていても、ずっとずっと大好きです。
私が生きているかぎりずっと。約束です
――誓いはいまだ生きている――。