6.
「オスカー様」
焚火の側にぼんやりと座り込んでいたオスカーは、呼ばれて顔を上げた。
件の城から少し離れた湖岸に、オスカーは合流したヴィクトール達とキャンプをはっている。
焚火から少し離れた空き地には、最新コンピューターと通信機器を完備した、動く司令室とも言えるヘリが黒く鎮座していた。
「ゼフェル様から通信が入っています。探査衛星の機能が全て回復。
小型機の行き先と思われる西北地方の調査開始したとの事」
「そうか」
ヴィクトールの報告に、オスカーはそっけなく返事をした。
 
済んだことをうだうだ考えるほうではないが、今夜ばかりはあの時のリュミエールの様子が頭から離れない。
壁に叩きつけられて崩れる身体、自分の名を呼ぶ声、助けを求めて伸ばされた手を、
つかんでやる事ができなかった。
目の前で連れ去られるのを、なすすべもなく手をこまねいて――悔しくて情けなくて、歯噛みしている。
 
深夜近くになっても休息をとろうとしないオスカーを、ヴィクトールは心配げに見つめた。
こんな風に自分の無力を見せつけられたとき、他人からは何も言えない。どんな慰めも、自分を責める刃となる。ヴィクトールもそれを知っている。
黙って見ているだけは辛くもどかしい。だが、今は待つしかないのだ。
 
不意にオスカーは顔を上げた。
「どうしても理解できない。あいつはリュミエールを恩人だといって、リュミエールもサイノスが自分を慕っていたと言っていた。それがどうして、あんな真似が出来るんだ?あんな恩を仇で返すような事が」
ヴィクトールは意味が解らない。怪訝そうに眉を寄せると、首を傾げた。
そう言った事情については当然ゼフェルも知らないから、誰も教えようがなかったのだ。
オスカーはそれすらも苛ただしげに、早口でまくし立てた。
頭に血が上っていようと、説明が簡潔であるのは、軍人としての訓練の現れなのだろうか。
変に理性的な部分が残っているだけに、ヴィクトールはオスカーを痛ましく感じた。
説明をし終わると、オスカーは改めて「お前に分かるか?」と訊いてきた。
 
 
「……気持ちは解らなくもありません。俺自身、あの方に癒されました。恩人といえます」
「じゃあ、お前もあいつを隠しておきたいと思うのか?」
喧嘩腰の質問に、ヴィクトールは困った顔で笑った。
「そうではなくて……こんな事を言っては不快かも知れませんが、……あの方といると、何というか子供の時分を思い出します。無条件に親に護られ、母に全てを預けていられた頃、何も言わずとも受け入れてくれるというか、甘えても良いのだとそう思わせる雰囲気をあの方は持っていらっしゃる。時に、自分だけに向けられてると勘違いをしてしまいそうな程に。
子供の頃、親の愛情に恵まれなかった者にとって、独り占めしたいと思いつめても無理ないのではないでしょうか?」
「俺にはわからん。俺はあいつに母親なんて求めてないからな」
オスカーは憮然と並べ立てた。
「そもそもお前達は勘違いしている。あいつはそんなに甘くはないし、結構きつい事も平気で言うし、ちょっとからかうと怒ってそっぽを向くし、意地っ張りで気が強くて、扱いづらい事この上ない。
あいつの氷点下並の冷たい視線なんて、お前等受けた事が無いだろう」
これにはヴィクトールは呆れた。およそリュミエールに対する評価とは思えない。
どれもこれも、あの方を語るにはふさわしくなさすぎる言葉だ。
仮にも恋人・・の筈の人にたいして酷過ぎないだろうか。
 
ヴィクトールの無言の非難に気が付いたのか、オスカーはきっぱりと言い切った。
「俺は言っても良いんだ。俺はそういう面倒臭くて人間らしいあいつが好きなんだ。
最初に口説いた時はっきり言ってある。あいつは笑っていたよ。面と向かってそこまで言う人は初めてだと。
……逆に嬉しそうだった。あいつは人には気を使うが、自分が使われるのは苦手なんだ。知らなかったろう?」
再びヴィクトールは呆気にとられた。
こんなに明け透けな男がリュミエールの恋人?こんな無神経な――。
逆に言えば、リュミエールが本音を見せられる男。繊細そのものの姿に、思わず壊れ物のように扱ってしまいがちな自分、あるいは自分たちと違い、本気のやりとりが出来る男。
奇妙に納得できる。
間違いなく、これがリュミエールの選んだ相手だと。          
 
ヴィクトール自身、あの女王試験のさなか、リュミエールに対し恋心を抱いた事がある。
何も言わず自分の傷を察し、そっとあの人は包んでくれた。
生きていて良いのだと、存在する価値があるのだと、あの人は態度でそれを自分に示してくれた。
見返りを何も望まず、自己を押しつける事なく、それを自分が望んでいるから、そんな風にさりげなく。
あの人の優しさに、自分もあの人の助けになれればと本気で思った。
もっとも人の感情にはあれだけ敏感なくせに、自分に向けられる恋情には極端に鈍感なリュミエールは、結局黙って見ているだけのヴィクトールの気持ちに気が付く筈もなく、そのまま終わりになってしまったが。
 
黙っているヴィクトールの隣で、オスカーも又考えていた。
・・・・自分は今たしかに、最低最悪の気分だ。
リュミエールにさえ取り戻せば綺麗さっぱり無くなるのは判っている。
だがこれはリュミエールを独占しようというのではない。
単純に元の状態にさえ戻れば、それでいいと思ってるわけでもない。
リュミエールの意志がいま無視されている。
そんな状態にリュミエールがおかれているのが、我慢できないのだ。
 
オスカーは基本的に自分の面倒は自分で見るべきだと思っている。
助けを求められれば全力を尽くすが、そうでないのならば放っておけば良いのに、と考えてしまう。人によっては「冷たい」と感じるかも知れないが、それがオスカーにとって他人を尊重すると言うことだ。
一方的に手を出して甘やかすのがいいとは、絶対にオスカーには思えない。
 
だから背中を向けて拗ねている人間に手を差し伸べ、自分の心を削ってまで人の痛みを肩代わりしようとするリュミエールの行動は、はっきり言って理解の外だった。
リュミエールが普段人前で浮かべている、いわゆる人当たりのいい微笑みも以前は好きではなかった。
営業スマイルじゃあるまいし、何か仮面をかぶっているように見える。可笑しくもなさそうなのに、なんでいつもニコニコしているんだと――出会った頃は真剣に反発を覚えた。
             
その偽善的な営業スマイルを崩したくて、ひどい言葉をぶつけても見た。
あからさまに人よりもきつく当たった。
決して仲が良いとは言いがたい関係だった。でも、それでも。
 
まわりが沈み込んでいる時。
さまざまな難局で仲間達の気持ちが荒みかけた時。
リュミエールは自分の痛みを曝す事無く、人に微笑みかけた。
ささくれだった心を静めるかのように。
見せ掛けの仮面ではない。自分をよく見せようという演技でもない。
ただ、純粋に、人の想いを受けとめ、安らぎを与えてくれる微笑み。
それを知った瞬間、オスカーにとってその笑みは換えがたい宝のように思えた。
自分とは違う種類の強さ。それを具現している存在がリュミエールだった。
 
――不意にオスカーの脳裏に一つの情景が浮かぶ。
昼下がりの聖地、光があふれる中庭からハープの音が聞こえる。
たおやかな指が近付いてくる人の気配に気がついて止まり、ゆっくりと振り向きながら立ち上がる。
動きにつれて揺れる長い髪が、銀の滝のように光を流す。
花が咲くような笑顔。そして小首を傾げながら柔らかい声で名前を呼ぶ。『オスカー』と。
まるで童話の一場面のような穏やかさ。                 
原風景とも言える懐かしさ、愛しさ。            
今では、なにものにもかえがたい、愛おしい時間。
 
胸の奥から何か熱いものが込み上げてくる。
オスカーの横顔を黙ってみていたヴィクトールが、そっと目を逸らした。
オスカーは口元を押さえて立ち上がった。
「少し寝る。何かあったら起こしてくれ」
声が震えないよう細心の注意をしながらそう言い、ヴィクトールの返事も待たずにヘリの貨物室へと向かう。
狭い室内、毛布にくるまり座ったままで眼を瞑る。とても眠れそうになかった。
 
ドアを叩く慌ただしい音がする。一時間か二時間、眠れないと思っていたが、
いつのまにかうとうとしていたらしい。ドアを開けると、ヴィクトールが立っている。
「ゼフェル様より通信が入っています」
『よう、おっさん。待たせたな』
開口一番そう言われて、オスカーは色めきだった。
「何か判ったのか?」
『判ったから、呼んだんだろうって……たぶん本命だと思う。そっから北北西に行ったとこに昔の埋立地があるんだけど、そこの補給基地、もう百年くらい前に放棄されたらしいんだがよ。電気がついてる』
「電気が付いてる?それだけで……」
『ちゃんと話し聞けよ。その埋立地自体、失敗してこの百年くらい誰も近付いてねぇんだ。
周辺50キロ以内、人は住んでねえんだぜ』
「それは」
『本命っぽいだろ。それに未確認だがよ、その上空に小型宇宙船がうろうろしてるのを探査衛星にいった技術者が見てる。すぐ隠れちまったそうだけど』
「判った。至急向かう」
『データを送る。頑張れよ』
パイロットが離陸準備をはじめる。オスカーはヴィクトールと顔を見合わせた。
今度こそ、間に合せる。
言葉にならない決意が、くすみかけたアイスブルーの瞳に活力をあふれさせていた。