◆ ずっと一緒 ◆
 
 
イークレムンは水の巫女。
アキュリースの清らかな神殿に住まい、今は身体を持たぬ精霊ミズチ達との交流を果たせる、ただ1人の女性。
 
 
キラキラと清らかな光を放つミズチの魂。
いつもの橋上でイークレムンはミズチ達と密かに語り合う。
「イークレムン様」
若くてなかなかにしゃれた服装の若い男が声を掛ける。
おっとりと振り返る水の巫女に小箱を渡し、一言二言囁いて走り去る。
イークレムンは男が去ると、また何事もなかったようにミズチ達との会話に戻る。
良くある風景。
イークレムンはミズチ達の心に囲まれ、平穏な時を愛おしんでいる。
 
 
◆◆

 
 
「他の人はミズチの光が見えないんだ」
「ええ、ミズチ達と交流できるのは、イークレムン様だけなのですよ」
水の神殿に立ち寄った「竜殺し」ミーシャは礼拝中のイークレムンを待つ間、若い女官とおしゃべりをしていた。
「イークレムン様は巫女の中の巫女ですもの。私はこの通り皆様のお世話をするのが仕事ですけれど、あの方の清らかなお力は神官ではない私にも感じますわ」
イークレムンに心酔しているらしい女官の言葉に、ミーシャは苦笑混じりで相槌を打ってやる。
 
(清らかって言うか、…清らかななのは認めるけど、どっちかというとポヤンとした天然ちゃんだよね)
ミズチ達と会話は出来ないが、ミーシャはそれなりにミズチ達を感じることが出来る。
先の戦いで身体を無くしたミズチ達は町を保護することが出来なくなったせいか、よりいっそうにイークレムンの天然ぶりを心配しているようだ。
「あ、礼拝終わったみたいですね…ああ!」
若い女官が急に大声を上げた。
何かと見ると、中庭に出たイークレムンに若い男が駆け寄り、両手を掴んで何事か囁いているのだ。
 
「まったくもう!神聖な神殿の中で何をしているんだか!イークレムン様もぴしゃりと言ってやればいいのに!」
憤慨している女官とは別に興味津々でそれを見ていると、男は勝手に話すだけ話すとがっかりした様子で帰っていった。
イークレムンは渡された物をいぶかしげに弄びながら、ミーシャ達が待っている方にやってくる。
「イークレムン様!何かされませんでしたか?」
女官が駆け寄りイークレムンの頭の先から爪先までを調べるようにその周りを回る。
(何かされるも何も最初から全部見てたじゃない…)
ミーシャは内心で呆れるが、次代の大神官となるはずのイークレムンを心酔する女官の目には男がすべて下心があるように見えるらしい。
 
「門番に行って、礼拝が目的ではない男が入れないようにしないと!」
息巻く女官に、イークレムンはおっとりと言った。
「そんなに興奮することはないでしょう?お菓子を差し入れに下さっただけよ」
「もう、そんな何が入ってるか判らないような代物、簡単に受け取ってはいけません!」
女官がぱっと菓子の入っていたバスケットを奪い取る。
あらあら…といった顔のイークレムンののんびりぶりが可笑しくて、ミーシャは笑いながらバスケットを覗き込んだ。
 
「何か高そうなお菓子…あれ、何これ」
菓子の下に入っていたのは、見事な真珠のイヤリングである。
「イークレムンへのプレゼントよ、きっと」
「あらまあ」
女官は眦をつり上げた。
「何を呑気なことを仰ってますの!あの男は外から来たどこかの金持ちのボンボンですわ!イークレムン様をプレゼントで籠絡しようなんて、何て罰当たりな!」
「落ち着いて…あの方、そういえば昨日も手紙と花をくださったの。今度寄付もしてくれると仰ってたし、信仰深い良いお方よ」
「まあ、すっかり騙されて!あの男から受け取った物を全部お出し下さい!叩き返してやらなきゃ!」
女官は鼻息荒くイヤリングを持って立ち去っていった。
きっと大神官に言いつけに行くのだろう。
彼女たちはこのおっとりした巫女姫が心配で仕方がないのだ。
 
「どうしてあんなに怒るのかしら?」
「イークレムンが男に騙されてアキュリースを出ていったりしないか心配なんでしょ」
ミーシャが軽く言うと、イークレムンはきょとんとした
「あら、私は絶対に此処を離れたりしませんわ。私は水の巫女ですもの。それにミズチ達とはなれてなんて生きられませんもの」
その声に応えるように、ミズチの魂が二つ三つ輝きながら現れると、そっと彼女に寄り添った。
「ねえ、ずっと一緒よね?」
ミーシャは苦笑した。
「あーあ、あの男も可哀想…どうあっても報われないんだね」
 
 
◆◆

 
 
アキュリースでもっとも高価な宿に長期滞在していた男は、窓に何かがぶつかる音で目が覚めた。灯りの覆いを払い、窓際に掲げて外を見る。
窓の外に立つ仄かに光っているような女性の姿に、男は目を輝かせた。
 
「イークレムン殿!」
 
男は上着を羽織り、急いで外へ出る。
さっき見たのが自分が巫女に恋いこがれるあまりの幻ではないかと思い、いてもたっても居られなかったのだ。
「イークレムン殿!」
呼ぶ声に振り向いた清楚な美しい女性の姿に、男は安堵の笑みを浮かべた。
「私の心が通じたのですね…まさかあなたの方から来て下さるとは…」
巫女装束を脱ぎ、髪を長く下ろし、白い長衣を纏っただけのイークレムンは男に微笑むと、そっと指を口元に当てた。
「ああ、声が大きかったのですね…此処に来られたのを内緒にしておきたいのですね。承知しました」
 
男は自分の度量が大きいことを示そうというのか、すぐに物わかりよく口を閉ざすと、足音さえ忍ばせながら巫女へと近付いた。
イークレムンは微笑んだまま、すいっと歩き出す。
男はその後を追って歩き出す。
人気のない方向にむかうイークレムンに、男は勝手な想像をしてにやりと好色な笑い方をした。
イークレムンは時折振り向いては男に笑顔を振りまく。 男はその笑顔に引き寄せられるように後をついていく。
 
船着き場へと続く大階段付近はぼんやりと街灯が光るだけで人の気配が無く、もやが立ちこめていた。
「イークレムンどの、どこまで行かれるのですか?」
イークレムンはもう少し、と言いたげに前方を指差すと、にっこり笑って先に歩いていく。
「まったく焦らすのがお上手なお方だ。そこがまた愛らしい…」
男は後を追う。足を速め、今度こそその華奢な腕を掴もうと腕を伸ばしかけ――男は足下が途切れたのを知った。
「――イークレムン殿!」
水の巫女はそこに微笑みながら立っている。
男は驚愕に目を見開きながら、湖の底へと沈んでいった。
イークレムンは波紋を残して水底に消えていった男の姿を微笑みながら見守っている。
男を飲みこんだ波紋が静まったあとの湖面は、何事もなかったように晴れた夜空の月明かりを受けて輝いているだけ。
微笑んだイークレムンの清らかな姿はふわりと輝くいくつもの光の球と変わると、満足したようにその場から飛び去っていってしまった。
 
 
◆◆

 
 
「ねえ、あの男、あれからどうなったの?」
「あの男とはどなたですの?」
「この間来たとき、プレゼント持ってきてた、どっかのぼんぼんとかって男」
「…さあ、神殿にはもうお見えになりませんから」
あっさりと首を捻りながらそう言ったイークレムンに、ミーシャは呆れた息を付いた。
「さあって…一応求婚者でしょ?」
「でも本当に知りませんもの」
相変わらずおっとりとしたイークレムンとミーシャが離しているテーブルに、顔なじみの女官がお茶を運んでくる。
 
「あの男、宿から急に消えてしまったのですって。もう三月も前の話です」
「三月ったら、前に私が来た直後かぁ」
「本当に信用出来なさそうな軽い男だと思ってたら、その通り!荷物もそのままで消えてしまったのですって」
「それってけっこう事件じゃないの?」
眉を潜めたミーシャに、女官はしかつめらしい顔で手を振る。
「いーえ、どうも女たらしだったらしくて、イークレムン様以外にも他の町でちょっかい出してた女がいたらしいの。その女と逃げたんじゃないかって、親族がそう言ってました。ほんと、ろくでなしだったんですわ」
「ふーん…じゃ、親しくなる前に逃げてくれてよかったね」
そうミーシャが言うと、1人まったく判ってないイークレムンが微笑む。
「親しくなんてなりようがないですわ」
女官が自慢げに言った。
「イークレムン様に変な下心を持って近付く男は、みんな逃げ出してしまうようですの。清らかなイークレムン様とお話して、きっと自らの卑しさを悔い改めたんですわ」
初めての話に、ミーシャは少し不思議そうになった。
 
「他にも言い寄ってきた男いたの?」
「言い寄るだなんて…もっと話をしたい、と仰った方が何人かいるだけですわ」
(……口説かれても気が付かないんだ…)
困ったお方でしょう?と言いたげな目配せをする女官に、ミーシャは深く理解した顔で頷いた。
「周りがしっかりガードしないと、ほんと、この巫女様ったら事男女の仲に関しては鈍すぎでもすものね」
「まあ、私が鈍いだなんて!」
イークレムンは本気で驚いたように言う。
「そんな事ありませんわ。ミーシャさんがあのなんとかという黒髪の方と恋仲だというくらいは、ちゃんと知ってますもの」
「私の事なんて、知らなくてもいいよ…」
セラとの仲を指摘されて、ミーシャは照れくさそうに笑った。
誤魔化すつもりで急いで違う話題をふる。
 
「イークレムンは好きな男性のタイプとかってないの?」
「さあ…私は男性には興味ありませんし…」
イークレムンは微笑む。
その視線の先にはミズチ達の魂。
「私はミズチ達とずっと一緒ですわ」
 
ミズチ達の光は鮮やかに瞬いた。
 
 
 
 
 
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