こんな事を告げて何になるのだろう。
 
『王になりたかった、貴方に会うために』
 
この言葉だけはなんとか呑み込んだ。でも傷つけた事にかわりはない。
今まで散々苦しめて、悲しませたくせに、まだ足りないといわんばかりに。
それほど貴方を愛していると、押しつけがましく認めて欲しがって。
なんて浅ましいのだろう。自分だけ楽になりたがっている。
 
サイノスは静かに立ち上がった。足元の揺れは続いている、じきに土台ごと崩れ落ちる。
彼はかつて海だった場所を遠く見渡した。
「……私には祈る資格も、願う資格もない、でも、もしも許されるのなら」
エアポートの中心に向かい、ゆっくりと歩きだしたサイノスに、リュミエールはふるえる声で呼び掛けた。
「サイノス……」
床の中心からひびが広がりだした。その上を彼は静かに歩いて行く。
「サイノス……そこは危険です……どうかこちらに……こちらに来て…」
ようやく振り向いたサイノスが、自分に向けて差し伸べられた手に静かに微笑んだ。
願えるのならば、もしも、せめて。
 
「どうぞ、ご無事で」
呟く声が聞こえたのか、リュミエールが眼を見開く。
揺れが大きくなる。リュミエールの目の前で床が崩れ落ちる。サイノスと共に。
「サイノス!」
揺れ続ける中、這うようにしてリュミエールは崩れた場所から身を乗り出した。
地中に続く深い亀裂の奥、落ちて行く人影に向かって大きく腕をのばす。
届かないのは判っているが、そうせずにはいられなかった。
「サイノース!」
呼び掛けに答える声は、無論ない。
 
 
あの人が身を乗り出すのが見えた。風をはらむ髪の動きも、大きく開かれた瞳も、自分の名を呼ぶ唇も、
スローモーションのようにはっきりと。
そんなに身を乗り出したら、貴方も落ちるかもしれないのに、きっとそんな事は考えてもみないのでしょうね。
その優しい手は見返り一つ望まず、いつもいつも他人のために差し出され――。  
この手の貴さをもっと早くに気が付けば良かったのに。何もかも間違えた。
何もかも遅すぎる、今頃気が付いたってもう――。
不意にサイノスのまわりが金色の光に包まれる。大きな羽根の感触、ふんわりと軽く柔らかく――声が聞こえる。
慈悲に満ちた、優しい少女の声。
『貴方の今の想いは魂に刻まれる』
大きな意識に抱き留められるのが判った。
『次に生きるときにはきっと、貴方の望む正しい道を選べるでしょう』
――女王陛下――
穏やかな認識とともに、個人としての意識が薄れてゆく。
あとは完全なる静寂。
 
 
 
 
「おい、今の爆発音は何だ!」
ヘリのドアから身を乗り出しながらオスカーが叫ぶ。
「攻撃したのか?」
情報端末にへばりついたままの兵が叫び返した。
「違います!確認された小型艇は逃走、先行した艦隊からの情報では、
放棄されていた旧補給基地が爆発したと・・・」
「もっとまずいじゃないか!おい、まだ着かないのか!」
「この森を抜けた先、出ます!」
 
パイロットの言葉どおり、いきなり緑が途絶え、眼前に灰色の荒地が広がる。
遮るものもなにもない、無残なほどの広大な人工の荒地に、煙を上げ崩れていく基地が見えた。
「リュミエールはどうした!あの男は!」
「分かりません!煙が風で広がって確認不能と・・・・」
艦隊が完全に地上に下りるには時間がかかる。
何よりも、各艦隊の艦長達は、詳しい状況が全く知らされてなかった。
事が事でもあり、彼らに下された命令というのは、実はこの惑星の空域の閉鎖であり、不審船を着陸させないこと、それだけだったのだ。
彼らはこの下の基地に守護聖が取り残されている可能性があるという事も、知らずにいたのだ。
結果、ある程度状況を知っていたのは、このヘリに乗り込んでいる者だけだ。
 
「何を悠長な事を言っている!おもいきり近付くんだ!
リュミエールが確認されない限り、俺はこの場を離れんぞ!」
轟音に負けないようにオスカーは怒鳴り返した。躊躇するパイロットにかわり、ヴィクトールが操縦をかわる。
「揺れます、しっかり掴まってください」
「おう」
ヘリが高度を下げる。機材を積んでいる分機動性に落ちる筈だが、ヴィクトールの技術は確かだ。
基地の上空に大きく弧を描くようにして近付く。
煙の間から、殆ど崩れ落ちたエアポート上、歪んだ手摺りにすがるようにして辛うじて立っている華奢な人影が見えた。
長い水色の髪が大きくなびいている。
オスカーは叫んだ。聞こえるはずのない声に答えるように。
人影が顔を上げる。
その瞬間の彼の表情を、オスカーは目の前で見るように感じた。
呼んでいるのだ、自分が救いに来る事を信じて、オスカーの名を。
決して諦めないで。
 
「縄梯子を下ろせ!俺が行く!」
兵士があわてて叫んだ。
「危険です!まだ揺れは続いているんです!」
「そこにあいつはいるんだ!愚図愚図している暇はない!駄目だというなら俺はここから飛び降りる!
あいつと心中してやる!」
駄々っ子めいた脅しに、ヴィクトールが操縦席から怒鳴った。
「オスカー様の支持にしたがうんだ!急げ!一度だけ、ぎりぎりまで接近します。オスカー様、
やり直す余裕はないはず!必ず、すくいあげてください」
「判った!」
席から前を見たままヴィクトールが親指を上げて合図を送る。
 
ワイヤーチェーンの縄梯子が下ろされ、その最下段にオスカーはおりた。風圧は思いの外強く、吹き飛ばされそうになり、彼は片手片足をしっかりとチェーンに巻き付けて身体を固定した。
「いいぞ、いってくれ」
「オスカー様、準備OKです。行ってください!」
兵が復唱する声に了承し、ヴィクトールは高度を下げる。ぐんぐんと近付くに従い、リュミエールの姿がよりはっきりと見える。ゆったりとした袖や裾が風に煽られる様は、風に舞う紙のような頼りなさだ。
オスカーはもう一度リュミエールの名前を呼んだ。
声は届かなくても、聞こえている。そう確信を持って。
 
(オスカー)
呼ぶ声が聞こえたような気がして、リュミエールは顔を上げた。
近付くヘリの下に何かぶら下っているのが見える。よく分からないが人間らしい。
こんな無茶をするのはオスカーしかいない。咄嗟にそう思って、リュミエールは泣き笑いの顔をした。
出来るだけ障害物のない、広い場所へと移動しながら、どうするつもりだろうと思った。
ヘリが着陸できる場所などもうないし、この煙では上空に止まるのも危険ではないかと、
他人ごとのような考えが頭に浮かんだ。
感情が何処かマヒしているのが分かる。
オスカーの姿がもう眼で確認できる程近付いている。手を伸ばせば捕まえられる・・
そう思ったとき、身体が浮いた。
 
足元が崩れる。当然彼の身体も宙に浮く。
(サイノスもこんな気分だったのか)
現実味のまるでない奇妙な感覚に、一瞬そんな事を考えた。
(オスカー)
そこにいる。
この手の先にいる。
触れたい・・・・もう一度。
無意識の動作で腕が伸ばされた。
梯子の先から限界まで身体を伸ばしたオスカーの手が、リュミエールの手首をしっかりと捕まえたのは、その一瞬後だった。
 
「リュミエール様、キャッチ!捕まえました!助けました!」
頭上で兵の一人が涙声で叫んだ。ヘリは速度を落とし、ゆっくりと崩れる基地の上空から移動する。
オスカーは右手一本でリュミエールの身体を自分の所まで引き上げた。両手でしっかりとオスカーの腕にぶら下っていたリュミエールは、太い腕の筋肉が限界まで盛り上がり、
自分を持ち上げるのを驚嘆の面持ちで見ていた。
あまりに現実感がなかった。
自分の足が梯子にかかり、手がチェーンを握っても、何処か人事のような気がしていた。
 
アイスブルーの瞳が間近で覗き込んでいる。
これは現実か?夢ではないのか?
オスカーの唇がふるえるが、声が出ない。梯子ごとリュミエールの身体を抱き締め、そのまま放さない。
梯子が引き上げられ、兵士の手を借りてヘリの中に乗り込む。
「リュミエール」
オスカーが茫然としたままの彼の名前を読んだ。何度も何度も、しっかりと身体を抱き締めたまま。
ようやく身動いだリュミエールが、間近からオスカーの瞳を覗き込む。
「……オスカー……?」
「そうだ、俺だ」
リュミエールの目が大きく見開かれ、震えながら潤みだす。
「俺だ、待たせたな」
懐かしい声、懐かしい腕、間違いなくこれは現実だと確認すると同時に、
リュミエールの意識は遠ざかっていった。