決意と共に朝を迎えたもの。
そしてまんじりともせず、夜を過ごした者。
管制室の窓からサイノスは外が白みはじめたのを見ていた。
ふと目を移すと、粗末な長椅子に毛布にくるまって眠っているリュミエールがいる。
 
(夜明けに迎えがくる。そうしたらこの人と……)
そう思いながら、気が急くのを感じる。急がなければ、早く此処を出なければ、早く来い、早く。
じりじりしながら空を見つめる。
やがて空が明るくなる。陽が登りはじめる。
「……!」
サイノスは外に駈けだした。宇宙艇はまだ来ない。
(まさか宇宙軍に……)
 
完全に夜が明ける。それでも迎えの来る気配が無い。
振り向くと何時の間に起きたのか、リュミエールが立っている。
 
「……計画は失敗……そう思っていらっしゃるのでしょう」
「サイノス、……今ならまだ間に合います。戻りましょう」
「戻ってどうなるのです。守護聖誘拐の犯罪者ですよ、私は。しかも銃を向け、殺そうともした。
戻れば反逆罪で死刑確定は見えている」
「そんな事はさせません!」
投げ遣りに叫ぶサイノスに、リュミエールは最後まで説得しようとする。
 
「死刑なんて、絶対に私がさせません」
「貴方の口添えでたとえ死刑が免れても、罪は罪、よくて流罪か生涯幽閉だ。いずれにしろ貴方にはもう会えない。そして貴方はあの方と二人聖地へ戻り、私の事など忘れて幸せに暮らすんだ。そんな事、耐えられない!」
サイノスは大股でリュミエールに近付くと、その細い首に両手を回した。
「そんな事、耐えられる筈がない」
手に力が入る。抵抗もしないまま、リュミエールの意識がとおくなる。
意識の片隅で醒めた部分がとぎれとぎれに考えた。
 
(――哀れな、かわいそうな子)
 
(自分が死んだら・・・宇宙はどうなるのだろう。宇宙の意識は、新たな水の守護聖を生み出すのだろうか、均衡を保つために)
 
(オスカーは・・泣くだろうか、御免なさい・・でも信じている、貴方は強い人だから、きっと立直って)
 
(…サイノス。この子はどうなるのだろう。どうぞ、女王陛下よ、この哀れな子に慈悲を・・もう一度、もう一度生きるチャンスを・・・・)
 
この時リュミエールは自分が何をしているのか何も意識していなかった。
自分の腕が上がり、自分の首を締め上げている男の肩を抱き締めるために回されたのも、自分では判っていなかった。
だから突然、自分の身体が投げ出され、サイノスが離れていったときは、
本当に何が起こったのかわからなかった。
 
ゼイゼイと息を整えながら、首を手で押さえ、霞んだ目をサイノスに向ける。
彼はうずくまり、リュミエールの目から逃げるように頭を抱え、しきりにしゃくり上げていた。
リュミエールには自分の何が彼にこれほど衝撃を与えたのか、わからない。 
足に力が入らないので、膝でいざるように近付く。
 
「……サイノ……」
彼はビクリと身体を震わせた。
震えながら呟く声が、奇妙に大きく聞こえた。
「残酷な方だ、あなたは。憎む事もできない。せめて見苦しく命乞いでもしてくれれば、諦めもつこうものの…」
肩に触れようとした手が止まる。
 
子供のようにしきりにしゃくり上げているサイノスに、何をどう言えば良いのか、
リュミエールは完全に混乱していた。
 
――どうすれば、どうすればこの子に私の言葉が届くのか、私はどうすればこの子の事が理解できるのか――
 
その時何かの気配を感じ、リュミエールは顔を上げた。雲の切れ間から、何か光っているのが見えた。
サイノスが急に起き上がり、エアポートの中心に向かって走り、空を見て歓声を上げた。
「来た、今度こそ!」
リュミエールを振り向いて上げた声が、不安げに止んだ。リュミエールは立ち上がり、空の先を見ている。
小型艇が下りてくるそのすぐ後を追うように、新たな機影が雲間からあらわれる。
その巨大な姿――サイノスは茫然と立ちすくんだ。
 
 
「王立宇宙軍……」
頭上にその姿を表した艦隊に、サイノスは呟いた。
彼が手配した宇宙船は、既に姿を眩ましている。
脱出路が完全に断たれた事を、否応無しに理解した。
 
「……今度こそ終わりですね」
強い風が吹き上げるエアポート上で、サイノスはリュミエールを振り返った。
管制室のドアにもたれるようにリュミエールが立っている。
長い髪が風に吹き上げられ、やつれた顔をサイノスの視界から隠している。
「貴方と一緒にいきたかった。それだけが望みだった」
ゆっくりと近付く姿に、リュミエールは竦んだように後ずさった。
 
「どうしても許してはもらえないんですね。私にはこれしかできなかったのに」
髪を押さえ、リュミエールは真っすぐに彼を見つめた。視線と視線がぶつかる。
「サイノス……何をする気なのです……」
彼は笑った。表情のない仮面のような笑い顔だった。
そのままリュミエールの横を通り過ぎ、管制室内にあるたくさんのスイッチの一つを無造作に押した。
「……!」
次の瞬間、轟音と共に足元が揺れた。階下で爆発が起きたのだ。
 
「サイノス!」
「あらかじめ仕掛けてあったのです。私達がここを去った後、痕跡を残さないよう、もしくは追っ手を防ぐために。最期の切札です」
「……」
能面のような顔つきで、サイノスはリュミエールの正面に立つ。
「一緒に死んでくれますよね。リュミエール様、貴方は私のために命を投げ出そうとしてくれた。
最期の最期まで私と……」
パチン、と頬がなった。軽い音だった。そう痛くはなかった。
だがそれは、サイノスを正気に戻すには十分な痛みだった。
サイノスの前には、始めて人を殴ったのかもしれない右手を左手で握り締め、きつく唇を噛み締めたリュミエールが立っていた。睨つける瞳は涙がにじんでいる。彼が始めて見た涙、そして怒りの表情。
例え彼が首を締め付けたときでさえ、哀しげな表情を浮かべていただけの瞳は、今、強い怒りで彼を見据えていた。
 
「真っ平です」
思いの外強い口調に、サイノスはマヒしたように動けなかった。
「ここで貴方と心中なんて真っ平です。たしかに私は貴方に殺されてもいいと思った。それで貴方が、私から解放されるのなら、自分の人生を送れるというのであれば、私は死んでもかまわなかった。でも、こんな!何も残さない、生み出さない、ただ生から逃げ出すためだけの死など、私はご免です!絶対に承諾できません!」
息を荒くしてリュミエールは一気に叫んだ。その気迫に押されるように、逆にサイノスの声は弱くなる。
 
「……なんといってももう遅い……爆弾はまだまだ仕掛けてある。貴方も私も助からない……」
「だとしても、私は貴方と最期を共にするつもりはありません。例え一緒に死んだとしても貴方とは共に逝きません。例えあの世の果てまでも!私は違う道を行かせてもらいます!」
完全なる拒絶、サイノスは呆然とした。今の今まで、リュミエールは彼を見捨てはしなかった。
殺されようとしながらも、彼を拒みはしなかった。それがここへきての拒絶。
涙を滲ませたままじっとこっちを睨み付ける眼光の鋭さに、サイノスはがっくりと膝をついた。
あまりの衝撃に、もう強がる気力もなかった。
 
「……なぜ……。なぜ、あなたまで私を見捨てる……今ここにきて、どうして……」
涙混じりに呟く。リュミエールは少し瞳を和らげ、彼の傍に膝をついた。
「見捨てたのは私ではありません。貴方です」
見上げるサイノスに、哀れみさえ見える瞳で、リュミエールはそう告げた。
「分かりませんか?見捨てたのは貴方です。貴方が自分で自分を見捨てたのですよ」
 
「わたしが……見捨てた……」
「そうですよ……貴方は私をなんだと思っていたのですか?貴方の生き方を決めるのは貴方です。私には何もできないのです、ただ少しの手伝い以外は」
サイノスは黙ったまま聞いていた。
 
「……貴方が苦しんでいるのは判っていました……。つらい思い出を過去にしきれずにいる事を。あなたの中では、今も幼い子供が心ない大人に与えられた傷を痛がって泣いている。その痛みは誰も肩代わりできない。
たとえ私であっても、貴方にかわる事はできないのです。
貴方に気が付いてほしかった、貴方は今まで頑張ってきた、貴方を慕っている人も大勢いる。もう昔のように一人ではないのだと、貴方の前には、自分で切り開いた道が広がっているのだと。
私は貴方と一緒には行けない、でも!」
 
リュミエールはサイノスの肩に手をかけ、正面から見つめた。
「……ずっと貴方を見守ってる。私の命のあるかぎり、絶対忘れたりしない。あの時誓ったように」
 
涙の浮かんだ深い碧の瞳が見つめる。
グラン・ブル−、この星の名と同じ色の瞳。深い深い海の碧。
人が豊かさを手に入れるため、切り捨ててしまった色。
取り戻す事のできない、遠い過去の夢の色。
サイノスはリュミエールの膝に取りすがって啜り泣いた。その背中を優しい手が抱き締める。
 
「……馬鹿な子……。どうして信じられなかったのです……、いま目の前の思いを。真実を。
あなたはすべてを取り戻していたのに」
 
暖かい手が背中を撫でる。子供の時と同じように。
信じなかったのは自分。自分の不安に自分で怯えて、そして自分で何もかも壊してしまった、愚かな自分。
 
「何もかも終わってしまった。私のした事は許されない重罰です」
「罪を軽減してもらえるよう、私からもお願いいたします。希望を捨てないで……」
その言葉をサイノスは遮った。
 
「私は姉を殺しました」
リュミエールの瞳が大きく見開かれた。
「私は事故に見せかけて実の姉を殺しました。義理の母親を殺しました。そして実の父の身体が弱るよう、薬を飲ませました。私は実の父も殺したのです」 
 
階下で再び爆発音がする。大きく足元が揺らいだ。見開かれたままの瞳から涙がこぼれ落ちる。言葉を無くし、自分が泣いている事にすら気が付かず、リュミエールはただサイノスを見つめていた。