◆ 鬼ごっこ ◆


「うわー綺麗!」
踏み込んだ庭の見事さにルルアンタは小さく歓声を上げた。
地を這うような色とりどりの花々が庭を一面の花畑に変え、その向こう側には少し丈の高い花。さらにその向こうには花盛りの低木。その向こうは重そうに花をたらした大木。
色合いが徐々に交わりグラデーションとなっている計算され尽くした花の配置は、まるで眼が眩むような美しさ。
ルルアンタは夢中で花の中を駆け回り、その香りにうっとりと目を閉じる。

「こんな場所があったなんてしらなかったーーー!今度グレイにも教えてあげようっと」
ルルアンタは旅を共にしている少年を思いだし、口元を両手で押さえてくくっと笑った。
グレイはルルアンタを拾ってくれた旅の商人フリントの息子。フリントが死んだ後はまるでルルアンタの保護者になったようなお兄さんぶった態度をとる。
そしてルルアンタが子供のようなあどけない笑顔で妹のように接すると、少し背伸びをした顔で喜ぶ。
(本当はルルアンタ、もう大人なんだけどな)
でもルルアンタは子供のような仕草でグレイに甘えている。体が小さいリルビーである自分にその無邪気さが求められていることを、ルルアンタはちゃんと知っているのだ。
「綺麗だな〜、お手入れしている人いるのかな…でも…」
呟きながら顔を上げる。そして重たげに揺れる花の枝の向こうに立つ瀟洒な建物に気が付いた。
白い壁に一面のツタが這う赤い屋根の屋敷。さほど大きくはないが随所に見える細かい金細工の飾りは、かなり裕福な趣味人の家、という感じだった。
成る程、この庭の主にふさわしい家だとルルアンタは、どっしりとした色合いの扉を見上げる。

「怒られちゃうかな。きっと貴族のお屋敷だよね」
ルルアンタはそーっと庭の外へと足を向けた。
ここはロストールの郊外。スラムを抜けた先にある場所。
なんでこんな所にこんな立派な庭やお屋敷があるのか判らないけれど、うっかり紛れ込んだところを見つかったら騒ぎになりそうな気がする。
とことこと小走りになりかけたルルアンタの眼前に、ふわりと濃紺の布が舞った。いや、それはスカートだ。かなり高価そうな布地のスカートの裾に、ルルアンタはおそるおそるといった風に衣装の主の顔を見上げる。 銀髪に皺深い顔をした、いかにも貴族然とした気品のある老女だった。
ルルアンタの子供めいた姿を慈悲深い目で見下ろしている。
ルルアンタは思わず両手を膝の前で揃えて頭を下げた。

「このお屋敷の人ですか?ごめんなさい!あんまりお庭が綺麗なんで、ついはいって来ちゃいました!すぐに出ていきますから、あの…」
老婦人はふわりと微笑むと、恐縮しているルルアンタの頭に手をのせた。
「謝らなくても良いのですよ。庭を誉めてくれてありがとう。私がこの手で丹精しているのですよ」
「えー、…こんな広いお庭をお一人で?」
驚くルルアンタに、老婦人はくすりと笑う。
「丹精した庭はこちらの期待を裏切ることなく、美しく花を咲かせます。けして苦労とは思いませんよ。私の庭を誉めてくれましたね。お礼にお茶だけでも飲んでからおいきなさい」
貴族らしくいささか高飛車な誘いだったが、老婦人のいかにも気品ありげな動作の優雅さに、ルルアンタは有頂天になった。
「わあ、いいんですか?」
「もちろんですよ。とっておきのお茶と、私の自慢のケーキを差し上げましょう」
そう言ってルルアンタの小さな手を老婦人が取る。ルルアンタは嬉しさに舞い上がりそうになりながら老婦人の館へと足を踏み入れた。
◆◆


「さあ、おあがりなさい」
老婦人は慇懃な口調で言うとルルアンタの前に香りの高い紅茶と、果実をふんだんに使った焼き菓子を並べた。ルルアンタのような駆け出しに毛が生えた程度の冒険者が行く店では逆立ちしても登場しないような高級なお菓子に、ルルアンタは歓声を上げる。
「うわぁ、すごい綺麗!美味しそう!本当にご馳走になってもいいの?」
「もちろんです。子供は遠慮などするものではありません」
その言葉にルルアンタは嬉しそうにフォークを持ち、「いただきます!」というと同時に菓子を頬張る。
「すごい美味しいです!」
嬉しそうなルルアンタに老婦人も満足げになる。
「子供は素直が一番。欲しいだけお上がりなさい」
子供扱いが気にはなったがルルアンタは目の前のお菓子の美味しさに小さな疑問などに拘るのは止めてしまった。

珍しい冷菓子、焼き菓子、果物などをたらふく食べ、ルルアンタはお茶を飲んで一息つく。
「ありがとうございました。あの、この残ったお菓子、貰っていっていいですか?」
ルルアンタがそう言うと、老婦人は物問いたげな顔をする。ルルアンタは急いで言い加えた。
「一緒に冒険者をやってる友達がいるの。その人にも食べさせてあげたいんです」
気前のいい老婦人だからあっさり承知してくれると思ったルルアンタの意に反し、老婦人は不快げに眉を顰めた。
「冒険者?あの卑しい商売をお前のような子供がしているのは感心しませんね。親は何をしているのですか?」
……卑しい商売だなんて……。
ルルアンタはショックを受ける。悲しそうな顔で老婦人の慇懃な顔を見上げた。
「ルルアンタの両親はとっくに死んじゃったの。そのルルアンタを拾ってくれた人も死んで、ルルアンタはその人の息子さんと一緒に冒険者をしています。一生懸命仕事してます」
判ってもらおうと一生懸命言葉を選んだつもりだったが、老婦人はさらに顔を険しくする。

「息子さんだって?ではお前は男と二人で冒険者をしているというの?いくら子供でもお前は女の子でしょう。男の子と二人などと、あまりにもふしだらです」
「ふしだらなんかじゃない!」
ルルアンタは悔しくて涙がにじんできた。優しそうな人だと思ったのに偏見の固まりだ。
老婦人は嘆かわしげに首を振る。
「ああ、なんていう事。やっぱり親がきちんと躾をしなかったから、子供はこんなにも慎みも恥も知らない子に育ってしまった。子供は親の元できちんとした教育を受けないとダメになってしまう」
「ダメじゃない!ルルアンタのお父さんもお母さんも、一生懸命育ててくれたよ!フリントさんだって、いろんな事を教えてくれた!全然ダメじゃない!」
「なんて事だろう!年長の者に口答えをするなんて。今の子供は本当にダメだ。お仕置きをしないと、自分がどれだけダメなのかも判らない」
「ダメじゃないよ!ルルアンタは――」
ルルアンタは息を飲んで目を見開いた。
横を向いて首を振っていた老婦人がこちらに目を向ける。その目は血走り、まるで別人のように恐ろしげな気配を漂わせていたのだ。

「おばあちゃん…どうしたの…?」
ルルアンタが震えながら聞く。
「子供は躾をしないとダメだ。本当に……最近の子供はなっていない。親の言うことを聞かないから、ダメになってしまう…」
ゆらりと立ち上がった老婦人の手には薪を割る鉈が握られている。その禍々しい鋼の色に、ルルアンタは恐怖を感じてドアを探す。
「私の話はまだ終わってないよ。席に着きなさい。本当に躾のなってないこと」
「……ルルアンタ…子供じゃないよ…。ルルアンタはりルビーだからもう大人なの…1人でも大丈夫なの…」
「おや、嘘までつくなんて。そんな悪い子にはお仕置きをしなくてはね」
「ルルアンタ…本当だよ。子供じゃないよ…もう大人なんだから…」
「どうしようもない子だね。そんな悪い子は舌を抜いてしまわないと」
老婦人は無表情に鉈を振り上げる。
ルルアンタが悲鳴を上げて椅子から飛び降りた直後、厚い布と丁寧な細工で作られた高価な椅子がバラバラにたたき壊された。
「いやあ」
「お待ちなさい!親の言うことが聞けないというのかい?お前には躾をし直さなければダメだね」
「親じゃない、親じゃないよ!ルルアンタはおばあちゃんの子供じゃないよ」
「嘘つきだね。まったく呆れた者だ」
老婦人の異常にはっきりと気が付いたルルアンタは、恐怖に震えながら部屋を走り抜け扉を開けた。鬼女の形相の老婦人は鉈を振り上げたまま追いかけてくる。

「嫌だ、追いかけてこないで!」
ルルアンタは泣きながら花の咲き乱れる庭を突っ切った。振り向くと髪を振り乱した老婦人が追いかけてくる。
「お待ち!お前は親を捨てていくというの?何という悪い子だ!」
「ルルアンタは子供じゃない!おばあちゃんの子供でもない!来ないで!」
ルルアンタは必死で逃げた。
咲き乱れる花の房が行く手を遮り、絨毯のような丈低い花は脚に絡まって何度もルルアンタを転ばそうとする。
背後からは血走った目の老女が鉈を持って追いかけてくる。
ルルアンタは恐怖に訳が分からなくなりながら、必死に走った。
「ルルアンタは子供じゃないよ、おばあちゃんの子供じゃないよ!」
無意識のうちにそう何度も叫びながら。
◆◆


「ルルアンタ!」
どしんとぶつかる感触に、ルルアンタは涙でぐしょぐしょになった顔を上げた。
「ルルアンタ、どうしたの!」
ルルアンタの小さな身体を抱き留めたグレイが、泣き顔に驚いてしゃがみ込む。
「ここ、どこ?どこ?逃げなきゃ!」
ルルアンタはグレイの腕の中で後ろを振り返りながら藻掻いた。
鬼の顔をしたあの婦人が、すぐそこまで迫ってくるような気がしたからだ。
「落ち着いて、どうして逃げるの!」
訳が分からずにグレイはルルアンタの身体を押さえる。
そこは見慣れたロストールの広場。グレイはスラムの方からものすごい勢いで走ってきたルルアンタを見つけ、抱き留めたのだった。
「酒場で待ち合わせをする筈だったのに来ないから、ずっと探してたんだよ。ゼネテスさんも一緒に探してくれてたんだ。一体どこに行ってたの?」
ルルアンタを宥めようと、グレイはことさらに優しい声で訊ねる。ルルアンタは辺りを見回した。あの恐ろしい館もあの婦人も、どこにもいない。
急に身体から力が抜け、ルルアンタはグレイにしがみつくと声を張り上げて泣きだした。

「怖い、怖いよぉ!」
「怖いって…」
グレイはルルアンタの身体を抱き上げながら、おろおろと呟く。そこへスラムの方向から現れたゼネテスが、二人の姿に安堵の顔つきで近付いてきた。
「おう、見つかったか。って、なんで泣いてるんだ?お前、叱ったのか?」
「そんな事しませんよ。急に怖いって泣き出したんです」
ゼネテスにからかわれ、グレイは不満げにそう告げた。
「怖いって何が?お化けにでも追っかけられたか?」
ゼネテスは冗談のつもりだったが、その言葉にルルアンタは身体をびくんと固くすると、いっそう声を張り上げて泣きだしてしまった。
「変な冗談、言わないでください。それでなくても怯えてるのに」
「ああ、悪い。まさか……なあ…」
謝りながらゼネテスはきょろりとスラムの奥の方に目を向けた。

「何か心当たりがあるんですか?」
「いや…今さっき、ルルアンタがすごい勢いで走り出してきたのを見たんで、ここへ来る前にそっちを調べてきたんだよ。何かに追いかけられてるのかと思ってな」
その言葉にグレイは心配そうにルルアンタを抱き直した。
「強盗とかですか?」
「いや、なんもなかったんだ」
いっそ拍子抜けしたようにゼネテスは言った。
「その先は昔の貴族の別宅があったところでな、今はただの草っぱらになってるんだ。人が隠れてる気配もなかったし一体何に追っかけられたんだか…」
「違うもん!いたもん!すごい怖いおばあちゃんが居たんだもん!」
ルルアンタが泣きながら顔を上げる。
「おばあちゃんって…」
困惑顔のグレイに、やっぱり困惑顔のゼネテスは耳打ちをした。
「やっぱ、やばそうだな。とりあえず宿に戻ろうぜ」


宿に戻ると、泣き疲れたのかルルアンタはあっという間に眠り込んでしまった。
グレイは廊下で待っていたゼネテスの所へ来ると、心配げにちらちらと部屋のドアの方に目をやる。
「……なんだったんでしょう。おばあちゃんって」
「実はここだけの話なんだがな」
ゼネテスは声を潜めた。
「その例の別宅ってのは、ある名家の持ち物だったんだがな。その家の未亡人があまりにも幻覚で頑固すぎたんで息子娘嫁婿に至るまで嫌がられて移り住んだんだ。召使いも居着かなくてその婦人はたった1人で亡くなったんだが…その後が凄くてな」
「……ゼネテスさん、俺を怖がらせようと作り話してません?」
少し本気で引いた風のグレイに、ゼネテスは肩を竦める。
「作るんなら、もうちっと笑える話にするぜ。とにかく、その後御当主は毎晩冷たい仕打ちをした実の母親の夢に怯えて自害。その後家は途絶えちまったんだとさ」
「おっかない話だけど、ルルアンタは関係ないでしょう?」
胡散くさげなグレイに、ゼネテスは「まあな」と笑って見せた。
「ま、忘れるこったな。所詮は関係ないよそんちの話だ」

◆◆


ぱちんとハサミが枯れた花を切り落とす。
ぱちん、ぱちん。
ハサミを持った手が触れた傍から花は萎れ、クシャクシャと地に落ちる。
館の女主人は苦々しげに顔を歪めた。
「なんて性悪な花なの。私が手入れをしているのに」
花は女主人から離れると生気を取り戻し、近づくと萎れ果てる。
枯れては咲き、咲いては枯れる花々に、女主人は手入れを止めて空を見た。
毎日変わることがない灰色の空。
いつから空は動かなくなったのだろう。
いつから、花は自分の手の中で散るようになったのだろう。
私はこんなに気を配っているのに。
私は完璧に世話をしているのに。
どうして何もかもが上手くいかないのだろう。

「子供達…どうしてお母様の言うことが聞けないの。お母様の言うとおりにしていれば何もかもが上手くいくはずなのに」
花は散る。
空は陰る。
子供達は背を向け、遠ざかってゆく。

「子供達…どうして帰ってこないの?」
すでに遠い昔に住む人の消えた館の跡で、独りぼっちの女主人は今も変わらずに花の手入れを続けている。
誰にも見えない場所で、今も子供達の訪れを待ち続けている。

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