◆ ありがとう ◆ 

『何故、ここにいらっしゃるの?』

そう問うと、困ったように笑う顔。
とりとめのない『外』の話をひとしきり喋り、それでもまだなにかを言い残したような顔で帰っていく人。

何故、ここに来るの?
長老以外の人が、なぜ此処に来ることが出来るの?

フレアには判らない。
フレアは『フレア』を模して作られた土人形。
この火の神殿を離れては生きていけない。
時が来ればいつかは土塊に帰ることを誰よりもよく知っている土人形。

何故私に笑いかけるの?
表情を表す事が難しいフレアは無感動な目で少年を見返す。
少年は笑う。

『うーん、…なぜといわれると困るけど。ひょっとしてつられて君が笑ってくれないかなと思ってさ』

楽しそうに笑う冒険者の少年。
仲間達はウルカーンの町の宿で一休み中で、ゆっくりしてこいと言われているから、そんな事を言ってこの飾り気のない神殿で一時を過ごす。
その時だけ、ここが華やいだように感じる。
その時だけ、ここが生気に満ちているように感じる。
フレアはそれが不思議だ。
少年が帰っていくと寂しくなる。
熱い火の神殿が寒々しくなる。
寒い、という感覚など知るはずのないフレアなのに。


戦争があったのだと、少年が寂しそうにぽつりと言う。
フレアにはよく分からない。
人同士が戦い、たくさんの人が死んだ。

『あなたも戦ったのですか?』

悪気のない問い。
神殿から出たこともなく、長老以外の存在を知らないフレアには『争う』という事自体よく分からない。

『幼なじみが……敵の軍にいたんだ。戦いたくなかったのに……』

少年がすすり泣く。いつもは明るくて前向きで、少しはにかんだように笑う顔しか見たことがなかった少年が涙をこぼす。
目からこぼれ落ちる涙をフレアは細い指でそっと掬ってみた。

熱くて濡れている涙。

少年は赤くなった目を擦りながら、誤魔化すように頭を掻く。

『ごめん、フレアには分からない話だよな』

判らないことが多すぎるフレアには、少年が何故謝るのかも判らない。
でも泣いている少年の顔は、妙にフレアの胸に疼きを感じさせた。
何かして上げたい。
祈る以外に私に何が出来るのか。
判らなくて、フレアはそっと手を伸ばすと少年の頭を自分の胸におし当てるように抱きしめた。

『貴方の泣いている顔を見ると、なぜだか変な気持ちになります…』

『あ、ごめん!嫌な気分にさせた?』

顔を真っ赤にして飛び退こうとする少年を、フレアは押しとどめるように抱きしめた。

『私がこうしたいのです。だから、こうしていてください』
そう告げると、少年は躊躇いがちに力を抜き、そして目を閉じた。
『フレアは温かいね』
『そうですか?』
『うん、温かい…それに優しい匂いがする』
『匂いですか?』
『うん』

少年は嬉しそうに言う。
その声音に、フレアの心も何故か浮き立つ。

私は土人形。
人の温かみも匂いも持たない土人形。
でもこの少年は私を温かいと言ってくれた。
優しい匂いがすると、そう言ってくれた。

燃えさかる火よりも温かい何かがフレアの身内を焦がす。
これが嬉しいという感覚。
待ち遠しいという感覚。
少年が訪ねてきてくれる日を、フレアはいつのまにか心待ちにする。

土人形のくせに。
闇の神器を失い、時が終わるのをただ待つだけなのに。
少年の存在はフレアの日々に温かい優しさを満たしていく。
そして過ぎていく日々は否応なしにフレアに終わりの時をもたらす。
自分の身体がくずおれる瞬間が近いことを、彼女は否応なしに感じる。

『フレア』

少年の声。
こんな時だというの、フレアは嬉しい、とそう思う。

最後に会えてありがとう。
今、私は笑っていますか?
あなたのように唇の端を上げて、優しい表情を浮かべることが出来ていますか?

フレアは少年に別れを告げる。

最後に会えてありがとう。
でも崩れ落ちる瞬間はどうか見ないで。
私が土人形に戻る瞬間を知らないままでいて。
私が『人』であった姿だけを覚えていて。

フレアに願いに、少年は唇をぐっと噛みしめ、目頭を赤くして、深々と頭を下げると躊躇うような足取りで神殿の外へと向かう。
何度か立ち止まり振り返る素振りを見せるが、フレアの願いは『私をみないで』。
少年の肩が震えている。頭を下げ、肩を振るわせ、そして振り返ることなく少年の姿が神殿の外へ消えたあと、フレアは自分の目から水が流れているのに気がついた。

指先で拭うと、濡れていて温かい。
少年がこぼした涙と同じ。

「ありがとう――私は、今ようやく、本当の人間になれた気がします」

こぼれ落ちる涙に、フレアは笑みを浮かべる。

「ありがとう」

唇だけで声を出さずにフレアはそう言う。
さらさらと世界が崩れていく感覚は寂しくて悲しい。
それでもフレアの中は温かいもので満たされたまま。

「ありがとう」

涙で見えなくなる視界が暗闇に閉ざされる。
自らがこぼした涙に洗われるように、フレアの姿は永遠に失われていった。

 
 
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