◆ 兄弟仲良く ◆ 

ノーブル伯マリクは、見慣れた門の前で立ちすくんでいた。
ロストールのリューガ邸。
ノーブルの農民の娘だったマリクはいろいろあってリューガ一族に名を連ねる身分になった。
それ自体は別に嬉しいわけでもなんでもない。自分達農民をさんざん痛めつけ、踏みつけにしてきた貴族の名前を名乗る事への後ろめたさの方が、むしろ強かった。
けれども「ノーブル伯」の名前を背負って戦場にも行って戦ったのは、その鬱陶しい名前を自分に押しつけた張本人、リューガ家当主への恩返しでもあった。
リューガ家当主レムオンは、貴族らしい高慢ちきな態度の男だったが、公平で不器用な男でもあった。
マリクのような農民の娘を、方便とはいえ自分の「妹」と呼び、堂々と王妃や王女に紹介してのけたレムオンはやはり貴族としては変わり種の愛すべき男だったのだと思う。
だが、そのレムオンはもういない。
マリクは門を眺めてため息を付いた。

(エストになんて言えばいいんだろう――レムオンは死んだ。闇に堕ちて自分を無くして、どうにもならなくて私がとどめを刺したなんて……そんなの言えない。言いたくない!)
血が出るほどきつく唇を噛みしめて思うが、やっぱりレムオンの最後を伝えるのは仮にも「妹」であった自分しかいないのだ。マリクは嫌そうに何度も何度も頭をふり、そして大きな深呼吸を繰り返してから、思い切って進み出た。
門番が愛想良く迎え入れてくれる。
「お帰りなさい、マリク様」
「う、うん…あの、エスト……兄さんはいる?」
自分が様づけで呼ばれるのも、リューガ兄弟を兄と呼ぶのも、いつまでたっても慣れなくてくすぐったい気がする。
門番はそんなマリクのもじもじした態度にもさほど拘らず、丁寧に答えた。
「はい、お戻りです」

やっぱり、話をしなきゃダメなんだ――マリクは死刑宣告された罪人の心境で、館の中へと入っていった。



エストは自分の研究室で、埃臭い古書に埋もれての調べものの真っ最中だった。
集中しすぎてマリクの存在も半分気が付いていないようだが、だからと言って黙って逃げるわけにもいかない。
マリクは緊張しながらエストに向かって声をかけた。

「エスト、忙しいところごめんなさい。でも大事な話なの。こっちを向いてくれる?」
「なに?そんなに大事なことなの?」
エストが首だけねじ向けてマリクを見る。心が本の方に向いているのは明らかだ。
マリクは大きく息を飲み込むと、心を決めて言った。
「……レムオンが死んだの。いえ、闇に堕ちて心を喰われて…だから私が殺したの…」
どんなに罵倒されても甘んじて受けよう。マリクはそう覚悟をして唇をかんだ。
だが――。
エストは一瞬だけマリクの言葉の意味を飲み込むように目を見張り、そして言った。
「そう、兄さん、死んじゃったの。じゃ、これからはリューガ家の財産は僕が好きに使えるんだね」

あまりにあっさりとした言葉、そしてすぐに本に向かってしまうエストに、マリクは目を見張った。
どうしてそんなにあっさりと納得してしまえるのだろう。
あんなにレムオンを心配していたのに。良い兄弟だったのに――そう思っていたのに。
「待って、エスト。それで終わり?レムオンが死んだのに!」
マリクはエストに駆け寄ると、その腕を掴んで強引に振り向かせた。
その少女の剣幕に、エストはきょとんとしている。
「だって仕方ないだろう?生きている者はみんないつかは死ぬんだ。残念だったけど、今は死んだ人を生き返らせる術はないんだし」
「……だって、他に何か言うことはないの?だって…」
マリクは食い下がる。エストの言い方は信じられない。
「だって、お兄さんでしょ?」
「うん、レムオン兄さんは大切な僕のお兄さんだ。冷たそうに見えるけど、でもとても優しい本当に良い兄さんだった」
そう言ってエストはにこっと笑った。
「でもね、本当の意味で僕の研究を理解してくれなかった。なんとなく僕はいつも兄さんに後ろめたい思いを感じてた。でもこれでもうそんな心配はいらないんだね。思う存分研究に打ち込めるんだ。…あ、でも…」
急にエストは顔を曇らせた。マリクはエストが次に何を言うのかと耳を峙たせる。
レムオンへの心からの哀悼を――弟としての嘆きと、そしてマリクへの怒りを。
あれほど怖れていた事なのに、今、マリクはそれを待ち望んでいる。
だがエストはしみじみとした困り顔であっさりと言ってのけた。

「領地の管理人、誰かいい人探さないと税金が入ってこなくなるね。どうしよう、誰かいない?」
ポカンとするマリクの顔を見て、エストは大きく頷く。
「ああ、そうだ!マリク、君がやってよ、領地管理。全権を任せるし、なんならリューガ家当主を継いでも良い。僕は研究の費用と場所を保証してもらえたら、そんな名前なんかいらないから!」
いかにも良い考えと言わんばかりのエストに、マリクは喉の奥が痛くなるのを感じた。
「……ねえ、本当にそれだけ?私にいう事はそれだけなの?」
いっそ罵倒して欲しい、マリクは切にそう願う。
でもエストの表情は変わらない。にこにこと無邪気な笑顔で重ねて問う。
「マリク、駄目かな?僕の頼み、聞いてくれない?」
「研究が出来ればいいの?本当に、それだけでいいの?」
涙声でマリクは訴えた。自分がこんな事を言えた義理ではないのは判っているが、せめて一言でも良い。ほんの一粒の涙でも良い。
レムオンの死を悼み、そして泣いて欲しい。

「だって誰だって死ぬんだよ。君だって僕だって明日死ぬかも知れない。だから僕は時間を大事に使いたいんだ。僕が死んでも、研究結果は残る。誰かが引き継いでくれるかも知れない。人は死ぬけど、叡智は永遠に残るんだ」
エストはうっとりと言う。
その輝くばかりの笑顔を、マリクは呆然と見つめた。
そして、今まで感じたことのない怖れを覚える。

優しい兄思いの少年、エスト・リューガ。でも彼の中では血の絆も、人と人との情もけして深い意味を持たない。
もし、自分が今ここで自害して果てたら、彼はきっと憤慨する。彼女が死を選んだことに、ではない。彼女が研究室を汚したことに怒り、そしてあっさりと死体を片付けさせてまた研究に戻るのだろう。彼女の存在など、すっかり忘れはてて。

マリクの心中などお構いなしで、エストはにこにこと言った。
「ね、マリク、お願いだから。僕の頼みを聞いてくれるよね」
マリクは操られるように頷く。これ以上、言葉を重ねたり、ましてや断るなどもう考えつかない。頭の中が真っ白で、なにも考えられない。
「ありがとう!これでこれからも安心して研究が続けられるよ。マリクならきっと判ってくれるって信じてた。だってマリクは僕の理解者だからね」
そう言って天使のように微笑むエストが、マリクは怖かった。
どんな凶暴なモンスターよりも、竜王よりも怖いと思った。


 
 
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